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穏やかに逝きたいなら、若いうちから死と仲良くしておこう #3 「ありがとう」といって死のう

いつか誰にでも訪れる「死」。いざというときジタバタしないために、死とはどういうものなのか、どうすれば穏やかに逝くことができるのか、元気なうちに考えておきたいものです。終末緩和医療の最前線で働くシスター、髙木慶子さんの『「ありがとう」といって死のう』は、死を考えるうえでの座右の書になりうる一冊。髙木さんが看取ってきた人たちの実話に、思わず涙がこぼれる本書、その一部を抜粋してお届けします。

*  *  *

末期がんだと告げられて……


次にお話しするのは58歳の女性の方。仮にBさんとしましょう。

Bさんは独身でずっと中学校の先生をされていました。
 
ある時、Bさんにすい臓がんが見つかりました。しかも末期でした。がんの中でもすい臓がんは怖い病気で、見つかった時には末期であることが多いのです。
 
「末期がん」であることを告げられたら、普通なら怖くて怖くてたまらなくなったり、その場から逃げ出したくなったりします。
 
ところがBさんは違いました。お医者さんから「すい臓がんの末期です」と伝えられた時に「私は手を打って喜んだ。小躍りしてうれしがった」とおっしゃいました。
 
なぜでしょうか。
 
Bさんはお年を召されたお母様と二人暮らしをしておられました。
 
私と出会う少し前にお母様を看取ったばかりだったのですが、認知症を患っておられたために非常にたいへんな思いをなさったそうです。長年務めてきた教師を辞め、つきっきりでお母様の面倒を看てこられたとおっしゃっていました。
 
そのようなことがあり、独り身であるご自分の老後のことを憂いておいでだったのでしょう。自分は一人だから頼れる人はいない、認知症にでもなったらどうしよう、私のことは誰が看取ってくれるのだろう、と。
 
すい臓がんが見つかったのは、その矢先のことでした。
 
だから、彼女は「すい臓がんで余命いくばくもない」と知り、「これで、もう老後を心配する必要はない」とホッとされたそうです。

自分の死が受け入れられない


ところが、一週間が過ぎ、二週間も経つと、それまでとはまったく異なる感情に心が支配されるようになられました。
 
「自分はもうすぐ死ぬ」ということが受け入れられなくなっていったのです。

そして「母は88歳まで生きたのに、なんで自分は60歳にもなっていないのに死ななきゃいけないの?」と理不尽に思うようになられたのです。
 
どうしても自分の死が受け入れられない。悶々とする彼女を見かねたお友達が、私のことを紹介してくださいました。
 

彼女とお付き合いしたのは三か月間ほど。
 
最初は小躍りして自分の死を喜んだ彼女でしたが、最終的にはやはり自分の死を受け入れることは難しかった。そんな彼女が私たちに残してくれたメッセージは次のようなものでした。
 
「もし私が、死と仲良くして生きてきたら、いまこのように苦しむことはなかったでしょう。みなさんは、若い時から、元気な時から、死と仲良くして生きた方がいいと思います。仲良くというのは『死というものが自分の身近に存在していることを実感しながら生きていく』という意味です」
 
繰り返しになりますが、やはり私たちの体には「生きたい」というDNAが刻まれているのでしょう。ですから、よほどの高齢になって老衰で死ぬのでない限り、そう簡単に死は受け入れられないと思うのです。
 
それでも死は必ずやって来る。
 
だからこそ、その死が身近にあるんだということを大事にし、仲良くしておかないといけない。その仲良くというのが難しいんですよ」
 
このように彼女はつくづくおっしゃっていました。
 
仲良くしておく――きっと彼女のボキャブラリーの中で、一番美しいけれども、一番難しい言葉が「仲良くする」ということだったと思うのです。その言葉を使って私たちに「死と仲良くしていくことですよね」とおっしゃった。
 
死と仲良くする
 
これは最期の最期まで彼女が言っていた言葉でした。
 
「ねえ、髙木先生。死と仲良くできるということは大事なことですよね」と繰り返し口にされていました。
 
私は彼女のこの言葉をすごく重いメッセージとして受け止めています。

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「ありがとう」といって死のう

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