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ショパン国際ピアノコンクールで目撃した「不戦敗」…最大の敵は自分の心に潜んでいる #3 終止符のない人生

「日本でもっともチケットが取れないピアニスト」と言われる、若き天才・反田恭平さん。昨年、世界三大音楽コンクールのひとつ「ショパン国際ピアノコンクール」で2位入賞の快挙をなしとげ、世界的に脚光を浴びています。そんな反田さんの初の著書『終止符のない人生』が、この夏、ついに発売となりました。ファンの方はもちろん、音楽好きの方、自分の「好き」を仕事にしたい方にも読んでもらいたい本書、その一部をご紹介します。

*  *  *

不戦敗を選んだポーランドのピアニスト

ショパンコンクールの会場で印象深かった出来事を記しておきたい。1次予選を通過したポーランド人のピアニストが、2次予選の本番直前に僕の近くで控えていた。もうすぐ自分の名前がアナウンスされるというタイミングなのに、顔面蒼白でガクガク震えている。

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「かなり緊張している様子だけど、大丈夫かな。彼はこんな状態で本番に臨めるのだろうか……」

心配しながら様子をうかがうと、彼は2次予選の直前に「帰る」と言って棄権して引き揚げてしまった。あとは野となれ山となれでピアノを弾くだけなのに、あまりにも怖くてステージにのぼれなかったのだ。

彼だって僕と同じように、小さなころからピアノを弾きながらショパンコンクールにあこがれ、「いつか自分もあのステージに立ってみたい」と熱望してきたに違いない。恋焦がれる気持ちに等しいほど、灼けつく情熱があふれていたはずだ。

5年、10年、15年……と気の遠くなるような時間、ピアノを練習しまくり、師匠から駄目出しを喰らいながら必死で腕を磨いてきたに違いない。ショパンの譜面を誰よりも読みこみ、譜面の行間に書かれたショパンのメッセージを凝視してきたはずだ。

探求者の如く研究に徹し、実践者としてステージに立つ。遠大な努力の先にたどり着いた総仕上げが、ショパンコンクールの大舞台だったはずだ。

にもかかわらず、いざ本番を前にした瞬間、とてつもない恐怖心に足元をすくわれてしまった。ショパンコンクールでは、舞台に立つ者にしか知り得ない魔物と対峙することになる。命をかけて臨んできたはずの一人のピアニストを恐怖で立ち往生させ、不戦敗に追いこんでしまう。あまりにも気の毒な幕切れだった。

最大の敵は自分の心に潜んでいる

ポーランド人のピアニストに対して、ポーランド国内から寄せられるプレッシャーと期待感は半端なものではない。自国が生んだ世界一の音楽家ショパンの名を冠する大会で、世界中のピアニストが腕を競うのだ。自国民のピアニストがトップ3に入り、栄冠を勝ち取ってほしいとポーランド人が願うのは当然だろう。4年に一度のオリンピックで、日本の柔道代表選手が金メダルを期待されるようなものだ。

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あのポーランド人の姿を横目で見ながら「日本人で良かったな」と思った。僕がポーランド人であれば、彼のように凄まじいプレッシャーがかかっていたはずだ。

とはいえ、僕にも強烈なプレッシャーはかかっていた。反田恭平という看板を売り出して宣伝し、全国各地でコンサートを満席にしようと努力してくださっているスタッフや関係者が日本に大勢いる。

なにより、コンクールで無様な姿を見せれば、日本のファンの皆さんが幻滅して、僕のコンサートを観に来てくれなくなるかもしれない。無数の観客とスタッフから寄せられる期待が、両肩にズシリと重くのしかかっていた。

もし、コンクールの本番で満足な演奏ができなかったとしよう。だからといって、多くの人々の応援とプレッシャーがのしかかっていることは良い演奏ができない理由にならない。コンクールという特殊な環境においては己の努力不足と割り切らなければならないのだ。

結局のところ、最大の敵は外部ではなく、自分の心の中に潜んでいるのだろう。自分の心の中に潜む弱さを打ち破り、要らぬ雑音を取り払って徹底的に没入する。音楽の海に全身丸ごと沈みこみ、流れこむ。先ほど述べたように、ミリ単位どころか、1ミリ以下の精度で指を動かし、自分が表現したいショパンの音色を奏でる。作曲家が五線譜に記録したメッセージを真摯に読みこみ、作曲家を自身の体に降ろして音楽に没入する。

俳優は、脚本家が書いた筋書きとセリフを読みこんで記憶し、演出家の指示にしたがって役を演じる。「役に入りきる」「別人格に憑依する」という状態まで集中力を高めたとき、観客は画面の中のドラマがまるで目の前で今起きた事実であるかのように胸打たれ、リアリティに身を浸すのだ。

ドビュッシーの「喜びの島」のように、ルンルン気分で駆け落ちするような底抜けに明るい曲もある。はたまたショパンの「葬送」のように、絶望の淵に立つが如く暗い曲もある。ショパンコンクールの本番で全集中の極致までたどり着き、僕はただただ無心でショパンを弾き耽ったのだ

そうすることで、どんな演奏であろうが僕はこの状態に己をもっていくことで悔いの残らない瞬間に出会えるのだ。

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終止符のない人生 反田恭平

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