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全部あたしの計算どおり…涙、涙の感動エンターテインメント小説 #4 癒し屋キリコの約束

純喫茶「昭和堂」の店主・霧子は、美人なのに、ちょっとぐうたらな不思議系。でも、裏の「癒し屋」稼業では、依頼人のどんな悩みも奇想天外な手法で一発解消させる敏腕だ。そんなある日、彼女宛てに届いた殺人予告。それをきっかけに霧子は、過去と向き合う勇気と未来への希望を取り戻していく……。森沢明夫さんの『癒し屋キリコの約束』は、涙なしには読めない感動エンターテインメント小説。そのためし読みを、ぜひご覧ください。

*  *  *

「ねえ百合子さん、ちなみに、なんだけど、その隣町の土地って、どのくらいの広さがあるのかしら?」

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わたしには、もう分かっている。賢い涼くんも、当然分かっているはずだ。霧子さんがいきなり態度を豹変させた理由を。百合子さんが土地持ちだと知って、お金の匂いを嗅ぎ付けたのだ。

「そ、そんなに、広くは、ないんですけど――」

百合子さんは、そう前置きをしたけれど、具体的な敷地面積を聞いてみたら、それはもう、なかなかのものだった。資産価値にしたら軽く「億」を超える広さがある。

わたしは霧子さんの顔を窺った。口角がすっと上がっていて、吸い込まれそうな黒目のなかには「¥」マークが浮かんでいる(ようにしか見えない)。ようするに霧子さんは、百合子さんにさっさと土地を売らせて、莫大な現金を握らせたうえで、ちゃっかりお賽銭を頂こうという魂胆なのだ。

しかし、そこで、善人すぎて空気の読めない入道さんが口をはさんだ。

「まあ、たしかに、それだけの土地を売れば、働かなくても食べていけるわな。でも、百合子さんはまじめな人だから、不労所得で暮らしていくことには抵抗があるんだろう。それに、母親がしっかり働いて生計を立てている姿を、娘の奈緒美ちゃんに見せたいと。そういうことだな?」

「え……」

すべて図星だったのか、かなり驚いた顔をした百合子さんを見て、入道さんがさらに言葉をかぶせていく。

「そんなに驚くこたないさ。あんたの守護霊さんがそう言ってんだ。しかも、その守護霊のひとりはな――」そこで、入道さんは百合子さんの背後を透かし見るような目をして、「ああ、やっぱり、亡くなった旦那さんだよ」と言った。

「そ……、そうなんですか?」

亡くした夫を思い出したのか、百合子さんは、両目をうっすらと潤ませた。

「あんたのこと、ずいぶん心配してるよ。家族思いの優しい人だったようだね。娘さんのことも心配してるってよ」

「……」

百合子さんの目がうるうるしはじめて、すぐに、しずくがひとつこぼれ落ちた。

すかさずテーブルの紙ナプキンを百合子さんに差し出しながら、霧子さんが口をはさむ。

「んねぇ、入道さぁん」今日いちばんの艶っぽい声色だ。「ちょっぴり意地悪な姑の良枝おばあさまに、悪霊が憑いてるってことはないかしら?」

「あはは。それはないと――」

「あたしはねっ!」

そこで、強引に言葉をかぶせる霧子さん。

「え……」と、固まる入道さん。

「あたしは、だけどね、そんな感じがするのよぉ。ねえ、入道さんも、そう思わない?」

「……」

濡れた黒い瞳で入道さんを下から覗き込むようにして、甘えるような笑みを浮かべた霧子さんに、自称・霊能者はコロリとやられてしまった。

「……つ、憑いてますな。うん。何かが、憑いている」

「ほら、やっぱりね。じゃあ、百合子さんのために、悪霊退治をしてあげて下さる?」

「そ、それはもう、喜んで」

まったくもう……と、わたしがカウンターのなかで嘆息したら、久しぶりに涼くんが口を開いた。

「悪霊はともかくさ、そんなに一緒にいるのが嫌なら、娘を連れて家を出ていけば?」

うん、それがいちばん手っ取り早いし、正論だよ。

わたしは心のなかで涼くんに拍手を送った。

ところが、百合子さんは、それを上回る正論を返したのだった。

「もちろん、わたしもその方法は考えたの。奈緒美とふたりで家を出て、新しい人生を歩むのもありかなって。でも、奈緒美は優しい子だから、子どもの頃からずっと一緒に暮らしてきたおばあちゃんをひとりにするなんて、絶対にできないって言うんです。それに、あの家を捨てるとなると、わたしもなんだか夫を裏切るみたいな気がして……」

「うん、その気持ち、分かるわぁ。だったら、こうしたらどう?」霧子さんは黒目のなかに「¥」マークを浮かべたままセクシーな唇を軽く舐めた。「とにかく急いで土地を売って、おばあさまに余生を幸せに暮らせるだけのお金をさしあげて、引っ越して頂くの。で、残りのお金は百合子さんと奈緒美ちゃんのものにして、ご主人との想い出たっぷりのいまのお家で新たな人生をスタートさせるのよ。しかも、悪霊払いをしてもらえば、もう誰も、何の心配もしなくていいし、みんなハッピーになれるんじゃない? ね、そう思わない?」

霧子さんの説には、悪霊のくだりを除けば妙な説得力があったようで、百合子さんは口を引き結んで考え込んでしまった。単純な入道さんは目のなかにハートを浮かべて霧子さんに魅入っている。唯一、冷静な涼くんがこっちを見たので、お互いに「やれやれ」という顔で苦笑し合った。

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ポッポ~♪

ふいにカウンターの背後の壁にある鳩時計から、白い鳩が飛び出した。この古めかしい時計、時刻はほどんど狂わないのに、なぜか思いもよらない瞬間に鳩が飛び出すのだ。

この鳩が変な間を作ってしまったようで、それからしばらくの間は、誰も、何もしゃべらなかった。ちょっと息苦しいような、とても馬鹿馬鹿しいような、妙な沈黙が店内に積み重なっていく。

たまらずわたしは、ため息をこらえながら、なるべく冷静な声を出した。

「あのぅ、ちょっとだけ、いいですか?」

下座のテーブルについていた四人がこちらを振り向いた。

「家族が離れるというのは誰も望んでいないようですし、とりあえずは、わたしたちが良枝さんとお会いして、ちゃんと大人の話し合いをしてみて、それで仲直りができたらいちばんですよね。まずは、そこからやってみては……」

「うん、俺もそう思う。それがまともな大人の行動だね」

未成年の涼くんに言われて、まともになり切れない大人たちはぐうの音も出なかった。しかし、その程度ではめげないのが霧子さんなのだ。

「そうね。じゃあ、カッキーの言うとおり、まずは大人のやり方でいくとして――、でも、その前に大人の良識っていうのも大切だと思うの」

大人の良識?

みんなが首をかしげていると、霧子さんはとても馴れ馴れしい仕草で百合子さんの肩に腕を回した。そして、「ちょっと、こっちにいらして」などと言いながら、なかば強引に賽銭箱の前に立たせた。

そこから先は、霧子さんの独壇場だった。

百合子さんの耳元で、ほとんど催眠術でもかけるかのように、そっと、甘ったるい声を出すのである。

「百合子さん、あのね、過去にお賽銭をケチったせいで、とんでもない罰が当たった人がいるらしいの。今回の件は、あなたの人生にとって大きな転機になるかも知れない、大切な、大切な、分かれ道でしょ? だから、念のために、余裕をもった額を奉納した方がいいと思うのよ」

「え? あの、いま、お賽銭を?」と、百合子さん。

「もちろんよ。誰でも神社でお願いごとをするときには、先にお賽銭を奉納するものでしょ? それとね、お願いごとが成就したらお礼参りをしないと。それが神道の国に生まれ育った大人の良識じゃない? さあ、ほら、みんなの優しい気持ちがひとつになっているうちに、しっかりと奉納しなくちゃね。ためらっていたら神様に失礼にあたるのよ。そうそう、たっぷりの気持ちを込めて……あら、そのくらいの額だと、どうかしらぁ……罰は当たらなくても、ちょっと結果に響くかも知れないわねぇ。あなたのたった一度きりの人生の大切な分岐点に、それでいいのかしら。娘さんの将来のことも考えて奉納することも大事なのよ――」

まさに立て板に水。霧子さんは、百合子さんの背中をやさしくさすりながら、しきりに賽銭を勧めまくっていた。

残された三人のアシスタントはというと、心の耳にピタリと栓をして、この嵐にも似た恒例行事が過ぎ去るのをじっと待つのだった。

やがて、たんまりお賽銭を奉納させることに成功したらしい霧子さんは、「あなた、偉いわ。あとは優秀なアシスタントたちに任せておいてね」と百合子さんに告げると、お役御免といわんばかりに冷蔵庫を経由して上座に戻ってしまった。そして、ふたたびロッキングチェアを揺らしはじめたのだ。

きぃこ、きぃこ……。

プシュ。

手にした缶ビールのプルタブを起こした。ひとりで祝杯をあげるらしい。

ふいに店が静かになった。

ちょうど中島みゆきのレコードも終わっていた。

賽銭箱の前にぽつんと取り残されたままの百合子さんは、ひとり狐につままれたような顔をして突っ立っていた。

「そ、それでは後日、私どもの方で良枝さんとお話をしてみる、ということで――、今日のところは、それでいいかな」

入道さんがそう言ってくれたおかげで、半分催眠状態の百合子さんをなんとか店から押し出すことができたのだった。

店のガラス窓の向こうで、ちょこんと頭を下げて夜道に消えてゆく百合子さんの後ろ姿を見送ったあと、入道さんがため息のように言った。

「なんか、喉が渇いたな。カッキー、アイスティーのお代わりをくれ」

すると、すかさず上座から霧子さんのアンニュイな声が聞こえてきた。

「カッキー、ちゃんと二杯分の代金もらうんだよぉ」

◇  ◇  ◇

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『癒し屋キリコの約束』森沢明夫

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