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しらふで生きる 大酒飲みの決断 #1

酒こそ、人生の楽しみ、か?

古代の豪族、大伴旅人は酒飲みで、酒をむる歌十三首、というのを拵えた。どんな内容の歌かというと、結論が出ないことを考えるくらいなら、酒飲んだ方がましだっつの、とか、小頭がよくて自分を勝ち組って信じて酒も飲まないような奴ってよく見ると猿に似てるよね、とか、生まれ変わったら酒樽になりたい、といった内容の歌で、生きていくにあたってもっとも重要なのは酒を飲むことであって、それ以外のことはたいした問題ではないし、もっと言うと、どうでもいい問題である、と言い切っている。

と言うと、そんな馬鹿なことはない。人生には酒よりも大事なものがあるはずだ。と思う人は多く、かくいう自分も確かに酒は天の美禄ではあるが、それはあくまでも余禄であって、仕事、家族、将来の夢や希望、といったものは酒なんかよりももっと重要なはず、と、とりあえずビール、的にとりあえず思う。

しかし改めて考えてみると本当にそうだろうか、と思う。夏の宵。やっと吹いてきた涼しい風を心地よく感じながら冷やした焼酎を飲む。或いは、寒い冬。江戸火鉢に小鍋をかけて湯豆腐かなにかを拵えてすず銚釐ちろりで燗をつけた奴を背を丸めて飲む。或いは花に目を奪われ、虫の音に耳を傾けつつ一口、口に含んだ瞬間、確かに、「ああ、俺はこのために今日一日を頑張った」と思うし、「これがあるから明日も頑張れる」と思う。

そして酔ってくるにつれて陶然とした気分になってくる。世の中のくびきのようなものが知らぬうちに外れ、自由な気持ちになってくる。心の重しになっていた様々のこと、思うように捗らない仕事のこと、なにかとプレッシャーをかけてくる近所のおばはんのこと、なぜか敵愾心てきがいしんを燃やして策略をめぐらす同僚のこと、予期せぬ出費が重なって今月末には残高不足で引き落とし不能になるであろう銀行口座のこと。などを忘れ、純粋な楽しみ、純粋な快感に脳髄が痺れる。なにもかもがどうでもよくなる。どうとでもなれ、と思う。

鳴らない音楽が心に沁み、踊りたくなってくる。蹴飛ばしたくなってくる。抱きつきたくなってくる。そして実際に踊る。蹴飛ばす。そしてその間も、いまのこの、楽しい感じ、が途切れてしまわないように、或いは、もっと楽しくなるように酒を飲み続ける。

という具合に、改めて考えてみればそれこそが人生の唯一の楽しみであり、喜びであるかも知れない、と思い、かつまたそれは、セレブリティーという言葉から聯想れんそうされるようなこの世の物質的享楽なぞよりも遥かに優れ、遥かに気のきいた人生の楽しみ方ではないのか、と思うのである。

と言うと、「それってさあ、酒を飲むくらいしか楽しみのない人生の敗残者の負け惜しみじゃないの」と口を曲げて言う人が天現寺、或いは三宿あたりにいるかもしれない。しかし私は断言する。それは間違いである、と。

しかもそれには明確な証拠がある。なにかというと、いま言った大伴旅人である。大伴旅人は古代の豪族であり大和朝廷では地位の高い政治家であった。つまり、その天現寺の人が言うような負け犬、敗残者ではなかったということだ。その大伴旅人が、酒を讃むる歌十三首を作っているのだから、酒というものは言われるような人生の落伍者・敗残者の玩弄物ではない。

と言うと、しかし今度は神保町とかから人が来て、「いやさ、君は無学無残なパンク上がりだから知らんだろうが、大伴旅人は政治的に敗北して、九州の博多らへんに飛ばされて、そこでやけくそになって酒を飲んで作ったのが、酒を讃むる歌十三首で、つまり負け犬が拵えた歌、ってことなんだわ。これくらいのことは覚えておいた方がいいよ」とご親切に教えてくださって、いっやー、世の中というのは捨てたものではないなあ。言霊のさきわう瑞穂の国では人情というものは、なにがあっても廃らないのだなあ、と心の底からありがたくかたじけなく、涙とかもむっさこぼれるが、申し訳ない、実は俺だってそれくらいのことは知っている。

知ったうえで大伴旅人は敗残者ではないと言っているのである。なぜかというと、神保町から来た人が大伴旅人を敗残者としたいあまり、知っているくせにわざと言わないでいる事実を私は知っているからで、その事実がなにかというと、そうやって大酒を飲んで、生まれ変わったら酒樽になりたい、とか言っていた大伴旅人がその後、中央に戻って大納言という高い役職に就いているという事実である。

つまり何年かの地方勤務の後、栄転したということで、普通に考えれば、これはスイス大使とかインドネシア大使とかを何年か務めた後、中央に戻って事務次官になったと解釈すべきで、つまり大伴旅人は敗残していないのである。というか古代において大納言というのは事務次官どころの騒ぎではなくいまでいう内閣総理大臣にも匹敵する役職で、ムチャクチャに出世したと言っても言い過ぎではない。

つまりなにが言いたいかというと、大伴旅人は大酒飲みではあったが途轍もない出世をした。このことからも知れるように、飲酒は惨めな敗残者にとっての唯一の楽しみではなく、典雅な和歌の世界にも通じる、文化的芸術的要素すら帯びた人間の行為であり、これを嗜まぬ人ははっきり言って猿であり、そういう人こそ逆に、猿回し観賞くらいしか楽しみのない文化度・開明度の低い気の毒な人である、ということを言いたいのである。

なので言ったのであるが、まあそういう訳で私は二十歳のとき、酒を讃むる歌十三首を読んで以来、大伴旅人だけを信じ、大伴旅人の言うとおりに生きてきた。

だからといって大納言になった訳ではない。というか、少納言にすらならなかった。

ではなにになったか、というと大酒飲みになった。どれくらい大酒飲みになったかというと、そうさなあ、日本酒で言えば一升を飲んで、ドカベンの物真似をしたり、ギターを爪弾きつつ、「港町ブルース」をエスペラント語で歌う、くらいな酒飲みにはなった。

そんなだから、私が酒飲みということは世の中にも知れ渡り、よく知らない人からも、「たいそう召し上がるそうですなあ」と言われた。名うての酒飲み、ということになったのである。

さあそうなれば天下御免という訳ではないが、少々、酔っ払っていても、「ああ、あの人は酒飲みだから」ということで、風景として受け入れられるようになった。

それをよいことに飲みに飲んで、差されれば必ず受け、差されなくても手酌で飲んで斗酒をなお辞さない生活を三十年間にわたって続けた。

もちろんそれによってヘマをやらかすこともあった。師匠に当たる人に議論を吹きかけ破門にされたこともあった。友人と些細なことから口論となり長年の友情に終止符が打たれたこともあった。ご婦人に戯れかかり袋叩きにあったこともあるし、寿司屋で泥酔の挙げ句、「おまえの握り方はなんだ。私を誰だと思ってるんだ。私は本場パリの日本料理店でみっちり三日間修業をした人間だ。どけっ。手本を見せてやる」と言ってカウンターを乗り越えてなかに入り寿司を握ったことさえある。

まったくもって命がいくつあっても足りないようなことばかりしてきた訳で、こうして改めて書きだしてみると背筋が寒くなる。

また、いずれも酔余のことなので、醒めた後、記憶を辿って青ざめるのが常であったが、けれどもその都度、大伴旅人に思いを馳せて乗り切り、どうしても反省しそうになったときは、酒を讃むる歌十三首を念仏のように唱えて乗り切ってきた。

ただし昼から飲むことはしなかった。なぜかというと、昼酒もよいが、それをすると中毒患者になる可能性がないとは言えないと考えたからである。

また仕事を終えないうちは飲まない、という原則も設けた。なぜなら、大伴旅人だって大宰帥や大納言という職務を全うしたからこそ思うさま酒を飲めたわけで、要するに酒は只ではなく、それを買うためのカネを稼がなければならないからである。

というのはしかし酒徒でない普通の人にとっては顚倒した理論であろう。なぜなら人は酒のためだけに働くのではないからである。

ところが大伴旅人理論をきわめるとそうなる。すなわち、人生の目標、目的は酒を飲むことであり、すべては酒のために存在する。なにもかもが酒を中心として回転するようになるのである。

まあ、それはそうとしてとにかく、昼間は飲まない、そして、仕事が終わるまでは飲まないという方針を打ち立てた私は、仕事はなるべく午前中に済ませる。午後四時以降は仕事をしない。などの運用上の工夫をしながら三十年間、一日も休まず酒を飲み続け、生きていればいろんなことがあるが自分の人生に概ね、満足し、このまま飲み続けて、まあ、あと二十年くらいしたら死ぬのだろう、と漠然と思っていた。ところが。

ある日、大変化が起きた。

◇  ◇  ◇

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