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子どものころ「お嫁に行きたい人ナンバーワン」だったノッポさん #2 男子観察録
ハドリアヌス帝、空海から、スティーブ・ジョブス、チェ・ゲバラ、十八代目・中村勘三郎、山下達郎、はたまた「母をたずねて三千里」のマルコ少年や、ノッポさんまで……。大ベストセラー『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家、ヤマザキマリさんの『男子観察録』は、古今東西の男たちを観察し、分析し倒した「新・男性論」。ヤマザキさん独自の目線から浮き彫りになる、真の男らしさとは、男の魅力とは? 中身を少しだけご紹介します!
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憧れの男性だったノッポさん
子供の頃、お嫁に行きたい人ナンバー・ワンがこの人だった。
©ヤマザキマリ/幻冬舎
病気で学校を休む事があると、どんなに高熱が出ていようとお腹が痛かろうと、私はテレビでこの人と会えるチャンスを獲得したことで、布団を蹴飛ばしたくなる程歓喜したものだった。
「でっきるっかな、でっきるっかな、はてはてフフウ~」というサックスベースの大人っぽいファンキーな音楽で番組が始まると、視線は画面に釘付けになり、15分の放送時間中、全身全霊完全にノッポさんという一人の男性に支配されてしまう。
この工作番組のヒーローは、勿論世の小学生男子にとっても憧れの対象だったが、その捉え方は男子と女子では違ったのではないだろうか。
この番組をご存知ない若い読者のために説明させてもらうと、ノッポさんというのはかつて教育テレビで放送されていた、ご長寿工作番組「できるかな」の登場人物で、番組には高見映さん演じるノッポさんと、恐らくそのアシスタントであるゴン太というほぼ役立たずの茶色い意味不明の着ぐるみの二人(?)しか出てこない。
ゴン太は自らの意思を「フゴフゴ」という音でしか発する事ができず、感情の起伏は「フゴフゴ」の勢いによって表現される。
片やノッポさんも、この番組では一切言葉を発しない。「ノッポさんって喋れるんだろうか?」という疑問を全国の小学生が抱いていたはずであり、高見映さんがうっかりどこかで普通に会話しているのを見てしまうと「うわ、ノッポさんが喋った!!」という衝撃が我々に走ったものだ。
そんな言葉の不自由な彼らの意思をナレーションの女性が説明してくれ、よって視聴者は、なんとか彼らの胸の内を理解することができるのだった。
チューリップハットを被り、緑のつなぎを身につけた緩やかカーリーなロン毛のノッポさんは、優しげなオーラこそ出ているが、決してとびきりのハンサムというわけでもない。
言葉を喋らないから伝えたい事も上手く表現できないわけで、たとえ念願叶ってノッポさんと恋に落ちることがあっても、どうひっくり返したって「君を愛している」「大好きだ」なんて台詞を彼から聞く事は一生涯できないのである。
工作ばっかりやって社会への適応も容易ではないだろうし、大金持ちで物好きのパトロン女と一緒にでもならない限り、野垂れ死には免れないはずだ。
社会に適応できなくたっていい
こんな男に胸をときめかせている小学生女子なんて、ちょっとまずいなとは思うのだが、女とは基本的に寡黙で孤独で寂しがりな有能男に弱い。
そう、たとえどんなに社会とはマッチングできなくても、ノッポさんは万能の人なのである。
ハサミとセロハンテープとホッチキスがあれば、彼は如何なる素材からも素晴らしい造形物を作り上げてしまう。それがたとえこの世になくても誰も困らないものであろうと関係ない。
画用紙や段ボールだけでなく、トイレットペーパーの芯だとかティッシュの箱だとか、日常では廃棄物としか扱われないありとあらゆるものから次々と楽しい創作物を彼は生み出していく。この番組によって男子は自分もいずれノッポさんみたいになりたいという妄想を抱くだろうし、こういう大人もありなんだ、と安堵を覚えるかもしれない。
しかし女子の場合はきっと少しだけ違う。「こういう人がいてくれたら毎日が楽しくなるだろうな」とか「好い年をした中年の男がどうでもいい事に一生懸命になって、変だけど可愛い」といった、ほんのり母性の滲んだ、温かい眼差しで見ていた部分もあったと思う。
ちなみに番組の流れでは、大抵ノッポさんが楽しそうに作った素晴らしい造形物を、ゴン太が意味不明な動機で潰し破り破壊してしまう。ナレーションの女性が「ああ、もうゴン太ったら~」と呆れたリアクションを付けてくれても、見ている私達はゴン太に対して「このバカ野郎!」という憎しみを少なからず抱かずにはいられない。
しかし大事なのは、そこでノッポさんが動揺しつつもゴン太を結局寛大に許してしまうところだ。ノッポさんは無謀で理解不能なゴン太の全てを包み込む、大きくて広い器の持ち主でもあるのだ。
形あるものはいずれなくなる。芸術とは造形と破壊が重なり合ったもの。そんな哲学をも学ばせてくれた「できるかな」は今考えても、実にグレードの高い美術番組であり、その哲学を見事に我々に伝えていたノッポさんという存在は、恐らく多くの小学生女子達の、その後の男性の嗜好の指標となったのではないだろうか。
少なくとも私にはそうであった。
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