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かたちのあるものは必ずこわれる…あなたはこの物語で7回、涙する #5 ありえないほどうるさいオルゴール店

「あなたの心に流れている音楽が聞こえるんです」。その店では、風変わりな店主が世界にひとつだけのオルゴールをつくってくれる。耳の聞こえない少年。音楽の夢をあきらめたバンド少女。妻が倒れ、途方に暮れる老人。彼らの心にはどんな曲が流れているのか……。瀧羽麻子さんの『ありえないほどうるさいオルゴール店』は、思わず涙がこぼれる連作短編集。全7話のうち、今回は「よりみち」と「はなうた」のためし読みをお届けします。

*  *  *

はなうた

そのまるい平皿は、朝もやのような乳白色がかった半透明の、なめらかな厚手のガラスでできていた。直径三十センチほどで、片手で持つには若干つらいほどの重みがある。縁に金色で蔦の模様がぐるりとあしらわれ、よく見ると葉陰に小鳥が二羽ひっそりと羽を休めているので、鳥のお皿、と梨香は呼んでいた。

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「お待たせいたしました」

似たような皿が飾られた陳列棚を眺めるともなく眺めていた順平は、背後から声をかけられて振り向いた。

「申し訳ございません。ご希望の商品は、あいにく廃版になってしまっておりまして」

中年の女性店員は、取り返しのつかない失敗を犯してしまったかのように、深々と頭を下げた。勢いにつられ、なんとなく順平も謝ってしまう。

「そうですか、すみません」

特にあれを探していたわけではない。熱心に話しかけられて、二年前のことを思い出し、ためしに聞いてみただけだった。

「同じシリーズの大皿で、少し違うデザインでしたら、在庫もいくつかございますが。よかったらカタログをお持ちいたしましょうか」

順平に断る隙を与えず、店員はまくしたてた。赤く塗りたくられた唇が、てらてらと光っている。

「では、少々お待ち下さい」

再び置き去りにされた順平の横を、何組もの客が通り過ぎていく。盆休みのせいか、店内には家族連れが多い。若い男女や老夫婦もいる。こわれものを扱う店だというのに、小さな子どもたちが奇声を上げて走り回っている。

あの皿が割れてしまったとき、梨香は怒らなかった。しかたないよ、かたちのあるものは必ずこわれるんだよ、と神妙な顔で言っていた。

かたちのあるものは必ずこわれる。ここのところずっと、あの言葉が順平の頭にこびりついて離れない。

しつこい店員をなんとか振りきって、店を出た。

運河のほとりをでたらめに歩く。空に灰色の雲が広がっているせいもあってか、東京よりはずいぶん涼しいけれど、水辺はやや蒸す。石畳の小路沿いにも、運河を挟んだ向こう岸にも、古めかしい洋風の建物が並んでいる。シャッターが閉まって廃屋のように見えるものもあれば、中を改装して営業しているのか、あかりがもれている店もある。ちらほらとすれ違う観光客らしき人々は、運河にかかった橋の上で写真を撮ったり、連れとガイドブックをのぞきこんでなにやら相談していたり、誰もかれもが楽しそうだ。

分かれ道にさしかかるたび、人通りの少ないほうを選んでいくうちに、周りから人影が消えた。橋のたもとで立ちどまり、運河をのぞいてみる。暗い水面に陰気くさい仏頂面が映りこみ、ゆらりゆらりと頼りなく揺れている。

目をそらし、あらためて左右を見回した。はじめて見るような気もするし、記憶にひっかかるものがあるような気もする。

「順ちゃんって、なんで店の名前とか道順とか覚えないの?」

梨香と外出すると、よくあきれられた。雑誌で見かけて行ってみようと話していたカフェの名も、また来ようと意気投合したレコード屋の場所も、順平にはまるで答えられないからだ。

「ほんと、やる気ないよね」

「だって必要ないから」

どのみち梨香が覚えている。もしくは、その場でてきぱきと調べてくれる。

「出た、順ちゃんの得意技、他人任せ。それ、なんとかしなよ。まじめな話」

四つ年上のせいか、梨香はしばしば順平を諭すような物言いをする。その調子でなんでもかんでもさっさと決めてしまうから、順平の出番がなくなるのだともいえる。もちろん、そんなことを本人には言えないが。

「わたしが一緒ならいいけど、ひとりのときに困るでしょ」

「大丈夫。ひとりのときは、ちゃんとしてるから」

その場しのぎのでたらめではなかった。大学時代はともかく、会社に入ってからは、ちゃんとしている。少なくともそのように心がけている。上司や同僚からも、ひとりではなにもできないなどと糾弾されたことはない。むしろ、年齢のわりにしっかりしているとよくほめられる。

「やればできるんだよ、おれも」

梨香は疑わしそうに肩をすくめていた。

けれど、ひょっとしたら、心の中では納得していたのかもしれない。だって、矛盾している。ひとりになったら困るでしょ、と訳知り顔で言っておきながら、こうして順平をひとりにするなんて。

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来月実家に帰る、と梨香が切り出したのは、ひと月ほど前のことだった。

土曜日で、ふたりとも仕事は休みだった。家で夕食をすませ、順平はテレビの前に寝転んでサッカーの中継を観ていた。

「お盆休みに?」

半分画面に気をとられたまま、たずねた。珍しいな、とちらりと思いもした。ふたりで暮らしはじめて以来、梨香が帰省することはめったになかった。せいぜい元日のたった一日、それも日帰りだった。

梨香は故郷をきらっていた。山と海と田んぼしかない、とんでもない田舎で、町民全員が知りあいなのだという。生まれてこのかた東京近郊から離れた経験のない順平には、うまく想像できない環境だ。順平は梨香の実家を訪ねたことも、両親に会ったこともない。同居をはじめるときに挨拶くらいはすべきかとも考えたが、めんどくさいことになるよ、と言われてやめた。なにも結婚するわけじゃないんだし、と。あのときは梨香本人も、「めんどくさいこと」を避けたがっているような口ぶりだったはずだ。

「うん。とりあえずは」

「とりあえずは?」

その意味が順平の頭にしみこむまでに、数秒かかった。

上体を起こし、腰をひねって振り向いた。梨香は座卓の向こうで、幼い子どもみたいに膝を抱えていた。

「それ、どういうこと?」

どちらかのチームが得点を逃したらしく、背後でおおげさな落胆の声が上がった。

「だから、そういうこと」


今頃、梨香はどうしているだろう。

見合いはもう終わったのか、まだなのか。そもそも相手はひとりだけなのか、それともいくつか話があるのか。詳しいことは聞かなかったから、わからない。

あれからひと月の間、順平なりにできる限りの努力はした。まずは、けんかしたときにはいつもそうするように、謝った。が、梨香の反応はいつもとは違った。わかればよろしい、と冗談めかして和解に応じるでもなく、適当に謝らないでよ、とますます激昂するでもなく、困ったように黙りこんでいた。

さらに反省の色を示すべく、順平は梨香の作った夕食をほめ、食後に率先して皿を洗い、当番でもない日に掃除機をかけもした。ありがとう、助かる、と梨香はいちいち律儀に礼を言った。やはり、ふだんのけんかとは様子が違った。ふだんどおりの対応ではらちが明きそうにないと、順平もようやく悟った。

それで柄にもなく、旅行の計画まで立てたのである。

行き先をこの街に決めたのは、はじめてふたりで旅した場所だったからだ。そのときにはいたく気に入って、また来ようとしきりに言いあったのに、機会がないまま流れていた。正直にいえば、こんなことになるまでは、順平はほとんど忘れかけていた。なんとか梨香の気を変えさせられないものかと必死に考えてみて、楽しかった旅の思い出がふっとよみがえったのは、しかしなにかの啓示のような気がした。

「盆休み、もう一度あそこへ行こうよ」

賭けるような気持ちで、順平は誘った。

「飛行機とか宿とか、準備はおれが全部やる。梨香さんはついてきてくれればいいから」

「考えとく」

と答えてもらえて、ほっとした。万事において率直な梨香のことだから、来る気がなければすぐにでも断るはずだ。

土壇場になって、ごめん、と申し訳なさそうに謝られるなんて、思ってもみなかった。

「やっぱり行けない。飛行機のキャンセルは自分でする。お金もはらう」

うつむいている梨香を、順平はぽかんとして見つめた。言いたいことは、いろいろあった。どうして。もう一度考え直してよ。行けない、じゃなくて、行かない、なんじゃないの? ていうか、なんでいきなり見合いなんだよ?

ところが、実際に順平の口からこぼれ出たのは、

「あ、そう」

という間の抜けた声だけだった。

そのようにして、順平はあっけなく賭けに負けた。いっそ自分の飛行機とホテルもキャンセルしてしまおうかとも考えたが、苦心して捻出した五連休を梨香のいないアパートで孤独に過ごすなんて、想像しただけでもうんざりだった。猛暑の東京を離れて涼しい北の街まで足を延ばせば、いくらか気もまぎれるのではないかとも思った。

でも違った。旅に出れば自然に気がまぎれるわけではないのだ。どこにいたって、結局同じことが心を占めている。


運河をはずれて角を曲がったところで、一軒の店が目にとまった。ショーウィンドウをしばらく眺めてから、順平は吸い寄せられるようにドアを押した。からん、と乾いたベルの音が響いた。

店内には誰もいなかった。客も、店員すらも。天井の電灯もついていない。もしかして休みなのか。いや、休みなら入口に鍵がかかっているだろう。

ショーウィンドウからさしこんでくる光をたよりに、壁をほぼ覆っている背の高い棚へと、おそるおそる近づいてみる。さまざまな大きさの、透明な箱におさめられたオルゴールが、整然と並んでいた。

「いらっしゃいませ」

だしぬけに声がして、順平は棚に伸ばしかけていた手をひっこめた。

店の奥に置かれたテーブルの傍らに、黒いエプロンをつけた男が立っていた。その後ろにあるドアから出てきたようだ。食器店の執拗な売りこみを思い起こし、とっさに身がまえる。

「ごゆっくりどうぞ」

順平の予想に反し、彼はそっけなく言っただけで、近づいてはこなかった。あまりやる気がなさそうだ。ひょろりとやせて背ばかり高く、影が薄いというのか、古びた店に溶けこんでいるというのか、遠目には人間というより店内の置きもののように見えなくもない。

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ありえないほどうるさいオルゴール店

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