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外国人が衝撃を受けるニッポンの結婚式…『テルマエ・ロマエ』作者が綴る〈新ニッポン論〉 #4 望遠ニッポン見聞録

巨乳とアイドルをこよなく愛し、世界一お尻を清潔に保ち、とにかく争いが嫌いで我慢強い、幸せな民が暮らす小さな島国、ニッポン。『望遠ニッポン見聞録』は、長年、海外で暮らしている漫画家、ヤマザキマリさんが、近くて遠い故郷をあふれんばかりの愛と驚くべき冷静さでツッコミまくる、目からウロコの「新ニッポン論」です。本書の中から、一部を抜粋してご紹介しましょう。

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厳かに行われる俄か結婚式の妙

日本を訪れる外国人が衝撃を受けるものの一つに、挙式用に建てられた「俄か教会」がある。日本を訪れた敬虔なキリスト教信者が宿泊しているホテルの敷地内に素敵な教会が建っているのを見つけ、中へ様子を見に入ろうとしたがそれが叶わなかったという話を聞いた。

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そりゃ間違えるだろうと思う。運良く入れたとしてもそこに牧師さんや神父さんはいない。いたとしても普段はどこかで英会話を教えたりしているアメリカ人やオーストラリア人だったりする可能性も高い。

これに関しては海外のメディアも何度か「日本の不思議な教会」と題して取り上げたりもしているが、その「俄か教会」で挙式した友人などに聞いてみると「神前でも良かったんだけど、教会で結婚式するの、子供の頃から憧れてたし」ということだった。

彼女は勿論キリスト教信者でも何でもないし、結婚を機にキリスト教に入信しようと思っていたわけでもない。これはやはり多神教国の日本だから可能となった結婚式の進化形なのかもしれないが、もっと凄いのはこの「俄か教会」では物足りなくなって、イタリアなどの真正キリスト教国家の、市の許可などもらわねばならないような歴史と由緒ある教会で式を挙げてしまう日本人のカップル達がいることだ。

当然そういった式には手はずを整えてくれる仲介業者などがいるのだろうが、それにしても私は、かつてフィレンツェのルネッサンス期に建てられた街の中でも特に結婚式の許可をもらうのが難しいとされる教会の階段から、ニッポンの俳優の石田純一さんが新郎として降りて来るのを見た時は思わず固まった。

学校の帰りか何かだったと思うが、ふとその教会の前にできている人だかりが目に入り、何事かと待ちかまえていたらそこから出て来たのが白いタキシード姿の日本の俳優だったのだ。

その頃のイタリアでは一度結婚をすると離婚するのに少なくとも5年、いや8年以上は掛かると言われていた。そして今も実際付き合っている相手の離婚がまだ正式に成立していないのよ、という人達が結構いる。

カトリックの国なので一度結婚した伴侶とはいかなることが起きようとも一生共にいるべしという概念が法律の中にもしっかり食い込んでいるからなのだろうが、簡単に進まぬ離婚は面倒臭いし疲れる。実際、離婚の手続きが長引くうちに耐えられなくなってよりを戻したという人達も沢山おり、それは完全に離婚に賛同しないカトリック理念の「目論見」に嵌ったケースと言える。

「私達は、夫婦として、順境にあっても逆境にあっても、病気の時も健康の時も、生涯、互いに愛と忠実を尽くすことを誓います」という誓約をしたからには、何とかこれを守り抜くように努力をせねばならぬ、それをしっかりと自覚し、そして認識し合うのがカトリックの結婚式だ。

「結婚しよう」と何気に盛り上がったカップルも、あの教会での儀式を通過すると「本当にもう後には引き下がれないんだな……ああ……」という喜びばかりに染まらない、生々しい実感も湧き上がってくるのだろう。

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©ヤマザキマリ/幻冬舎

しかし、強い宗教観念を持たない国では全く様子が変わってくる。

例えばカリブ海の社会主義共和国キューバでは3回も4回も結婚・離婚を繰り返すのは別に何でもないことらしい。経済的に苦しい国だけに派手な結婚式など滅多にできないという理由もあるが、大抵初婚の時だけは家族や知人を招いてのシンプルなパーティーを開き、その後に関しては役所へ行って婚姻の登録を繰り返すだけで済ませてしまう。

そんな彼らを見て思ったのは、「結婚しよう」という言葉は「好き」、そして「愛している」では出しきれない最大級の愛情表現であり、決して将来お互いイヤになっても一緒にいて、作り上げた家族に責任を持とう、という宣言ではないということだ。儀式という人生の節目宣言をいちいちやらなくても良いとなると、確かに結婚・離婚を繰り返すのも至って簡単なことになるのだろう。

バブルの頃、3000万掛けて盛大な挙式をしつつ1週間後に別れた日本人カップルを私は知っている。女性側の家族はとてもお金持ちだったので、その母親は「仕方ない、3000万で踊りを踊ったと思うしかないわ」と笑っていた。

「俄か教会」で「生涯互いに愛と忠実を尽くすことを」誓っても、多分本人達も招かれている人達もイタリア人のカトリック結婚式のように「これでこの人達は余程のことでもない限り一生一緒にいることになるのだな……たとえ夫の浮気が発覚して妻に皿で頭を割られようとも」というような感慨深さに陥ることはない。

そう考えると日本の昨今の挙式は「これから自分達の家族を築き上げます」という宣言以上に、人様に愛を結晶させた自分達が主人公となる素敵な「ショー」をお披露目する、という雰囲気に近いのではないだろうか。ちなみに私がフィレンツェで見かけた石田純一さんは、確かその十数年後に離婚された。

地元の人ですらなかなか叶わないあの厳かな教会で挙式をしたカップルの中で、十数年後とはいえ、そんなにさっくりと離婚できたのは歴代彼くらいだったのではないかと思うし、その後彼が繰り広げてきた恋愛遍歴や若い女性との再婚など、イタリア人にとっては夢の話に聞こえるかもしれない……。

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『望遠ニッポン見聞録』ヤマザキマリ

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