パパと話さなくなったのは…ある日突然、父娘の人格が入れ替わったら? #2 パパとムスメの7日間
今どきの高校生・小梅と、冴えないサラリーマンのパパ。ある日突然、二人の人格が入れ替わってしまったら……? あっと驚く設定で多くの読者を獲得し、新垣結衣さん、舘ひろしさん主演でドラマ化もされた、五十嵐貴久さんの『パパとムスメの7日間』。ドキドキの青春あり、ハラハラの会社員人生あり。そして、入れ替わってみて初めて気づいた、おたがいの大切さ。読めば今すぐ家族に会いたくなる、本作のためし読みをお楽しみください。
* * *
律子に聞いた話だと、ケンタ先輩は一応早慶狙いらしい。サッカー部では副キャプテンで、勉強もけっこうできるみたい。今もがんばっているのだろうか。ドキドキしながら次のメールを待った。
(――あれ?)
それきりだった。十分待っても三十分待っても、返事はなかった。
返しがマズかったのだろうか。受験の話はしたくなかったのかも。そうだよ、バカ小梅。先輩、受験で大変なのに、どうしてもっと気の利いたことが言えなかったの?
何ていうか、慰めるとか励ますとか。そうじゃなかったら全然関係ないことでもよかったのに。ああもう、サイアク。
三時間待ったけど、ケータイはうんともすんとも言わなかった。最初の一時間はずっとケータイを睨んでたけど、気になり過ぎるからわざと伏せた。でも結局五分おきにひっくりかえして確かめてたけど。
そうやってぐずぐずしてたら、パパお風呂入るって、とママが教えてくれた。ついてない。パパの後でお風呂なんて。そんなのゼッタイ嫌だ。
理由なんてないけど、何となく不潔。お風呂の後、パパがバスマットとか踏んだと思うだけでもうダメ。近寄れない。どうしよう。お風呂やめようか。
だけど、夏だし。あたしはTシャツを鼻に押し当てた。ちょっと汗っぽい。ああ、ユウウツだ。何もかもユウウツだ。
それから一時間部屋でうろうろして、シャワーだけ浴びた。先輩からメールがあったら大変だから、お風呂場にケータイ持ってったけど、着信音は鳴らなかった。
そうだよね、夜中の一時だもん。でもどうしてだろう、どうして返事くれないの?
三時まで待ったけど、何もなかった。しょうがないから寝た。はあ、というため息が枕に吸い込まれていった。
3
ゆうべ遅かったから、起きたのは午後だった。日曜だから別にそれはかまわない。起きてすぐケータイを確かめた。着信メール、一件。もしかして。
どきどきしながらメールを開いた。名前を見て、マジでケータイ投げたくなった。律子だ。あのねえ、あんまり期待させないでよ。
どうせいつものおはようメールだろう。どうでもいい。顔を洗いに下へ降りた。リビングでパパがパジャマのまま新聞を読んでいた。
変なパジャマ。太い白とグレーの縦縞。シマウマじゃないんだから、っていつも思う。もっとオシャレしてほしい。
どうしてオヤジってみんなああなのかな。パパは背だってそこそこあるし、ちょっとデブでお腹とかは出てるけど、サイアクってほどでもない。電車とか乗ってて、同じ年ぐらいのオヤジ見てるとわかるけど、まだマシな方だ。
でも服のセンスとかはひどい。ひど過ぎ。スーツは紺とグレーの二色しか持ってないし、それも街道沿いの安売り店で買ってくるから、袖がいっつも余ってる。裾は短く切り過ぎだし、なんだか七五三の子供みたい。
私服はもっとひどくて、パジャマの他に持ってるのは黒いジャージの上下と、夏はランニングと短パンだけだ。さすがに散歩したりする時は、ポロシャツとかに着替えるけど、すっごい昔にはやったワンポイントのポロを未だに着てて、しかもそれがちょっとオシャレだと思ってるらしい。
髪の毛だってまだあるし、四十七歳って年の割には若い顔してるし、もうちょっと何とかすれば何とかなるって思うんだけど。でもムリなのかな。まあ、そういうとこも含めて、それがオヤジってものなんだよね、きっと。
「小梅、おはよう」
パパが優しい声で言った。無視して顔を洗った。何か食べる? とママに聞かれたけど、いらない、と答えて二階に上がった。中三の終わり頃から、パパとあたしはこんなふうになっている。
高校の受験がきっかけだった。あたしは成績はフツーで、何かしたいことがあるわけでもなく、フツーに高校に行ければいいと思ってたフツーの区立中学生だ。公立校を受験するつもりだったけど、行きたい学校がなかったわけじゃない。私立西園寺女子学院。
理由がくだらなかったのはホントだ。制服がすごくかわいくて、どうしても着たかったから、それで西園寺に行きたかっただけ。
もちろんそんなのは半分冗談で、本気じゃなかった。西園寺を受けるには、ちょっと成績も足りなかったし。でも、小梅はどこに行きたいのか、と聞いてきたのはパパだった。
だからあたしは西園寺と答えたのに。そしたらパパが、ちょっと暗い顔になった。
「西園寺は私立だぞ」
お金がたいへんだ、という意味だった。そんなことはあたしだってわかってる。だけど、どこに行きたいのかって言うから答えただけなのに、なんでそんなふうに言われなきゃいけないのかわかんない。
ちょっと嫌な感じがした。それが顔に出たみたいで、パパが急に怒りだした。なんだ、その顔は。小梅、誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ。
パパが働いている化粧品会社がその頃調子悪くて、冬のボーナスが出るか出ないか、という時期だったことは後で聞いた。タイミングも悪かったんだろう。たぶんパパとしては、私立校に行きたいという娘の希望をかなえてやれない情けなさみたいなものもあったのかもしれない。
だけど、そんなふうに言われたくなかった。誰のおかげでって、それはパパやママのおかげかもしんない。でも、産んで下さいなんて頼んだ覚えはない。子供の理屈だとわかってたけど、そう思った。
その時はママが間に入ってくれたから、それ以上のことにはならなかった。結局、西園寺も受験した。落ちたから結果的には同じことだったけど。
そしてあたしは今の都立高校に進んだ。パパと話さなくなったのは、受験が終わった頃だ。別にその時のことがきっかけってわけじゃない。実はけっこう前からそんなカンジだった。別に理由なんてなくて、なんか話したくなくなった。
パパと話してもしょうがない。てゆうか、うざい。みんなもそうだって言ってるし。
反抗期とかじゃなくて、そういうものなんだろう。ホント、メンドくさいのよ、話合わせるのが。
嫌いとかそんなんじゃなくて、ただひたすらうざい。あと、不潔。それだけだし、それ以上の意味はなかった。パパはいろいろ考えてるみたいだけど、ホントに深い理由なんてないんだけどな。
「小梅、何か食べないの?」
階段の下からママの足音が聞こえた。ダイエット中、と返事した。別にパパがいるから同じテーブルにつきたくないとか、そこまであたしも子供じゃない。身長百五十五センチ、体重四十四キロ、ちょっと気を抜いたらすぐ四十六まで上がっちゃう。ちっちゃなデブなんて最悪だ。
鏡を見てたらまたユウウツになった。なんか顔が丸くなってきたような気がする。元は悪くないと思うんだけど。目だってけっこう大きいし、二重だし。
鼻は確かにちょっと低いけど、でも唇はかわいいってよくほめられる。もしかして髪が長過ぎるのかな? ヘアスタイルを変えてみようか。ついでにもう少し明るい茶に染め直そうかな。
そんなことを考えていたら、いきなりドアが開いた。入ってきたのはママだった。
「小梅、あんたパパにひと言ぐらいお礼言っときなさいよ。バイトしていいって、許してくれたんだから」
「はいはい」
ママがカーテンを開けた。七月のまぶしい光が部屋にさしこんでくる。許して、ママ。溶けちゃう。
「ちゃんと言うのよ」
わかったから、と答えた。今度。たぶん、いつか、そのうち。
ホントにもう、と言いながらママが出ていった。あたしはベッドで横になったまま、ドキドキしながらケータイを見た。
やっぱりダメ。先輩からのメールはなかった。しょうがないから、さっき届いた律子のメールを開いた。
〈おはよ~♪ 今日は東うたひろだよお~! 2時からだからね〉
忘れてた。金曜日、確かに律子から集合がかかっていた。日曜、カラオケしない? うちのが男子つれてきてくれるっていうしさ。
うちの、というのは三カ月前から律子がつきあい始めたサッカー部の小関さんのことだ。見せびらかしたくてしょうがないのはわかっていた。
でも行くって言わなかったし。どうせまたいつものサッカー部の二年軍団だし。めんどくさいし。ベッドであたしは体をごろごろさせた。もう二時だし、カラオケも飽きたし。
先輩からのメールがないせいだ。何もかもやる気がなくなっていた。行きたくない。ゴメン、とあたしはボタンを押して、文章を作り始めた。
〈ゴメン! いけなくなっちゃった〉
どんな理由にしようか。考えていたら、もう一本メールが入った。勢いよく起き上がった。先輩?
開いてみて、マジでがっくりした。また律子だ。早く来い、というのだろう。うるさいな、もう。メールを開いた。
〈ケンタ先輩、来てるよ〉
あたしはケータイを放り投げた。アンタ、バカじゃないの? なんでそれを先に言わないのよ。
ああ、もう、どうしよう。どうしようどうしよう。広くもない部屋の中をうろうろと歩き回った。
とにかく、行かないというメールを打つ前でよかった。あたしってばエライ。
でも、何を着よう。何を着ていけばいいんだろう。そんなこといきなり言われたって、何にも準備してない。どうしたらいいの。
まだ顔だってちゃんと洗ってないし、髪の毛だってぼさぼさだし、それにメイク。わかんない。ばっちりキメてった方がいいのか、それともナチュラルな感じが先輩は好きなの?
それにもう二時過ぎてるし時間はないし家から駅の東口まではチャリでも十分かかるし、何をどうしたらいいの? 落ち着いて、小梅。深呼吸。
結局清潔感をコンセプトに、青いボーダーのキャミソールとデニムのミニスカートにした。超特急でメイクをし、非常事態モードで髪の毛を整えた。
最後にめったにしないターコイズのネックレスを首からかけた。ちょっと出かけてくるから、と言い残して家を飛び出したのは、律子のメールを見てから十五分後のことだ。あたしとしては記録的な速さだった。
◇ ◇ ◇