これは警察への挑戦か? 八神瑛子に最大の危機が迫る警察小説シリーズ最新刊! #4 ファズイーター
警視庁上野署の若手署員がナイフを持った男に襲われ、品川では元警官が銃弾に倒れた。一方、指定暴力団の印旛会も幹部の事故死や失踪が続き、混乱をきわめていた。組織犯罪対策課の八神瑛子は、傘下の千波組の関与を疑う。裏社会からも情報を得て、カネで飼い慣らした元刑事も使いながら、真相に近づいていく八神だったが……。
累計46万部突破の「組織犯罪対策課 八神瑛子」シリーズ。その最新刊がこちら、『ファズイーター』です。手段を選ばない捜査で数々の犯人を逮捕してきた八神も、ここで終わりなのか? ぜひその目で確かめてください!
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「照会をかけたところ、竹石には軽犯罪法違反の前歴がありました。アーミーナイフを理由もなく所持していたとして、万世橋署管内で職務質問に遭って逮捕されてます」
「アーミーナイフというと、十徳ナイフの類か」
「はい」
富永の心のなかでじわりと不安が広がった――またなのか。竹石は警察組織に対して強い反感を抱いていたのではないか。
今は沈黙しておくしかない。まだ竹石に対する取り調べは始まってもいないのだ。たとえ非公式の場とはいえ、署長という立場にある以上、軽々しくものは言えない。
近頃は警察組織に対する風当たりが激しい。きっかけのひとつは強引な職務質問がメディアに取り上げられたことだった。
先月、東京都が電気設備工事会社代表の男性に、違法な取り調べや身体拘束があったとして提訴された。
男性が工事を終えた夜、コンビニに立ち寄ったところ、警視庁町田署員に職務質問を求められた。社用車のなかに電工ナイフやマイナスドライバーがあったため、町田署員が男性を軽犯罪法違反で逮捕し、翌朝まで勾留したのだ。
男性の訴状によれば、町田署員に衣服のうえから男性器や肛門を執拗に触られ、承諾もなしに所持品検査をされたばかりか、コソ泥と決めつけるような暴言まで吐かれたという。
警視庁は町田署員による暴言を否定し、あくまで適正な職務執行だったと答え、東京都も争う姿勢を見せている。
富永も警察組織の一員である以上、むやみに仲間を疑うわけにはいかない。ただし、工事関係者が仕事道具として刃物類を所持するのは当然であり、軽犯罪法違反として取り締まるのは無理があったと考えている。
先月は職務質問強化月間で、本庁が各署の地域課員に実績を上げろと発破をかけていた。上野署も例外ではなく、地域課長の根岸が各交番所長を巧みにおだてつつ、発憤させていたものだ。
強化月間以外でも、今年の警視庁は“世界一安全な都市、東京”をスローガンに、セキュリティ対策に力を入れている。米国大統領が来日し、アフリカや中東各国のVIPの訪問も続いている。
要人らの安全確保やテロを未然に防ぐため、そのたびに厳重な警戒態勢が敷かれてきた。つまり、それだけ市民に声をかけては“協力”を求め、バッグや車のなかを探ってきたのだ。
卒配されたばかりの新人を鍛えるため、積極的に声かけをさせてもいる。子供から高齢者までまんべんなくコミュニケーションが取れないようでは話にならないからだ。犯罪の発見や検挙の端緒を摑むため、職務質問は警察官にとって重要な武器だ。技術を若手へ継承させる意味もあり、強化月間などを設けて職務質問を励行している。
しかし、上を満足させるため、むやみやたらとこの武器を行使する場合もある。町田署の例もこれに当てはまる。実績を作るため、所持する理由があるにもかかわらず、銃刀法や軽犯罪法違反として市民を不当逮捕するケースだ。安全な都市を作り上げるために、市民の営みを阻害しては本末転倒といえる。
職務質問はあくまで市民の自発的な協力があって目的を達成できる。その原則を忘れ、新人を鍛える練習台に使ったり、実績作りに利用するなどあってはならないのだ。
大久保が再びタブレット端末を操作した。富永に画面を見せる。
「こちらはご存じでしたか?」
画面には動画サイトが表示されていた。
タイトルには『態度クソ悪すぎ上野警察』とあり、富永は思わず眉をひそめた。
「な、なんだこれは」
「顔見知りの記者から教えられましてね」
大久保がイヤホンをタブレット端末につないだ。富永はそれを耳につけて動画を再生させた。
画面にはふたりの警察官が映っていた。富永は目を凝らす。襲われた本人である馬淵と、同じ池之端交番の巡査部長だ。風景を見るかぎり夕方の不忍池付近で、ふたりの警察官の後ろには両生爬虫類館の四角い建物が見える。
動画撮影者と思しき男性が早口でまくしたてていた。
〈職務質問は任意ですよね。だからぼくは拒否しますよ。免許証見せても構いませんし、なにも怪しいものなんて持ってませんよ。だけど、そちらは警察手帳もちゃんと提示しないし、いきなり懐中電灯で照らされて目がチカチカするんです。それじゃ協力したくても――〉
馬淵は迎合するような笑みを浮かべようとしているが、目はまるで笑っていなかった。ぶっきらぼうな口調で言い返す。
〈さっき見せたでしょ。構わないのなら、お願いします〉
〈あなたが馬淵さんってことはわかりましたよ、馬淵さん。だけど、すぐに手帳を引っ込めたじゃないですか。それに懐中電灯で暴力振るっといて、協力もなにもないでしょ〉
〈暴力ってあんたさ〉
馬淵が呆れたような表情を見せると、さらに撮影者はヒートアップして揚げ足を取った。
〈あんたとはなんだ、あんたとは! 〉
動画は二十分近くにも及ぶ。全部を見ている時間はない。何度かスキップする。
馬淵と撮影者が免許証の確認をめぐり、ダラダラとやり取りを繰り広げている。とくにオチがあるわけでもない。辟易した様子の馬淵とひたすら協力を拒み続ける撮影者が揉めたまま終了した。
タイトルこそ『態度クソ悪すぎ』と刺激的ではあるが、公安畑にいた富永からすれば、馬淵の態度は穏当といえた。
現在の上野署には、態度も思考も極めて荒っぽい刑事がいる。八神の姿が脳裏をよぎった。
大久保が怒りをにじませた。
「撮ったのはチンケなユーチューバーですよ。こっちをさんざん挑発しちゃ、職質されたのをネタにして、再生回数を稼いでるような輩です」
三ヶ月前にアップロードされ、再生回数は二万五千回に達していた。
馬淵らが着ていたのは春秋用の合服だった。木々の葉や人々の衣服の様子からも、撮られたのは五月だろう。三ヶ月間、馬淵らの姿がネット空間にさらされていたことになる。
動画投稿主は上野署だけに限らず、茨城や栃木でも同じように警察官と衝突しては、その模様をアップロードしている。自動車で移動し、二十四時間営業のスーパーや牛丼店の駐車場などで、現地の警察官とバトルを繰り広げていた。
撮影者本人も映っている。無精ヒゲを伸ばした肥満の中年男で、薄汚れた迷彩色のジャケットを着ていた。サバイバルナイフや違法なカスタムエアガンでも出てくるのではないかと、職務質問を誘っているかのような恰好だ。撮影者は警察官の習性を巧みについていた。
大久保に尋ねた。
「犯人はこれを見ていたのか?」
「それはまだわかりません」
富永はため息をついた。かりに犯人の竹石がこの動画を見て、馬淵をターゲットに選んだとすれば由々しき問題だ。
昔から警察組織に対する挑発や攻撃はあった。過激派や愚連隊、酔っ払いや暴走族などだ。今はSNS上で目立とうとして、警察官をおちょくる者や、広告収入目当てで過激な動画を作るために警察組織を利用する者もいる。
警察官にも肖像権はある。ただむやみに煽る目的で警察官を撮影すれば肖像権の侵害にあたるが、かりに市民から敵対的な態度を取られたとしても、警察官はあくまで理性的な対応が求められる。
だからといって襲撃の標的にされるいわれはない。未来のある若手警官が危うく命を落とすところだったのだ。
指が再接着するかどうかも重要だが、彼の精神面も心配だ。殺されかけた恐怖は簡単には消えない。今後は先ほどの動画のように耐え忍べるだろうか。警察官としての勇気を保てるかが気になった。
「署長」
大久保が廊下に目をやった。
看護服や白衣をまとった人々が行き交うなかで、ワイシャツ姿の男ふたりが入ってきた。ひとりは五十代前半くらいで、頭髪のほとんどが白髪だ。もうひとりは富永と同じく四十代、念入りに染めているのか真っ黒な髪をしていた。
どちらもきっちりと七三に分けたヘアスタイルで、地味なネクタイを緩みなく締めている。銀行員のような堅い恰好だが、摑み所のない目つきを見て同業者だと気づいた。
「手術中ですか……。馬淵巡査が負った傷がそこまで重かったとは」
能面みたいに無表情のまま、淡々とした口調で話しかけてきた。
「あなたは?」
「失礼しました。人事一課監察官の中路高光です」
大久保が小さくうめいた。
「人事一課……」
中路は警察手帳を見せた。
警視庁人事一課は、警部以上の階級にある警察幹部や、それに相当する一般職員の人事を扱うセクションだ。“警察のなかの警察”と呼ばれる監察係もこの部署にある。監察官は、警察職員服務規程や規律違反が疑われる者に対する調査と取り締まりを行う。仲間から怖れられ、そして嫌われる存在でもある。
富永は中路を見据えた。
「監察係がなんの用ですか」
中路は手術室のドアを見やった。
「むろん、今回の件での調査です。池之端交番はまだ新米といえる警察官に、なぜひとりで留守番をさせたのか。馬淵巡査の対応や勤務体制に問題がなかったのかを調べる目的で参りました。当の本人に話をうかがいたかったのですが――」
「冗談じゃない! こっちは犯人をとっとと送検しなきゃならないんだ。そんなもん、後にしてくれよ」
大久保が声を荒らげた。
通りかかったマスク姿の看護師に厳しい顔つきで睨まれた。富永は大久保に声の音量を下げるよう目で命じる。
「『そんなもん』とは聞き捨てなりませんね」
中路は不愉快そうに眉をしかめた。
「かりに馬淵巡査がひとりでなければ、果たして事件は起きていたでしょうか。離島や山奥の駐在所ならいざ知らず、事件事故が多い上野署管内で警察官がひとりきりになることが、どれほど危ういのかは、富永署長がよくご存じだと思いますが」
中路はのっぺりとした顔立ちで、口調は淡々としている。まるで無感情なロボットのように見えたが、富永への嫌味が見え隠れしている。
彼は“ひとり”と“危うい”の部分をことさら強調していた。上野署にはひとりで動きたがる危うい捜査官がいる。八神のことを示唆しているのだ。
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