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集大成だった「ロシアW杯」を終えて、香川真司が痛感したこと #4 心が震えるか、否か。

欧州で10年、戦ってきた。重圧にさらされ、迷い悩んだときに、大切にしてきた心の指針がある……。日本代表で長年、背番号10を背負い、欧州主要リーグで日本人選手ナンバーワンの実績を挙げてきた香川真司。最近ではベルギー1部リーグ・シントトロイデンへの移籍が話題となり、さらなる活躍が期待されています。そんな彼の初著書『心が震えるか、否か。』は、サッカーファンならずともためになる、深い人生哲学がつまった好著。一部を抜粋してご紹介します。

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「これが自分にとって最後のW杯なんだ」

翌日、拠点となっていたカザンの宿舎でロシアW杯の日本代表として最後に取材を受けることになった。記者からは、代表を退くつもりなのか聞かれた。

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ベテランの域に入っても自ら代表を退く気はないと宣言する選手がいる一方で、長谷部や本田のように代表引退を明言した選手、代表引退という表現は使わず、「次のW杯は目指さない」と語った酒井高徳のような選手もいた

香川はこの時点で29歳。次の大会は33歳で迎えることになる。だからこそ、メディアから去就についての質問が寄せられたのだろう。もっとも、そこで的確に答えられたわけではない。

「4年前のブラジルW杯のときは、心のどこかで『仮に負けたとしても、次のロシア大会があるだろう』と考えてしまう部分はあったと思います。だから、この大会を迎えるにあたって、そういう甘さをなくすために、4年後のことは考えないでやってきました。『これが自分にとって最後のW杯なんだ』と、それくらいの覚悟でやってきた

そういう気持ちで戦ってきたなかで、昨日、ああいう結末を迎えて。今すぐにその答えはわからないです。休養が必要で。まずはしっかりと気持ちも、身体も休めて、整理していきたいなというのが本音としてはあります」

とりわけ、2月に怪我してからは、ロシアW杯のあとのことに目を向けている余裕など1ミリもなかった。聞く側にとってはスッキリしない答えになっていたはずだが、それがあのときの香川の偽らざる本心だった。

ベルギー戦の2日後、7月4日にカザンを離れた。この大会の健闘を受けてスポンサーが用意してくれたチャーター便が日本についたのは、5日のことだった。

6日の夜にはお世話になった人たちを招いて、行きつけのもんじゃ焼き屋さんで打ち上げとお礼を伝える会を開いた。そのあと、都内のホテルに戻ることもなく、羽田空港を発つ深夜便で南国へと飛び立った。全てをリセットして、何も考えずに過ごす時間が必要だった

〈FROM SHINJI〉

頭も心も、からっぽだった。 W杯の初戦を迎えるまでは時間がたつのがあんなにもゆっくり感じられたのに、始まってしまえばあっという間だった。あの感覚をもっと長く味わっていたかった。

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怪我をしてから3ヶ月ほど試合に出られなかったので、大会前にわずかな不安はあった。それでも、コンディションの調整などは上手くできた。走行距離などのデータに表れている部分もそうだし、自分のなかの感覚としても、調子が上がっているという確かな手ごたえがあった。

だから、7月2日を迎えたとき、不安なんて一切なかった

ベルギー戦でも前半からフィーリングは良かったし、ボールを受ける回数も増えて、攻守両方で個人的に良いリズムでやれていたと思う。

ただ……。

W杯を通じて、僕は『バイタルエリア』と呼ばれる相手のゴールを狙える位置で、どれだけ効果的に味方からのパスを受けられていただろうか。

相手の脅威となるような攻撃をどれだけ仕かけていけたか

あとになって振り返ってみれば、その部分では課題が残った。

例えば、乾が大会を通して2ゴールを決めたのは、彼が自分の得意な形からのゴールにこだわって、ブレずに、シュートを狙い続けていたからだと思う。

それに対して、自分はどうだったか。

この数年の僕は、自分の良さを活かすことより、チームメイトの良さを上手く活かすようなプレーが増えてしまっていた。自分を押し殺してまで周囲の良さを引き出そうと考えていたつもりはない。

でも、知らず知らずのうちにそういうプレーが増えてしまったのだと思う。その代わりに、ドリブルで仕かけていく回数も、かつて岡田(武史)さんなどが評価してくれた相手が嫌がるような攻撃的なファーストタッチも、失われつつあった。

その結果、僕はミスの少ない選手にはなれたのかもしれない。ひょっとしたら、その方が監督にとっては、使い勝手は良いのかもしれない。守備的なポジションの選手であれば、それも成熟といえるだろう。

でも、攻撃的なポジションの選手の場合は、それを成熟とは呼ばない

乾だけではない。ベルギー代表に目を向ければ、デ・ブライネもE・アザールも、所属チームにいるときと同じように、彼らにしかできないゴールに迫るプレーを見せ続けていた。

あの試合でE・アザールはゴールを決めたわけでもないのに、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。それくらいインパクトを残した彼のプレーを見て、改めて「すごいな」と思った。日本のゴールに近いところでボールを持てば、とにかく、仕かけていこうとする姿勢があった。

日本にE・アザールはいない。でも、攻撃の中心選手ならば、ベルギー代表における彼のように、苦しいときにチームを引っ張らないといけない。僕はそういうプレーをしないといけない立場だったし、何より、ああいう風にチームを引っ張りたかった。

そのためにはどうしたらいいか。そういうプレーを無意識に繰り出せるくらいに、普段から仕かけていくしかない。もっとリスクを背負ってでも、勝負しないといけない

それを気づかせてくれたのが、自分にとって集大成として臨んだロシアW杯だった。

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心が震えるか、否か。 香川真司

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