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「片腕を貸す」はセックスの比喩…幻想文学の傑作『片腕』 #5 川端康成と女たち

『雪国』『伊豆の踊り子』『掌の小説』『山の音』『片腕』……。数々の名作を生み出し、日本人初のノーベル文学賞を受賞した文豪・川端康成。作家・比較文学者の小谷野敦さんが上梓した『川端康成と女たち』は、女給のちよや芸者の松栄といった「女性」を切り口に、川端作品を再読する画期的論考。難しいと避けてきた文学がぐっと身近になる、そんな本書の一部をお届けします。

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『片腕』は幻想文学の傑作


「片腕」は、幻想文学の傑作とされている。私は、『眠れる美女』に続いて「片腕」を読んで、興奮した。高校生の私は当然のごとく、小説を読んではやたら興奮していた。とはいえ、高校二年の春は、野間宏や島崎藤村を読んで、藤村の『破戒』以外はとても退屈でげんなりしていたから、川端を読むようになってこちらに夢中になっていた。

『幻想文学』という雑誌の創刊号を書店で見つけてそれから毎号買うようになり、ホフマンの『黄金の壺』とか石川淳の『紫苑物語』とかを読み、『幻想文学』で紹介されている中井英夫とか、そのころ岩波文庫で出たゴーチェとかも読んだが、結局「片腕」に匹敵する作品といえたのは、鏡花の『草迷宮』や『春昼』と、幸田露伴の「幻談」「観画談」で、後者を編集した川村二郎を尊敬したりしていた
 
だが全体として、幻想文学というジャンルに、私はあまり満足することはできなかった。
 
「片腕」も、『眠れる美女』と同じく『新潮』に連載された。一九六三年八月号から翌年一月号までで、やはり分量の割に長く連載されている。三島由紀夫はその第一回を読んで読み切りだと思い、見事な終わりだと思ったということが新潮文庫『眠れる美女』の解説に書いてある。
 
男と女が出て来て、女は三十代くらいの感じがし、男は『眠れる美女』や川端自身の連想から老人のような気がするが、年齢に触れた文はなく、中年と見ておくべきだろう。
 
いきなり女が片腕を貸すといういきなり感が重要だが、片腕を貸すというアイディア自体は、芝全交の傑作黄表紙「大悲千禄本」で、清水寺の本尊千手観音が、不景気のため山師の手を借りて千本の手を損料貸しに出すという荒唐無稽な筋だが、傑作と言って差し支えない。

しいて川端が読んだ可能性のある刊本を探すなら、昭和十年ころに講談社から出た「評釈江戸文学叢書」に入っている。
 
むろんこの作では、セックスの比喩として片腕を貸すということが描かれている。また、聖書からの引用が二か所あって、

「(イエスは涙をお流しになりました。《ああ、なんと、彼女を愛しておいでになつたことか。》とユダヤ人たちは言ひました。)」

とあるのはラザロの死のところで「彼」を「彼女」に変えてあるし、

(女よ、なぜ泣いてゐるのか。誰をさがしてゐるのか。)

という、イエスが死んだあとの発話も出て来る。いずれも「ヨハネの福音書」からだが、後者で話しかけられているのはマグダラのマリアで、これは娼婦だという説が一般的だったから、川端としてはそれを示唆していたのだろう。

少しずつ時代遅れになっている?


男は自宅へ帰って女の片腕と話をし、自分の腕とつけかえたりするが、男は、色が見えると言い、

「薄むらさきの光りだね、ぼうつとした……。その薄むらさきのなかに、赤や金の粟粒のやうに小さい輪が、くるくるたくさん飛んでゐた。」

と言うが、これは戦後「朝日新聞」に連載した『舞姫』で、ヒロインの波子が、セックスの際に、「金の輪が、くるくる見えるのよ。目のなかが、ぱあつと真赤な色になつたわ」とあるのを少し変えただけだろうが、これは元の原稿はもっと激しい描写になっており、『チャタレイ夫人の恋人』が摘発されたあとなので新聞側が難色を示し、担当の澤野久雄が粘って書き換えさせたといういわくつきのものだ。

筒井康隆は「片腕」に感銘を受けて、こんなシュールレアリスムができるのかと思って「ヨッパ谷への降下」を書き、川端康成文学賞を受賞したのだが、「ヨッパ谷への降下」は、聖書と関係があるようだが、エロティックなところはないし、私には何が言いたいのか、なぜ評価されているのかも分からない、不思議な小説である。
 
現代の小説家・乗代雄介は、『本物の読書家』という小説で、「片腕」を自分の叔父が代作したという話を聞いた青年が電車に乗って茨城県へ向かいその真相を追求するという話を書いている。「片腕」に代作説はないし、結論としても代作ではないので、乗代が「片腕」が好きなので使ったものかもしれない。
 
しかし、四十二年をへだてて「片腕」を読んだ感じから言うと、あまりこれは二度、三度と読む小説ではないだろう
 
推理小説で、結末・犯人を知ってしまうともう読めないということが言われるが、推理小説ではなくても、複数回読むに耐える小説とそうでない小説はあり、それは必ずしも小説の価値を意味しないと思う。「片腕」は、読み始めていきなり女が片腕を外して貸すという驚きが重要なので、それを知ってしまうと二度は読めないと言える。
 
「片腕」においても、川端は売春のイメージを用いている。結局、「伊豆の踊子」や「浅草紅団」から「雪国」をへて「眠れる美女」「片腕」と、川端はしばしば、藝者や娼婦を使った小説を書いて来たのであり、それは現代において、少しずつ時代遅れになってきているという感じは否めない。

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川端康成と女たち


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