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不審な車に付きまとわれていた! 行方不明少女を追う刑事の執念を描く警察ミステリー #5 雨に消えた向日葵

埼玉県で小学五年の石岡葵が失踪した。最後に目撃されたのは豪雨の中をひとりで歩く姿。誘拐か、家出か、事故か? 電車内で発見された葵の私物、少女に目を付けていたという中学生グループ……。情報が錯綜し、家族が激しく焦燥に駆られるなか、県警捜査一課の奈良健市は執念の捜査で真相に迫っていく。

警察ミステリーの新旗手、吉川英梨さんの最高傑作として名高い『雨に消えた向日葵』。ムロツヨシさん主演でドラマ化もされた本作より、冒頭の一部をご紹介します。

*  *  *

「では、鑑取りいきますか」

呉原が声を張り上げた。鑑取り捜査は敷鑑とも呼ばれる。被害者の人間関係を洗う捜査だ。少女は家庭環境が複雑だと聞いた。奥村をはじめ他の捜査員たちも、ここからが捜査の本線という様子だ。

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「姉の石岡沙希、平成十三年生まれの十五歳、第六中学校三年三組在籍。妹の失踪時刻は、電車に乗っていたということです。池袋にある東光義塾へ向かっていました」

次は母親の石岡秋奈。昭和五十年生まれの四十歳。職業はアルバイト。坂戸市厚川にあるドラッグストアにて、平日はフルタイムで働いている。

呉原が地図を指さした。厚川地区は鶴舞ニュータウンの南西にある。東武越生線一本松駅界隈の住所だ。東武越生線は坂戸駅から枝分かれする路線で、西の越生町方面へ延びる。総距離十キロ強、駅数八つと小規模だ。

「昨日は半休を取って池袋で買い物をしていたそうです。十六時半ごろ、葵から雨がひどいので迎えに来てほしいという電話を受けているが、断っています」

奈良は少し引っかかった。

「普段はフルタイムで働いているのに、買い物のためにわざわざ半休を取ったのか? 買い物程度なら週末ではだめだったんだろうか」

誰かに会っていたのではないか。

「そのあたり、今日突っ込みますか」

呉原が頷き、父親についての説明を始めた。

石岡征則、昭和四十五年生まれの四十五歳。職業はあいわ銀行新宿支店の、融資担当部門の統括課長。食品関係の企業を担当し、その融資の決定権を持っている。現住所は豊島区目白四丁目、池袋プレシャスタワーレジデンス一七二〇号室。

「夫婦は離婚調停中で、親権を巡って高裁までこじれています。葵は父親と二年も会っていなかったようです」

裁判では、母親の秋奈が単独の親権を訴えているが、征則は経済的な不安定さを理由に、豊島区で自身が養育すると主張している。

「行方不明少女がこのあたりどう思っていたのかがポイントになりそうだな。場合によっては家出の事由にもなりうる。少女の家族以外の鑑はどうだ」

習い事や塾通いはしていない。人間関係は第七小学校に絞られる。スマホを持っていないのでSNSなどとも無縁だという。ただ、自宅のパソコンを使っている可能性もある。

友人関係で特に親しかったのは、藤岡絵麻という同級生だ。失踪直前まで絵麻と教室で遊んでいた。いじめなどのトラブルはない。目白時代の友人関係についてはまだ手付かずだった。

「他、恋愛関係などは」

「担任の浮島が言うには、そういったことには奥手だったということです。アニメオタクで漫画が好きだったとか」

うちの班の二次元オタクの森川が活躍するかもしれないな、と奈良は思った。

不審者情報や性犯罪前歴者の確認も進んでいる。管内に住民票登録のある性犯罪前歴者は八名。すぐに洗わねばならない。

「で、うちの本丸っすね」

出番を待ち構えていたように奥村が立ち上がり、調書のコピーを一同に配った。

「姉の沙希から訴えがあった、不明少女に対するつきまとい事案です」

六月七日の十五時、帰宅途中の葵は、不審な車につきまとわれた。場所は昨日最後に目撃された田んぼの一本道で、のろのろと後ろを走り、葵が振り返るとスピードを上げて通り過ぎる。数十メートル先で停車する。葵が抜かすとまた徐行でついてくる。三度目に運転席の窓から手を伸ばし、葵の腕をつかんだ。葵は自宅まで走って逃げたが、途中で写真を撮られたらしい。

車は一本松駅の方へ走り去った。シルバーのミニバンタイプの軽自動車で、品川ナンバーだった。

「県道に県警の監視カメラが設置されているはずです。当該の車は映っていたんですか?」

奈良の問いに、呉原は首を横に振った。

「それもこれからです。相談を受けた大家駐在所の巡査長が記録に残してはいましたけど、被害届を出すところまではいってませんので、捜査もしてません」

同じことがあればすぐに対応するということで終わり、本人や母親も納得した。今後、特徴の似た車が付近を通過していないか、防犯カメラを洗う必要がある。

「で、この絵はなんだ?」

奈良は、調書のコピーの備考欄を指ではじいた。色鉛筆を使ったのか、ずいぶん鮮明なアニメの絵柄が描かれている。上半身裸の男と、下着しか身に着けていない少女。二人とも、肩から背中にかけて入れ墨が入っている。奥村が答えた。

「これは不審者のスマホカバーのデザインです。写真を撮られたとき、葵が目撃したものです」

「なんのアニメのキャラだ?」

「わかっていません。この男については訴えがあった時点で捜査してませんからね」

不審者の似顔絵なども作成されていなかった。二十代から四十代の、目鼻立ちのはっきりした男ということしか記されていない。手がかりはこのアニメのキャラクターのみ。森川の出番だ。奈良は絵柄をスマホで撮影し、森川に送った。

「うちでできる今日の鑑捜査は、葵の目白時代の人間関係と、自宅のパソコンの分析……てなところでしょうか」

呉原の総括に、奈良は手を挙げた。

「もう少し家族を洗いたい。特に母親が池袋で何をしていたのかが気になる」

自然、相棒を求めて奥村を見る。奥村が頷いた。

東の空から太陽がもう昇り始めていた。

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長い夜だった。

沙希は仮眠すら、罪悪感を抱いた。玄関の扉は開きっぱなしで、深夜零時を過ぎても警察や消防の人の出入りがあった。眠りは浅く、すぐに目が覚めてしまう。外が明るくなり始めたころ、一階に下りた。和室から、母の嗚咽が聞こえてきた。

葵のクロックスのサンダルが玄関の三和土にある。ターコイズブルーのスニーカーはないままだ。リビングでは、誘拐捜査専門の刑事が背筋を伸ばして、ソファに座っていた。

「お母さんは和室で休まれています。眠れてはいないだろうけど……」

葵の迎えを断った母は、自分を責めていた。池袋にいたのだから仕方がない。父親の姿はなかった。ここに泊まるわけにもいかなかったのだろう。沙希はスマホで父親にメッセージを送った。

ダイニングテーブルには、見覚えのないお盆におにぎりが並んでいた。仕出しケースがあり、稲荷ずしも入っている。近所の蕎麦屋のもので、店の息子は葵の同級生だ。PTAも動いてくれているのだろう。

「食べれるだけ、食べた方がいいよ。暑いし、倒れたら大変だからね」

刑事が声をかけてきた。はい、と返事をした声が掠れてしまう。ダイニングの椅子を引いて稲荷ずしを手に取った。葵はなにか食べているだろうか、と不安になる。父親から返信が入った。

『高麗川で捜索してる。関越道のすぐ下あたり』

消防や警察の捜索は深夜零時で終わったはずだが、父親は夜通しで捜している。

『なにか食べて。差し入れがあるから、持って行こうか?』

『一旦そっちに顔を出す』

森のくまさんのメロディが流れた。固定電話の着信音だ。刑事が腰を浮かせる。親機と接続した逆探知機のスイッチを入れ、ヘッドセットを耳に当てた。

母親がリビングに飛び込んでくる。鬼のような形相だ。髪がぐちゃぐちゃになっていた。昨日のメイクすら落としておらず、目じりに引いたアイラインがぼやけている。つんのめりながら、親機の受話器を取った。

「はい、石岡です!」

「朝早くに申し訳ない。大家分団団長の佐藤ですが」

逆探知機から相手の声が聞こえてくる。申し訳なさそうだった。消防団の団長をしている佐藤は、母が勤めるドラッグストアの店長だ。彼も捜索を手伝っている。

「今日の捜索ですが、昼間に仕事をしている者は出られません。入西、勝呂、三芳野分団からも人を集めようと思ってますが、大丈夫ですか」

もちろんです、と母が力なく答えた。

「それから、大学生機能別消防団の方にも声をかけようかと。市内にある大学の、訓練を受けた学生四十名が登録していますので。どうでしょう」

「ありがたいことです。よろしくお願いします」

電話が切れた。沙希はすぐさま口を挟んだ。

「消防団が誰を動員するとか、いちいち家族の了承を取ってくるの?」

母ではなく刑事が答えた。

「消防団というのは正式な消防士じゃないからね。個人情報があるから、誰彼構わずというわけにはいかないんだ。ネットなどで葵ちゃんの情報が拡散してしまう可能性もあるから」

母親が体を引きずるようにして、和室に戻った。車のエンジン音が聞こえてくる。リビングのカーテンを開ける。いつもは雨戸が閉まっているが、窓は開いていた。

レクサスが停車している。父が疲れた足取りで家に入ってきた。刑事に挨拶する。声が嗄れて別人のようだ。白いワイシャツのあちこちに泥や草の汁が飛んでいる。

「お母さんは?」

和室で横になっていると伝えた。父親は頷き、廊下を進んだ。洗面所を使うのだろう。リビングに戻ってくると、沙希に学校に行くか尋ねた。

「行くわけない。私も葵を捜すよ」

「中三の女の子じゃ戦力にならない。危険なだけだ」

「それなら駅の方とか、駅前の商店街とかを」

「じゃ、お父さんの着替えを買ってきてくれないか。いつまでもこの恰好じゃいられないし、目白に戻る時間も惜しい」

「お父さん……。仕事に戻らなくていいの?」

大丈夫、と父親が硬い表情で微笑んだ。

「ここには泊まらないよ。坂戸にひとつホテルがあるみたいだから」

自分がいると母親を刺激すると思っているようだ。

「いまは協力すべきときじゃん。ここに泊まりなよ。私からお母さんを説得するから」

「ありがとう、でもお母さんは普通の精神状態じゃないはずだから。買い物は放課後でいいから、学校に行きなさい。妹や弟が七小に通っている六中生もいるだろうから、葵に関して何かわかるかもしれない。情報を拾ってきてほしい」

父親は窺うように沙希を見た。沙希が第六中学校になじんでいないのを知っている。友人がいないわけではないが、居場所のない少女たちが寄り集まる、目立たないグループになんとなくいるだけだ。親友はひとりもいない。

「わかった。でもそういうのって、警察の仕事じゃないの」

「警察はまだ動きが鈍い。事故や家出の線もあるからね。事件として捜査している刑事はたったの五人しかいないというから」

家にいる刑事を意識しているのか、父親は声音を抑えていた。

「警察署で聞いてきたの?」

「いや、明け方土手道で二人組の刑事と出会って。ひとりは県警本部のベテラン捜査員だ」

事件化したらすぐに初動捜査体制を敷くため、土地勘をつけようと早朝から動いてくれているらしい。心強かった。父が声を振り絞り、沙希に言い聞かせる。

「大丈夫、葵はきっと見つかる」

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雨に消えた向日葵

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