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60過ぎたらシワがあって当たり前…佐伯チズさんが遺した言葉 #1 今日の私がいちばんキレイ

昨年、惜しまれつつ他界した、美容家の佐伯チズさん。晩年の著書『今日の私がいちばんキレイ 佐伯流人生の終いじたく』には、チズさん流の生き方、老い方、そして死に方のヒントがつづられています。多くのファンから愛された、チズさんの「遺言」ともいえる本書。その中から、心に響く「最後のメッセージ」をお届けします。

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シワやシミは「人生の勲章」

五十過ぎれば、勉強ができた人もできない人も皆一緒。六十過ぎれば、美人だった人も不美人だった人も皆一緒。七十過ぎれば、結婚していてもしていなくても皆一緒。八十過ぎれば、お金はあってもなくても皆一緒。九十過ぎれば、あの世もこの世も皆一緒。

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これは最近気に入っていて、講演会でよくお伝えしている言葉です。

「わー、チズさんの肌、もちもち!」「お豆腐みたい。触らせてください」。イベント会場などで、ときどきそのような声をかけられます。その後に、「一体どんなことをされているの?」といわんばかりに私の肌を念入りに観察される方もいますが、私は正真正銘、スキンケア以外のことは何もしていません

いわゆる切ったり貼ったりという“お直し”にはまったく興味がないのです。何しろ痛いのが苦手だし、定期的にメンテナンスに行くのも面倒。

そもそも、六十歳になってシミやシワがあるのは当たり前ではないですか。「目尻のシワが……」などとクヨクヨしているほうが不自然です。年を重ねてシワが一本もなくて、ツルンとした顔をしていたらそれこそロボットですよ。

私の肌にもシミやシワ、たるみがあります。夫を亡くして泣き暮らしていたときの名残で、よく見ると目の下にはうっすらとドレープのような痕跡が残っています。

「これさえなければ……」と思わなくもないけれど、あの“肌地獄”を乗り越えて美容業界に舞い戻り、がむしゃらに働いてきたからこそ今の自分があるのだと思うと、ドレープさえも愛おしく感じられるのです。

生き方がすべて顔に出る

顔に出てくるものは、すべて自分がしてきたことです。

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まさに六十歳を過ぎたら、その人がどんな人生を歩んできたかが肝心で、表面上の美醜は大きな意味をもたないと私は思います。

話は変わりますが、先日ウィッグの試着をする機会がありました。私は二十代の頃から白髪が多かったので、ファッション評論家の大内順子さんのような黒髪のオカッパにずっと憧れていたのです。だから長年の夢を叶えるべく、ウキウキしながらそのタイプのウィッグを被ってみました。

でも、まったく似合わなかった……。やはり“年相応”というものがあるのです。二十代の私だったら、黒髪のオカッパが似合ったかもしれません。

それでも、一時間余りのウィッグの試着はなかなか楽しいものでした。その間だけでも、私は見たことのない自分になることができ、髪型でこんなにも印象が変わるのかと、改めて認識することができたから。そして最後は、「やっぱり私には、今の髪がしっくりくるわ」と、何だか妙に納得してしまったのです。

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