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優子ちゃんはどんなパンが好き?…ささやかだけど眩い青春の日々 #4 うさぎパン

高校生になって、同級生の富田君と大好きなパン屋めぐりを始めた優子。継母と暮らす優子と、両親が離婚した富田君。二人はお互いへの淡い思い、家族への気持ちを深めていく。そんなある日、優子の前に思いがけない女性が現れて……。ささやかだけど眩い青春の日々を描いた、瀧羽麻子さんの『うさぎパン』。「ダ・ヴィンチ文学賞」大賞にも輝いた本作の、ためし読みをご覧ください。

*  *  *

あまり自己紹介向きではなかったけれど、実際、わたしは本当にパンが好きだ。三食パンでも全然困らない。食べるだけではなく作るのも好きで、週末には必ず焼くことにしている。ミドリさんもパンが大好きなので、この習慣は歓迎されている。

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中学でもそうだったけれど、女の子にはパン好きが多い。ホームルームの直後の休み時間にはいろんな子がわたしの机の周りに来て、おすすめのパン屋さんを教えてくれた。わたしが転校生気分を味わっているのと同じように、みんなはわたしが引っ越してきたような感覚でいるのだろう。実際にはわたしは生まれも育ちもここなので、たいていのパン屋さんは知っているのだけれど。

聞くところによると、わたしたちの住んでいるこの街は、人口に対してのパン屋・洋菓子屋の数が日本全国の中でもトップらしい。誰が調べたのかは知らないし、本当なのかもわからないけれど、市民の間ではけっこう有名な話だった。

うちから駅までのたった十五分足らずの距離に、パンとケーキを合わせると十軒ほどもお店がある。電車通学をしていた頃は、朝歩いているとパンのいいにおいが漂ってきたものだ。

当然のことながら競争も激しく、新しいお店ができても、人気が出ないとすぐにつぶれてしまう。結果的に、味はかなり高い水準に保たれることになる。

港町として栄えた昔から、多くの外国人を受け入れて異国の文化を吸収してきた土地だから、というのがその理由だそうだ(「進取の気象」っていうのよ、とやはりこの街の住人である美和ちゃん)。言われてみれば、歩いていて外国人とすれ違うことはよくあるし、そのための住宅も多い。ミッシェルのオーナーパティシエも、フランス人と日本人のハーフだと聞いたことがある。

母国からはるか離れたアジアの小さな島にやってきた西洋人たちにとって、おいしいパンやケーキはどんなにか心の慰めになっただろう、なんて思いをはせてしまう。おかげで、わたしたちはシビアな競争を生き残ってきたおいしいパンをいただけるというわけ。ありがたい。

この高校の近くにも、評判のいいお店が多いらしい。

「今度、お昼休みに買いに行こうよ」

早紀たちに誘われて、

「学校抜け出していいの?」

びっくりすると、

「こっそり行くに決まってるじゃん」

とあきれられる。じゃんけんで負けた子がふたりくらいで、みんなの分を買いに行くのだという。

「でも大丈夫、先生だってそうしてるひと多いもん」

ねー、と女の子たちが顔を見合わせて笑う。わたしは、なつかしい女子校の空気を少しだけ思い出す。

富田くんはそのときは会話には入ってこなかった。教室のすみっこのほうで、男の子どうしでかたまって楽しそうに騒いでいるのが、机の前に立つ早紀の肩越しに見えた。一度だけちらりとこちらを見て、にっと笑った気がしたけれど、気のせいだったのかもしれない。

「ね、裏門のそばにできたケーキ屋さんもう行った?」

いつのまにか、早紀たちの話題は新しくできたそのお店のケーキバイキングのことにうつっていた。

「優子も行くでしょ?」

初めて下の名前で呼ばれ、わたしはどぎまぎしながらうなずいた。


「で、優子ちゃんはどんなパンが好きなの?」

一週間ほどして、帰り道にたまたま富田くんに会った。唐突に聞かれ、わたしはまたしても緊張した。しかも、優子ちゃんって呼んだ、今?

「かたくて甘くないパン」

動揺をなんとか隠しながら答えると、

「おれも、おれも」

うれしそうに言う。富田くんは、笑うと犬みたいな顔になる。くしゃくしゃのくせのある髪も、お隣のジョンを思い起こさせた。ジョンは雑種の大きな犬で、わたしが門の前を通るたびにウオン、とあいさつがわりに一声だけほえる。ぱたぱたと激しくしっぽを振りながら。

「パンが好きってほんとだったんだ」

少し意外な気がした。あの気まずい沈黙を破るために、話を合わせてくれたのだとばかり思っていた。

「自己紹介で嘘ついたらだめでしょう」

富田くんは屈託なく笑う。

「じゃあさ、バゲットとかくるみパンとか好き?」

「好き、大好き」

勢い込んで言うと、

「パンが好きってほんとだったんだー」

わたしの口調をまねて、そのままくりかえす。思わずふきだしてしまった。

「自己紹介で嘘はちょっと」

わたしはすっかりうちとけていた。

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それからひとしきり、パン談義になった。お互いのパンの好みがぴったりだということを発見して、もりあがった。

わたしは基本的にシンプルなパンが好きだ。生地もかための素朴なのがいい。小麦粉だけでなく、全粒粉やライ麦粉などのバリエーションもおいしい。プレーンもいいけれど、トッピングとしては、レーズンやいちじくなどのドライフルーツ、チーズ、あとはハーブなども大歓迎。

「おれは変にこってる菓子パンってだめ、ごてごていろいろのせちゃってさ」

富田くんはいまいましそうに言う。

「やきそばパンとかもね、おかずは別にしてほしい」

わたしも調子を合わせる。

「桜餅パンって、あれ考えたのどこの誰だろうね?」

「コンビニの袋入りのパンも! あれはパンをばかにしてる!」

富田くんは力強く言い、

「あれ、おれたちちょっと熱くなりすぎ?」

照れくさそうに笑った。

「いや、いいと思う」

わたしがまじめに言うと、

「たかがパン、されどパン」

富田くんは厳かに言った。わたしたちは数秒間黙り、それぞれのお気に入りのパンを思い浮かべた。

「今からパン買いに行く?」

と富田くんが言った。

「行く」

わたしは言い、わたしたちは連れ立って歩き始めた。

並んでみると、富田くんはわたしよりもだいぶ背が高いことに気がついた。さっき話していたときは、さりげなく身をかがめて、わたしの目線に合わせてくれていたのだった。

富田くんが連れて行ってくれたのは、高校から歩いて五分くらいの、小さなパン屋だった。大通りを裏に一本入ったところにあるのでめだたない。この近くを車で通ったことは何回かあるけれど、こんなお店があるとは知らなかった。赤いひさしにアルファベットで店名が書いてある。

「アトリエ」

富田くんが、フランス語らしいよ、と言いながらドアを開けてくれる。

「意味は知らないんだけどね」

お店の中には誰もいなかった。パンのいいにおいがたちこめている。見回すと、いかにもわたし好みの品ぞろえだった。太さと長さの違うバゲットが何種類か、バスケットにささっている。棚には、ふっくらとしたクロワッサン。ぱりっとした表面の小さな丸いパン。雑穀入りと思われる、ごまのまぶされた細長いパン。りんごののった、つやつやしたデニッシュもある。

目移りしていると、太ったおじさんが手をエプロンでこすりながら、奥から出てきた。額にうっすらと汗をかいている。このひとがパンを焼いているのだろう。おじさんの背後には厨房があり、大きな石窯が見えた。

「いらっしゃい」

言いかけて富田くんに顔を向け、

「ああひさしぶり」

くだけた口調になった。どうやらふたりは知り合いのようだ。富田くんはこのお店の常連なのだろう。

「ひさしぶり」

富田くんも片手をあげて言い、

「高校の友達」

と、わたしのほうを振り返った。わたしは軽くおじぎをした。おじさんはわたしを見ながら、何か言いたそうに口を開け、また閉じる。わたしが待っていると、

「好きなだけ持っていっていいよ」

とだけ言って笑った。細い目がますます細くなる。

「まじで? ラッキー」

富田くんがはしゃいだ調子で言うと、

「おまえじゃないよ、このお嬢さんに言ったの」

ちぇ、けち親父、と富田くんが舌打ちする。

「これ、うちの父親」

あっけにとられているわたしに向かって、おじさんは急にまじめな顔になって頭を下げた。

「はじめまして、うちのばか息子がお世話になっております」

「ばか息子じゃないだろ、だめ親父」

富田くんはわざとらしく乱暴に言う。おじさんはにこにこしながら、わたしと富田くんを見比べた。わたしも、こちらこそお世話になります、と言った。

パンを選ぶのには時間がかかった。なにしろ、どれもおいしそうなのだ。わたしが迷っているうちに何人かお客さんが来て、それぞれのパンを買っていった。富田くんはいつのまにか紺色のエプロンをつけ、カウンターの中に入ってレジをたたいたり、パンを袋に入れたりしている。

さんざん悩んだ末に、おじさんのおすすめだというバゲットと、ちょうど焼き上がってきたハーブをねりこんだパンに決める。父子でお金はいらないと言い張るので、ありがたくおごってもらうことにした。

うけとった紙袋はきちんと重く、あたたかい。

「ありがとうございましたー」

おじさんに愛想よく見送られてふたりでお店を出るなり、富田くんに、

「すぐ近くに公園があるよ」

にやにやしながら言われた。

「優子ちゃん、今すぐ食べたくてたまらないって顔に書いてある」

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