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「ぼちぼちのおもてなし」と言われてしまった!…老舗旅館の女将奮闘記! #5 花嫁のれん

女将の奈緒子はおせっかいで世話好き。持ち前の明るさで、金沢の老舗旅館「かぐらや」を切り盛りしている。そんなある日、「背中を流せ」と無茶な注文をする客がやってきて......。厳しい仲居頭や女将修業中の新米仲居たちと一緒に、お客を満足させる「おもてなし」を見つけることはできるのか? お腹も心も満たされる人情味溢れる物語、ここに開店!

日本の伝統やおもてなしが感じられて、旅気分も味わえる。
そんな盛りだくさんの本書から、一部を公開いたします!

*  *  *

「ぼちぼちのおもてなしやな」

熊川はそう言い残し、帰って行ったのだ。
これには奈緒子も返す言葉が見つからず、ただ深く辞儀して見送るしかなかった。

「まあ、いい思い付きではありますが、お客様が気に入られなかったら、しょうがありませんしねえ。やはり無理にでも、優香さんにお背中をお流しさせても、よかったんじゃありませんか?」
「いいえ、それは出来ません」

奈緒子もここはハッキリと答える。
おもてなしは無理強じいしてさせるものではない。
そこに、このお客様のためにという思いがあるかどうかが大事なのだ。

「そうでございます。房子さん、良くないのは、あのお客様です」
恐る恐る増岡が口を挟む。

「それに、あのお客様が申されたことはセクハラでございます。旅館の方でも、仲居さんに無理にそんなことさせたら、セクハラに加担してるとか何とか言われかねません。そこは気をつけなければならないかと」

だが、増岡が言い終わるのも待たずに房子が言い返した。
「セクハラでも結構です!」
その迫力に、また増岡が口を閉じる。

「それより、お客様にぼちぼちのおもてなしだと言われるとは、かぐらやともあろう老舗旅館がなんたることかと申し上げているんです!」

増岡に向かって言ってはいるが、奈緒子に聞かせたいのであろう。奈緒子とて、かぐらやのおもてなしが、ぼちぼちだと言われるとは思いもしなかったことであり、気持ちの動揺がまだおさまっていない。

「房子さん、私のまだまだ女将として至らないところです。すみません、反省しています」
奈緒子は素直に謝った。
房子はアッサリしているようで、どこか少しネチッとしているところがある。

「そんな......女将が私に謝るなんて、とんでもございません。私の方こそ、仲居頭の分際で女将である奈緒子さんがされたことに、とやかく口を出すことではございませんでした。こちらこそ、申し訳ございません」

そう慇懃(いんぎん)に言うと、「でもねえ」と続けた。
やはり一言言わねば気がすまなかったのだろう。

「あのお方がお知りになったらと思うとねえ」
「あのお方......」
増岡が姿勢を正す。

奈緒子もハッと息を止めた。
「はい、あのお方でございます」
房子もシャキッと背筋を伸ばした。
「このかぐらやの大女将が生きていらしたら、何とおっしゃったかと」

大女将である志乃が、突然亡くなった。

半年前のことである。

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花嫁のれん

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