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宿敵との最後の戦い――。八神瑛子に最大の危機が迫る警察小説シリーズ最新刊! #5 ファズイーター

警視庁上野署の若手署員がナイフを持った男に襲われ、品川では元警官が銃弾に倒れた。一方、指定暴力団の印旛会も幹部の事故死や失踪が続き、混乱をきわめていた。組織犯罪対策課の八神瑛子は、傘下の千波組の関与を疑う。裏社会からも情報を得て、カネで飼い慣らした元刑事も使いながら、真相に近づいていく八神だったが……。

累計46万部突破の「組織犯罪対策課 八神瑛子」シリーズ。その最新刊がこちら、『ファズイーター』です。手段を選ばない捜査で数々の犯人を逮捕してきた八神も、ここで終わりなのか? ぜひその目で確かめてください!

*  *  *

八神は上野署のなかでも群を抜く検挙率を誇るエースだ。武道の達人でもあり、多くのヤクザや腕自慢を叩きのめしてきた。今夜も組対課の八神班が密売拠点に家宅捜索をかけ、大量の覚せい剤を押収し、密売人と暴力団員を逮捕している。

彼女には裏の顔がある。署内外の警察官にカネを低利で貸しつけては、先輩だろうが上役だろうが意のままにし、警視庁内の機密情報をも得ている。上野署にいる者なら誰もが知っている――署を牛耳っているのは富永ではなく彼女なのだと。
 
『八神金融』をひそかに利用する者のなかには、本庁や方面本部長の幹部もいるらしい。暴力団や外国人マフィアとも深い関係にあり、情報を得るためなら、彼らの要求に応じることさえあるほどだ。
 
富永が上野署の署長となって二年以上が経つ。彼女は警察組織にとって極めて危険だと考え、最初の一年はあの手この手で不正を暴こうと動いた。現在でこそ、巨悪を眠らせまいとする彼女の魂に一定の理解を示してはいた。
 
とはいえ、警察組織の秩序を乱す彼女を、警察官を取り締まる側の監察係が放っておくはずがない。八神は今年の春に監察官から執拗な調査を受け、富永も警察組織上層部の政争に巻きこまれた。首席監察官が端から富永と八神を追い落とす目的で、監察係を動かしたのだ。
 
けっきょく、監察係は八神らの追い落としに失敗した。逆に件の首席監察官と監察官は左遷の憂き目に遭ってしまった。
 
富永は彼らの調査を妨害してはいない。むしろ彼女の不正が明らかになれば、上司として処分される覚悟もできていた。監察係から協力を求められれば、素直に応じてもいたはずだ。
 
八神追放を目論んだ監察係の一派は敗北したが、“奥の院”と呼ばれる警務部人事一課はエリートの集まりだ。一介の所轄に煮え湯を飲まされたままでは終わらないだろう。そんな噂を耳にしていた。中路の言動のおかげで噂の裏づけが得られた。
 
「監察官の仰る通りです」
 
富永は過去の経緯を持ち出さず、しおらしくうなずいてみせた。病院で男どもが集まって、口論などしている場合ではない。
 
「町田署の一件や品川での射殺事件もあって、警視庁に対する市民感情が悪化していることも」
 
「ほう……」
 
中路にじっと見つめられた。
 
警察組織に対する風当たりが激しいのは、なにも町田署の一件だけではない。先月起きた殺人事件のせいでもある。
 
被害者は元神奈川県警の警察官だ。凶器は拳銃だった。現場は品川区の住宅街で、至近距離から撃たれたらしく、被害者は頭と胸を撃ち抜かれた。ほぼ即死だったという。
 
銃犯罪はそれまで警視庁が築いてきた“世界一安全な都市”のイメージを根底から揺るがしかねない。ましてや殺人となれば、迅速な解決が求められる。
 
凶器が拳銃だったことから、反社会的勢力の関与が考慮された。品川署と捜査一課に加えて、本庁の組織犯罪対策部の捜査員も投入され、百人規模の特別捜査本部が設けられている。だが、未だに容疑者は特定していない。
 
被害者は鳥居啓治という五十代の男で、八年前の神奈川リンチ殺人事件という、戦後警察史に残る不祥事に関わっていた。
 
その事件は横浜市で起きた。大手自動車メーカーの工場に勤務していた二十代の被害者を、工場の同僚や愚連隊の少年がラブホテルなどに拉致監禁。サラ金からカネを借りさせたうえ、殴る蹴るの暴行を加えた。
 
噴射したヘアスプレーにライターで火をつけ、被害者に火傷を負わせ、逃げられないように顔に墨汁と安全ピンで刺青を入れてもいる。
 
監禁は二ヶ月以上にも及び、被害者の両親が神奈川県警の警察署に八回も足を運んで捜査の依頼を行ったが、応対した担当官からは「不良どもと一緒に遊んでるだけだろう」「あんたの息子も愚連隊のメンバーじゃないのか」と冷たくあしらわれ続けた。
 
その間、加害者たちはますます凶暴化し、火傷を負った被害者の身体に唐辛子味噌を塗りたくり、のたうち回る様を動画に撮影し、さらに熱湯のシャワーを浴びせた。被害者の身体の七割は火傷を負い、まともに食事を与えられなかったのと、極度のストレスのために頭髪や歯が抜け落ちたという。
 
サラ金から借りさせたカネを使って、加害者たちは横浜市内のキャバクラや風俗店で散財している。使い果たせば、被害者に友人や同僚に電話をかけさせてカネの無心をさせた。
 
主犯格の男は少年時代から不良グループに属し、恐喝や暴行といった事件を何度も起こし、自分のバックにはヤクザがついていると吹聴しては、共犯者の工員や少年を支配下に置いた。工員は絶好のカモがいるとして、工場内でも温和な性格で知られる被害者に目をつけたのだった。

両親の嘆願に辟易した担当官は、不用意にも主犯格の男に電話で連絡を取り、自分が警察官であると名乗ったうえで問いただした。男は事件が露見するのを怖れて被害者の殺害を決意する。緑区の山林に連行すると、首を絞めて殺して遺体を埋めた。いわば担当者の電話が殺人を促す結果となったのだ。その担当者こそが鳥居だった。
 
共犯者の不良少年が良心の呵責に耐え切れず、警視庁玉川署に親とともに出頭し、ようやく事件が発覚した。警視庁は不良少年の自白に基づいて、被害者の遺体を見つけた。
 
主犯格の男らをスピード逮捕したが、全国紙が警察発表を鵜呑みにし、被害者を不良グループの元仲間であるかのように発表したため、不良どもの仲間内のくだらぬ喧嘩と報道され、世間の注目を浴びることはなかった。
 
事件から半年経ってから、裁判を傍聴した週刊誌記者が、事件の度を越す凶悪さと神奈川県警の怠慢を取り上げたのをきっかけに、テレビや新聞もこぞって報道した。
 
メディアや世論から批判の嵐を浴びた神奈川県警は、両親の訴えに耳を傾けなかった警察官らを処分したが、もっとも重かったのが鳥居の停職一ヶ月で、彼の上司が減給処分。鳥居が所属していた神奈川南署の署長と副署長がそれぞれ戒告、訓戒処分を受けている。
 
県警本部長は議会で事件の質問に対し、警察官の職務倫理が欠けていたとして、県警の不手際を認めたうえ、しおらしく陳謝の言葉を口にした。
 
両親が神奈川県や加害者の両親に対して民事裁判を起こすと、県警はあっさりと掌を返した。当時の対応は適切であり、事件を予見することは不可能だったと、過去の発言を翻している。裁判は今も係争中だ。
 
事件から八年が経ち、半ば世間から忘れられつつあったが、鳥居が拳銃で撃ち殺されるというショッキングな出来事によって、再び週刊誌を中心に、県警の当時の捜査怠慢と民事裁判での傲岸な姿勢が取り沙汰された。
 
鳥居は懲戒処分を受けて県警を依願退職し、品川区の病院の渉外係として再就職していた。モンスター患者や悪質なクレーマーへの対応だ。
 
近年は院内暴力に対応するため、病院側が警察OBをセキュリティ担当として欲している。鳥居も病院の用心棒のような役割を果たし、心ない暴言やセクハラ、悪質な脅迫行為を行う患者や家族を相手にしてきた。
 
そのなかには元ヤクザといったアウトローもいたようだ。特捜本部は鳥居とトラブルになった患者とその関係者を洗っている。何者かに撃たれた夜も、病院で勤務を終えて帰宅する途中だったという。
 
中路が眉をひそめた。
 
「管内で射殺事件まで起き、昨今の市民感情を鑑みて、警視庁から複数で行動するよう通達も出ておりました。にもかかわらず、新米警察官がひとりで交番の留守を預かることになった。富永署長としても不思議に思いませんか」
 
「署長としての責任を痛感しています」
 
ポケットの携帯端末が振動した。
 
相手が誰だかは察しがついた。副署長の伊地知からだろう。すでに上野署には多くのメディア関係者が集まっているはずだ。広報を受け持つ副署長を始めとして、幹部たちと情報のすり合わせを行う必要があった。中路にばかり構ってはいられない。
 
「中路監察官、馬淵巡査は未だ手術中だ。まずは犯人を捕らえた池之端交番の勤務員から聞き取り調査を始めたらどうだろうか」
 
「それはこちらが考えることです。そちらの指示は受けない」
 
中路はそっけなく答えた。大久保が小さく「ハイエナ野郎が」と呟いた。
 
部下の声をかき消すように咳払いをした。
 
「とにかく、私は署に戻ります。調査については協力を惜しみません。大久保係長、馬淵の容態がわかったら私にも連絡をくれ」
 
中路たちの返答を待たずに踵を返した。携帯端末が急かすように震え続ける。
 
廊下を早足で歩きながら、不吉な胸騒ぎを覚えていた。口内で血の味が広がる。
 
心に一定以上の負荷がかかると、どういうわけか歯茎が腫れて痛みを訴え出す。定期的に歯医者に通っているが、虫歯の治療はまだ終わっていない。
 
警察官を襲う凶漢が現れたかと思えば、上野署自体も事件を摑みきれていないうちに監察係が調査と称して姿を現した。城の中と外の両方から一度に攻め入られたような気分だ。
 
救急玄関を抜け、携帯端末に出た。やはり相手は伊地知だ。マスコミ向けに事件の概要をまとめたので、大至急確認してほしいという。
 
伊地知は総務畑を歩んできたベテランで、高い対人能力を持つ頼れる女房役だ。突然の凶事に彼も心穏やかではなさそうで、声には焦りをにじませていた。
 
「三分以内に戻る」
 
富永は走り出した。

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