中島桃果子のデビュー後第一作、待望の復刊! #1 ソメイヨシノ
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「猫の目ってさ」
世の中の景色をさ、どんな風に見てるのかなあ? 空の青とか同じなのかなあ?
そう言ったのは宇宙だったっけ。
そのとき互いの目の中には互いがちゃんと映っていた気がする。
自分の目に映る景色がほんとうにそこにある景色なのか、その空は本当に青いのか、耳に聞こえる音は一体いつ震えているのか、そのすべてが不確かであるとするなら、互いの目に映る景色を尊重し、認め合い、相手の見ている景色を自分も見ようとして、手をつないで、一緒に空を見上げられることが幸せなのか、それともそんなことよりも、お互いの目の中に、お互いを確認できることが幸せなのか、実環子にはよくわからない。
猫の目に映る世界、または人それぞれの目に映る世界については実環子も考えたことがあった。きっかけはピンクだった。そしてきっかけは少しずつ色を変え、きっかけでなくなり、放物線を描いて、今、実環子の前に転がっている。
放課後の美術室で、一人夕焼けの中に居残りながら、いびつな林檎ばかりゴロゴロと机に並べて、油くさいカンバスに向かい、緑の油絵の具を溶き油で少し柔らかくして、その筆をカンバスに向けると、その瞬間どっと夕焼けが、窓から流れ込んでくる。さめざめと流れ込んでくる桃色黄金の中で、筆先の緑は、ある種、意志の彩りのようでもある。
ちょっとした色の間違いで、濁りがでてしまう水彩に比べて、実環子は油絵が好きだった。
緑だけで描いたカンバスの上に、赤をのせたっていい。でたらめに塗り重ねていくその行為の果てに現れる景色を作品と呼べることが好きだった。何度でもやりなおせるし、その度にカンバスは厚く、深みを増して行く。昨日蒼一色で描き上げたカンバスに緑を塗りこんでいくことを、今日しようと思っている。
『色というものは実在しないんですよ、目の前にある光を、頭の中で三色の信号が、パレットの上の絵の具のようにまざりあって、色を作り出すんです』教えてくれたのは竜之介だった。実環子はすかさずピンクのことを訊ねた。
「自分が見ているピンクが、人が見ているそれより強く感じる場合もありますか?」
竜之介は答えた。
「どうなんでしょう? 他の人にピンクがどう見えているかがわかりませんから。でも、僕の目に映るピンクは世間一般で言われる色味で表現すると、黒に近い状態です。特に色の濃いピンクは」
実環子が一番違和感を覚える色はピンクだった。特にショッキングピンク。あれは濃すぎる。でもあの色を全身にまとって街を歩くひともいる。そのあたりのところをつきつめて考えると、ピンクと呼ばれる光の状態が一番、脳でまざりあったときに、色味に誤差が出やすいのではないかと、実環子は思う。
地上を走る古い電車に乗って五駅目、快速でも準急でもなく普通で五駅目、そこからてくてく歩くこと二十分、下に高速道路の走るがけっぷちに不思議とすらりと立っている県立の男子高校で実環子は美術を教えている。
蒼の上に緑を乗せながら、えっと、この景色は竜之介にはどう見えるんだったかしら、と頭の中にもう一枚カンバスを描く。竜之介が恋人になってから、目に入る色々な景色を、彼仕様に変換するくせがついている。彼の音を聴きながら絵を描くことにしようと、美術室に置いてある古いオーディオにCDを入れる。しばらくするとキュルキュルとCDが回り始め、胸がキュンとするようなバンジョーの音色が、耳に届く。彼の演奏のどこが素晴らしいのかはわからない。ただずば抜けていることだけは解る。実環子にとって音楽はすべてそうだ。ひとつのまとまりとして聞こえてくるので、例えば他の楽器がまざっていたとき、聞き分けられるのは、昔習っていたピアノの音だけ。
それでも音を感じることはできる。竜之介のバンジョーには中性的な香りがある。ここにいながら、ここではないどこかへいつも連れてってくれる。そういう演奏を出来る人はあまりいないと実環子は思う。でも彼と寝てからは、その音を耳ではなくからだで聴くようになった。響きを生み出しているのは弦を弾く彼の指。手は、いやらしいと思う。人前では、かくも高潔な動きをしてすべてを上手に隠してすましているから。筆を握るわたしのこの手のひらも、弦を押さえる彼のひとさし指も、本当はもっと違った、色んな動きを知ってるはずなのに。そういうことを考えると実環子のからだは少し柔らかくなる。柔らかくなりながら、今日一日、なにか胸につかえていることについて考える。今朝、彼としたので、からだの芯に、じん、とする、電気が走るような感覚がまだ残っていて、たまに襲ってくる。それは、海で長く遊んだ夜に、寝ていると、ふとからだにぶらりぶらりとやってくる海の感覚、波の感触と似ている。でもそのことは、胸のつかえとは関係がない。胸がざわつくような何かをみたような、聞いたような。でもよくわからない。
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