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ようこそ加賀へ!おもてなしとおいしいご飯…老舗旅館の女将奮闘記! #1 花嫁のれん

女将の奈緒子はおせっかいで世話好き。持ち前の明るさで、金沢の老舗旅館「かぐらや」を切り盛りしている。そんなある日、「背中を流せ」と無茶な注文をする客がやってきて......。厳しい仲居頭や女将修業中の新米仲居たちと一緒に、お客を満足させる「おもてなし」を見つけることはできるのか? お腹も心も満たされる人情味溢れる物語、ここに開店!

日本の伝統やおもてなしが感じられて、旅気分も味わえる。
そんな盛りだくさんの本書から、一部を公開いたします!

*  *  *

良き思い出は、心の宝。
その宝をつくっていただくことこそ、
おもてなしの心。

第一章 ぼちぼちのおもてなし


 一

今日も頑張るまっし。奈緒子は、母屋から旅館へと続く畳敷きの渡り廊下を渡りながら、着物の帯締めをキュッと締め上げた。

頑張るまっしとは、金沢の方言である。この土地に来て早や十年、ようやく身についた言葉となった。今朝は、爽やかな花緑青色(はなろくしょういろ)の加賀友禅を選んだ。

襟元には、藤の花房模様が染め上げられ、裾には、山間の新緑の木々をイメージした若葉が丁寧に描かれている。今はちょうど桜が散り終わる頃合い。これからの季節を先取りした絵柄は、お客様の目を楽しませてくれる。これも旅館のおもてなしの一つである。

「さあ、梅の間、焼き物があがったぞ」
「楓(かえで)の間も、用意できました!」
板場から板長である辰夫(たつお)や板前たちの活気ある声が聞こえる。ここは、金沢の老舗旅館「かぐらや」。

浅野川(あさのがわ)に架かる梅の橋を左手に、その向こうにはひがし茶屋街、右手には卯辰山(うたつやま)が見守るようにそびえる。町には、和菓子屋や酒蔵、味噌屋に麴屋など、古くからの店が立ち並び、加賀百万石の城下町であった風情(ふぜい)を今でも残している。

その中で、「かぐらや」は老舗中の老舗。明治から百年以上も続く伝統と格式のある老舗旅館。奈緒子が、この旅館の長男の神楽宗佑(かぐらそうすけ)と結婚し、仲居として働き始めたのは十年前。そのあと修業を経て、女将(おかみ)になってからは七年である。

「苦労に苦労を重ねて、ようやくここまできたわね」

東京にいる実家の母の美也子(みやこ)などは、いまだにそう言い、深い溜息をつく。奈緒子がこのかぐらやに嫁として入ることを一番反対していたのもこの美也子だった。老舗旅館に嫁ぐことがどれだけ大変か、会社員の夫を持つ家庭の主婦でさえ、よおくわかっていたに違いない。

だが、奈緒子は苦労などと思ったことはない。もちろん大変だったことは確かだ。けれど、何があっても、笑顔があれば大丈夫。もともと、そういう楽天的なところが奈緒子にはある。

それに、女将になりたいと思ったのは奈緒子だ。ならば、その女将になるための修業もまさに自分が選んだ道である。けれど、アレにはほとほとまいった。

金沢では、他所(よそ)から来た人のことを「えんじょもん」と呼ぶ。東京で生まれ育った奈緒子は、まさにそのえんじょもんであり、老舗旅館の嫁としてふさわしくないと、このかぐらやの大女将であり姑(しゅうとめ)である志乃(しの)は、奈緒子を最初から嫁として認めていなかった。

そのため、この地方の婚礼の風習である「花嫁のれん」さえ、なかなか潜らせてもらえなかったのだ。「花嫁のれん」とは、婚家に嫁ぐ時、その家の仏間の前に飾る暖簾(のれん)で、それを潜って、「今日からこの家の嫁になります」という挨拶を先祖にする、いわば嫁としての覚悟の暖簾である。

「今時、嫁になる覚悟なんてね、時代劇じゃあるまいし」
美也子は、そのことでも不満を口にしていたが、それがいまだに残っているのが、この金沢の地なのだ。
そのため奈緒子は「花嫁のれんを潜ってもいない、えんじょもんの嫁が!」と姑である志乃から事あるごとに言われ続け、肩身の狭い思いをしてきた。

まあ、世に言う嫁いびりのようなものではあるが。
けれど、今から思えば、愛情を込めて、そうおっしゃっていたんですよね。

大女将、いえ、お義母さん。
微笑みかけたその時、ヒヤッと寒気がし奈緒子は結い上げた襟足の首をすくめた。
ブルッと体が震える。

──ほんまに何でもええように考える嫁や。謙虚さが足らんのや。
──ほやけえ、いつまでもえんじょもんの嫁と言われるのや。

「え?」
思わず辺りを見回す。いつもの志乃が叱責(しっせき)する声が聞こえた気がしたのだ。
と、旅館側の廊下の片隅で仲居頭の房子(ふさこ)が何やら、新人仲居の優香(ゆうか)に小言を言っているのが見えた。

また、何か。
このかぐらやでは、事の起こらない日がない。もう一度、帯締めを締め直すと、急ぎ足で向かう。

◇  ◇  ◇

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花嫁のれん

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