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悪党を叩き続けろ――。八神瑛子に最大の危機が迫る警察小説シリーズ最新刊! #2 ファズイーター

警視庁上野署の若手署員がナイフを持った男に襲われ、品川では元警官が銃弾に倒れた。一方、指定暴力団の印旛会も幹部の事故死や失踪が続き、混乱をきわめていた。組織犯罪対策課の八神瑛子は、傘下の千波組の関与を疑う。裏社会からも情報を得て、カネで飼い慣らした元刑事も使いながら、真相に近づいていく八神だったが……。

累計46万部突破の「組織犯罪対策課 八神瑛子」シリーズ。その最新刊がこちら、『ファズイーター』です。手段を選ばない捜査で数々の犯人を逮捕してきた八神も、ここで終わりなのか? ぜひその目で確かめてください!

*  *  *

モニターの清谷らしき男が後ろを振り返った。ヤクザらしい剣呑な目つきで、店内を盗撮している大木を胡散臭そうに見やった。大木は焦ったのか、慌てて身体を厨房に向ける。

モニターから清谷の姿が消えはしたものの、はっきりとツラを見せてくれたおかげで、本人と断定できた。無精ヒゲを伸ばし、腹回りに脂肪をでっぷりとつけるなど、以前と大きく姿は変わっていたが。
 
厨房で働いている店長にしろ、東南アジア系のコックにしろ、準構成員や共生者に過ぎず、斐心組にとってはただの逮捕要員だ。店長の田端は前科九犯の懲役太郎で、これまでも印旛会系の組織のもとで、裏カジノの支配人や裏DVDの販売に従事してきた。得意技は完全黙秘で、口が堅いことに定評がある。
 
だから清谷の出入りを押さえられたのは大きい。清谷の線から洗っていけば、他の密売拠点や卸元を突き止められるかもしれない。
 
「お疲れ様。あなたは百二十点の仕事をこなした。もう配達員に徹してくれればいいから」
 
瑛子は大木に優しく語りかけた。
 
大木がひどく緊張しているのは息遣いなどからわかる。一介の台湾料理店かと思いきや、札付きのアウトローが店長で、バックには現役ヤクザがいるのだ。ガチガチになるのも無理はない。清谷の暗い目つきが気になった。
 
清谷は斐心組のなかでも売り出し中の若衆だった。高校はまともに出てはいないが、少年院と刑務所で簿記を学んだ。渡世入りしてからも向学心は衰えず、ビジネス会計検定試験二級の資格も持っていた。
 
斐心組の裏商売を統括する『サウザンド・コンサルタント』に出入りすることも許され、将来は組織の金庫番として、親分の甲斐を支える気でいた。全身に彫り物を入れてはいるが、甲斐を真似て極道臭をなるべく消し、羽振りのいい若手実業家のような恰好をしていた。
 
それが身だしなみもだらしなく、一介の密売人にまで落ちぶれた姿は、今の斐心組の零落と、千波組の荒くれぶりを象徴しているかのように見える。
 
〈だいぶ待たせちまった。悪い、悪い。こいつを急いで頼むわ〉
 
店長の田端が、人なつっこい笑みを浮かべながら、プラスチック容器をカウンターに置いた。なかには例のスープもある。
 
〈わかりました!〉
 
大木が元気よく返事をした。恐怖のせいか声を裏返らせている。バッグに料理を急いで詰めこむ。
 
大木の分を終えると、コックが竹ササラを使って中華鍋を洗い、大量の汗を滴らせながら、ギラギラとした目つきで次の料理に取りかかった。彼も覚せい剤を喰らっているのかもしれない。
 
モニターに店の出入口が映った。大木が料理を入れたカバンを背負って店を出る。ひとまず安心したのか、深々とため息をつく。
 
大木がクロスバイクにまたがろうとしたとき、店の出入口のほうで物音が響いた。モニターには映っていないが、引き戸が激しい勢いで開けられたのだとわかった。
 
「出前のあんちゃん、ちょっと待てや!」
 
清谷と思しき男の怒声が耳に届いた。
 
瑛子が立ち上がって、組対課員に声をかけた。
 
「大木の安全を確保。至急、家宅捜索をかけましょう」
 
「了解」
 
井沢の手には家宅捜索令状があった。
 
令状はすでに取っていたが、田端の背後にいるケツ持ちの正体を見極めたかった。清谷だと判明した以上、密売をこれ以上放ってもおけない。
 
組対課員たちも一斉に腰を上げる。モニターの画面が、まるで大地震にでも遭ったかのように激しくブレだした。
 
「店には大きな包丁や中華鍋もある。各自注意を怠らないように」
 
部下たちに指示を出すと、瑛子が一番に部屋を飛び出した。マンションの外廊下へと移る。
 
『台北菜館』に目をやった。半袖のサイクルジャージを着用した大木が、清谷にバッグを摑まれ、クロスバイクから下ろされていた。
 
「か、勘弁してください。おれ、なにも見てないです。知らないです」
 
苛立った顔の清谷が問答無用で大木を店内へと引きずり込もうとしていた。
 
瑛子は外廊下の柵を乗り越え、二階から公道へと飛び降りた。高さ三メートル以上はあったものの、膝のクッションを使って、アスファルトのうえに着地する。
 
ベルトホルスターから特殊警棒を抜くと、店の前まで全力で駆けた。清谷が瑛子に気づき、険しい顔つきになる。大木を忌々しそうに放り捨てると、彼のクロスバイクを担ぎ上げて、瑛子へと投げつけてきた。
 
瑛子は横にステップし、かわそうとする。ペダルがウインドブレーカーの袖を掠める。
 
清谷は企業舎弟の経営管理や金勘定に長けていた印象があり、決して腕自慢の肉体派ではなかった。四ヶ月前、元ヤクザと外国人の混成強盗団に、『サウザンド・コンサルタント』が襲撃され、甲斐も含めて双方に死傷者が出た。清谷も重傷を負ったひとりだ。強盗団のベトナム人にナイフの柄で頭をさんざん打ちのめされている。後頭部の傷跡はそのときにできたものだ。

追いつめられた者は往々にして思わぬ怪力を発揮する。清谷は瑛子に背を向けて公道を走り出した。
 
瑛子は後方にすばやく目をやる。井沢も外廊下から飛び降りたのか、路上で受け身を取っていた。他の捜査員は階段を下りて、マンションの玄関から飛び出してくる。
 
井沢に目で命じた。『台北菜館』のブツを押さえて、田端らを捕まえろと。瑛子自身は清谷を追う。
 
ごつい刑事がひしめいていたとはいえ、部屋のなかは冷房が効いていた。外に出てみると、夜遅い時間にもかかわらず、べっとりと湿気を含んだ暑さで淀んでいる。昼間に陽光を浴びたアスファルトが、未だに熱を含んでいた。わずかな距離を走っただけだが、全身から汗が噴き出した。
 
逃亡する清谷の発汗量は瑛子と比べものにならなかった。バケツの水をかぶったように、すでにぐっしょりと汗で濡れそぼっている。
 
彼は賑やかな御徒町方面へ逃れようとした。陸上競技やジョギングをした経験はないらしく、フォームはガタガタだ。百メートルも走らないうちに速度が落ちてくる。
 
清谷は道路の真ん中で足を止めた。逃亡は諦めたようだ。ジーンズのポケットに手を突っこみながら振り返る。
 
彼はポケットから束ねた一万円札を取り出した。肩で息をしながら、札束を瑛子の足元に放った。
 
「これで目つむれや、婦警!」
 
札束を一瞥してから清谷を見据えた。不愉快そうに顔を歪めてみせる。
 
「なにこれ。ナメられたものね。こんなチンケなカネでどうにかなるとでも?」
 
瑛子は特殊警棒を正眼に構えた。汗が目に入るらしく、清谷は瞬きを盛んに繰り返す。
 
清谷は歯を剥いて怒鳴った。
 
「なるだろうがよ。甲斐とちんかもの仲だったじゃねえか!」
 
清谷と対峙しながらも、組対課員が『台北菜館』に突入するのがわかった。刑事たちの怒声が背後で轟いている。
 
「マフィアの中国女とも寝れば、仲間相手に金貸しまでやってるだろう。てめえがワルだってのは、みんな知ってんだ。カネが足らなきゃ後で運ばせる!」
 
清谷が口を尖らせてわめいた。まるで教師に悪事がバレて、逆に喰ってかかる悪ガキのようだ。
 
瑛子は鼻で笑ってみせた。
 
「確かに甲斐とはいい仲にあった。あんたみたいなふにゃちんの三下と違って、この警棒よりもぶっといのを持ってて、何度もイカせてくれた」
 
「なにを――」
 
清谷が絶句した。瑛子は路上に唾を吐いた。
 
「あいつが生きていたら、こんなみっともない薬局なんか縄張り内に作らせたりはしなかった。斐心組はおまんこ野郎ばかりになったと言ってるの」
 
薬局とはクスリの密売拠点を指す。もともと、覚せい剤の密売は極道社会のなかでも下劣なシノギとして蔑まれている。
 
「……もういっぺん言ってみろや」
 
清谷の顔から血の気が引いていった。
 
彼は唇を小刻みに震わせながら、再びポケットに手を突っこんだ。フォールディングナイフを取り出すと、片手で刃を開いた。
 
「何度でも言ってあげる。甲斐はきっと草葉の陰で頭を抱えているはずだと」
 
清谷がフォールディングナイフを抱えて、突っこんできた。
 
瑛子は避けなかった。腹筋と下半身に力を込めた。清谷がフォールディングナイフごと体当たりをしてくる。
 
衝撃で数十センチほど後ろに下がった。履いていたスニーカーの靴底がアスファルトに擦られる。それでも歯を食い縛って、身体を正面から受け止める。剣道場での稽古では、もっとごつい巨漢が体当たりをしてきて、瑛子の体勢を崩そうとする。
 
清谷のほうが驚いた顔を見せた。ナイフの刃先は、瑛子のウインドブレーカーを突き破り、胃のあたりに当たっていた。
 
刃は身体にまで到達していない。なかにインナータイプの防刃ベストを着こんでいる。高密度ポリエチレンファイバーの生地が刺突を防いでいた。覚せい剤の密売拠点を叩くとなれば、最低でもこれぐらいの装備は欠かせない。
 
とはいえ傷ひとつつかないわけではない。細い金属棒で突かれたような激痛に襲われる。きっとひどいアザが腹にできるだろう。
 
反撃に出た。膝蹴りを繰り出し、清谷の股間を打つ。陰囊がぐにゃりと潰れるのを膝頭を通じて感じた。
 
「あっ」
 
清谷は目を固くつむり、四つん這いに倒れた。
 
瑛子はスニーカーで、彼の右手を三度踏みしめた。清谷が抵抗してくる様子はない。手の骨まで砕けたのか、清谷の右手からフォールディングナイフが離れた。清谷の手の届かぬところまで蹴飛ばす。
 
清谷は顔を汗と涙で濡らしていた。
 
「淫売刑事が。てめえに……てめえになにがわかるってんだ」
 
瑛子はなにも言わなかった。特殊警棒で清谷の鎖骨に一撃を加える。
 
清谷が苦痛に顔を歪める。瑛子は清谷の両腕を後ろに回して手錠をかけた。清谷をうつ伏せに倒す。
 
清谷を挑発して攻撃を誘った。だが、挑発に乗ってしまったのは、むしろ瑛子のほうかもしれない。逆上したのは瑛子も同じだ。
 
――悪党を叩き続けろ。
 
それが甲斐の遺言だった。落ちぶれた密売人を、怒りにまかせてぶん殴れと言っていたわけではない。

◇  ◇  ◇

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