見出し画像

中国黒社会の日本の拠点、福岡にも!? 超監視社会の闇を描いた警察ミステリー #3 キッド

上海の商社マン・王作民と、福岡空港に降り立った城戸護。かつて陸上自衛隊でレンジャーの称号を得た城戸は、王を監視する刑事の存在を察知。不審に思いながら護衛を続けるも、秘書が王を射殺し、自死してしまう……。数々の話題作で知られる相場英雄さんの近作『キッド』は、超監視社会の闇を描き切った警察ミステリーの金字塔。今回は『血の雫』の文庫化を記念し、その冒頭を特別にご紹介します。

*  *  *

「申し訳ありません」

ドアの方向を一瞥したあと、王が言った。一口シャンパンを飲んで、話し始める。

画像1

「実は、私ではなく弊社のトップが問題なのです」

王の会社の社長は上海と周辺地域の黒社会の浄化撲滅運動に協力したことで、その筋の人間に恨みを買っているのだという。

「上海では公安の目が光っておりまして、弊社トップも私も安全ですが、これが海外だとどうなるか。過去に他社の人間が脅されたり、乱暴を受けたりしたことがあると聞いたものですから」

「それでしたらお力になれそうです」

王が立ち上がり右手を伸ばした。城戸は握り返した。王が満面の笑みを浮かべる。

「報酬はどういたしましょうか?」

「前金で一五万香港ドル、福岡訪問のあとで同額を香港広東銀行の指定口座にお願いします。香港から出発しますか?」

「ええ。城戸さんの分も往復ファーストクラスを用意します。万が一を考え、福岡駐日領事館に連絡を入れておきます」

中国の黒社会は日本にも拠点を築きつつある。福岡といえど、安全ではない。

王が両手を叩き、ウエーターを呼んだ。王は料理に合わせるワインをオーダーした。別のウエーターが名物のローストダックを配膳した。王に勧められるまま、城戸はダックを口に入れた。飴色に焼いた肉の表面はぱりぱりと香ばしい風味がある一方、骨の周りにある部位はたっぷりと肉汁を含んでいる。特製の柑橘系ソースとの相性も相変わらず抜群だった。

「それにしても、アレックスさんの元部下が香港にいらっしゃるとは」

「あの稼業からは足を洗いました」

王がさらに身を乗り出す。

「今までどちらに行かれました?」

「アレックスの部下として、リビアやシリア、それに西アフリカなど一〇カ国程度でしょうか」

中東やアフリカの他にも、政情が不安定な旧ソ連構成国、中南米の独裁国家などに赴いた。

「アレックスさんとお仕事をしたとき、銃を使うような場面はありましたか?」

「ときには」

新たに運び込まれたワタリガニの殻をハンマーで砕きながら、城戸は答えた。

「銃撃戦も?」

王が興味深そうに訊いてきた。

「なんどかそういう目に遭ったことはあります」

「人を撃つというのは、どんな気分がするものですか?」

城戸は首を振る。

「私が遭遇したのはちょっとした小競り合いです」

王が肩をすくめた。無作法だと思ったのだろう。小競り合いでも、人は簡単に死ぬ。気分は良くない。

「お店のアグネスさん、綺麗なお嬢さんですね。娘さんですか?」

王が話題を変えた。城戸はまた首を振り、否定する。

「彼女は今一七歳ですが、五年前に重慶大厦で保護しました。ラオスの難民です。あのマンションで親族に捨てられていました」

王が絶句した。近代的なビルが増え始めている九龍だが、重慶大厦は猥雑で怪しげな雰囲気を色濃く残している。世界中から集まった商人や旅人が迷路のようなフロアで店を出し、木賃宿で暮らす。

保護した当初、アグネスは読み書きもできなかった。城戸が里親となって学校に通わせると、あっという間に英語と広東語を使いこなすようになった。今では店の経理まで引き受ける頼もしい存在に成長した。

「フィルムカメラのお店はなぜ?」

「ワインコレクターと同じです。希少なボディーやレンズは文化財であり、大切に保護する必要があります。私が納得した人にしか売りません。ズミクロンの九枚玉はあり得ない型ですけどね」

城戸はクライアントに笑みを送り、白ワインを飲み干した。

画像2

2

〈北朝鮮の不審船、東シナ海の公海上で堂々瀬取り! 国連決議は役立たず〉

東京・九段下にある言論構想社六階の週刊新時代編集部で、大畑康恵は次号のゲラの最終チェックに追われていた。

「大畑、おまえのゲラがいつも最後なんだ。早くしろよ!」

筆頭デスクの怒鳴り声が続いた。

「あと五分、いや三分で戻します」

大畑はぶっきらぼうに答えながら、ゲラに目を通し続けた。

中国と太いパイプを持つという機械専門商社の社員から情報が入ったのが一カ月前だった。

〈瀬取りに関する情報があるのですが、興味はありますか?〉

洋上の船舶で石油などを受け渡しすることを瀬取りという。北朝鮮の禁輸破りだった。

ネタ元によると、香港を発ち、韓国へ行く中型のタンカーが北朝鮮船籍の特殊な船舶と洋上で接触するという。重油をタンカーから抜き取るための特殊なホースのオーダーが情報の端緒だった。

大畑は編集長と相談し、二週間前に沖縄の離島で漁師を雇い、漁船で目的の海域に向かった。激しく揺れる漁船の中で船酔いに苦しめられたが、夜明け前に目的の二隻を見つけた際には興奮した。同行した会社のベテランカメラマンの清家太が、揺れる船上でも機敏に動き、超望遠レンズで二隻がホースによって連結している瞬間と、各船体に記された記号等々も全て写し撮った。

「大畑!」

筆頭デスクの篠田が再度怒鳴った。

「はい、これでお願いします」

素早く席を立つと、大畑はゲラを携えて、中庭を見下ろす窓際の席に向かった。

「どうやら防衛省が同じブツを公開するか協議中らしい」

今までの大声が嘘のように篠田が声を潜めた。

「上空に自衛隊の対潜哨戒機P–3Cがいたらしい。お上に抜かれるわけにはいかんからな」

赤ペンを握りしめながら、篠田がゲラに目を落とした。自席に戻り、大畑は自分のネタ元の言葉を思い起こす。

〈対北朝鮮の禁輸破り、仕組みは簡単です〉

銀座の高級豚しゃぶ店で黒豚を湯にくぐらせながら、ネタ元が口元を歪めた。

〈国連決議は目の粗いザル、いや、単なる枠と言ってもいい状態です〉

大畑の好奇心を煽るようにネタ元は刺激的な言葉を吐き続けた。

対米強硬路線を続け、核開発と弾道ミサイルのテストを繰り返す北朝鮮に対し、国際社会は石油という血液の禁輸を決めた。武器製造に欠かせない部品や特殊な素材なども禁輸となり、国連でも制裁決議がなされた。日本の場合も、出入りする船舶の貨物を政府が厳しく監視している。北からの船舶、あるいは荷物の送り先が同地であれば、貨物検査特別措置法によって検査官が隅から隅まで調べることになる。

〈日本政府が大馬鹿なのは、北朝鮮が仕向地、仕出地になっている船舶しか、調べていないからで〉

ネタ元が冷笑した通り、単純な話だった。この国のトップは外交の場で国連決議の完全履行を強く訴え続けているが、足元はお粗末極まりなかった。品目によっては、中国など、北に親和的な第三国を経由した禁輸破りも横行しているという。

「よし、編集長に回す」

五メートルほど離れた席で篠田が言ったとき、ノートパソコンの脇に放り出していたスマートフォンが鈍い音を立てて振動した。画面を見ると、件のネタ元だった。反射的に通話ボタンを押す。電話口で低い声が響く。

〈北絡みで最新のネタが入りましたけど、興味ありますか?〉

もちろんと答えると、相手は予想外の待ち合わせ場所を指定した。

〈変でしょうか?〉

微妙な間を感じ取ったのか、ネタ元が言った。

「とんでもありません。すぐうかがいます」

大畑は今週号の新時代のグラビアページに合流先の住所を書き込んだ。


「追加のオーダーはこちらのインターホンをお使いください」

女子大生らしき店員が言いながら、唐揚げやポテト、ピザをガラステーブルに並べた。新宿・歌舞伎町のカラオケボックスの一室で、大畑は男と向き合っていた。

「こんなところですみませんね」

機械商社の営業マン、栗澤幸一が籠もりがちな声で言った。地方出身で、訛りがコンプレックスで、小声になってしまうのだと話していた。商社マン特有の山っ気のようなものを一切感じさせない。淡々と語ってくれるからこそ、ネタの信憑性が増す。

「お気になさらないでください」

「レストランや居酒屋ですと他人の目が気になりましてね」

「完全防音ですしね。情報が漏れ出すリスクも減らせます」

栗澤が頷く。

「それで、瀬取りの件はどうなりました?」

「明後日発売の新時代の目玉記事になります」

自衛隊の哨戒機が同じ船舶をカバーしていて、政府の発表もあるかもしれないと話した。

「なるほど、やはり政府も警戒していたのですね」

経済の関係は密になっているが、政治や外交の面では日中関係は一筋縄ではいかない。

「それで、栗澤さん……」

はやる気持ちを抑えるのが難しい。物欲しげに見えるように意識しながら、大畑は視線を栗澤に送った。

栗澤はベンチ型のソファに置いた革鞄から、パンフレットを取り出す。

「二週間後に見本市が開かれます」

〈ジャパン工作機械コンベンション at Fukuoka〉

北朝鮮の船舶の積み荷表や船員のメモでも出てくるかと期待していたが、栗澤が提示したのは地味な見本市とそれに伴う商談会の案内書だった。

「業界の集まりに興味はありませんかね?」

栗澤が不安げな顔になった。

「とんでもない。これがどんな最新のネタに?」

「うちの会社も出展するのですが……。気になる人物から、商談予約が入ったのです」

おどおどした口調で、栗澤が言った。

「気になる人物とは?」

前のめりになりそうになる自分を抑えた。

◇  ◇  ◇

連載一覧はこちら↓
キッド 相場英雄

画像3


紙書籍はこちらから

電子書籍はこちらから

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!