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顔の見えるお付き合い 島田農園・吉実園・宍戸園 #6 海へ、山へ、森へ、町へ

天然水で作る地球味のかき氷。ホームステイ先の羊肉たっぷり手作り餃子。地元の山菜を使った一日一組の贅沢なレストラン。西表島で真夜中に潮干狩りをし、カナダの森でキノコ狩り…。自然の恵みと人々の愛情によって絶品料理が生まれる軌跡を辿ろう!  美味しい出会いを求めた旅の滋味溢れる、小川糸さんのエッセイ『海へ、山へ、森へ、町へ』。小川糸さんは、多くの作品が、英語、韓国語、中国語、フランス語、スペイン語、イタリア語などに翻訳され、様々な国で出版されています。それでは、本作のためし読みをご覧ください。

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 都会で生活しながらも、環境に負担をかけず心地よく暮らす方法はないものか。それが、ここ数年の私のテーマだ。自給自足の生活をすれば環境に良いのはわかっている。けれど、現実問題としてそうはできない自分がいる。そんな苦悩の中から自分なりに見出した答えが、地元でとれた物を地元の人達で消費する、地産地消。見渡せば、東京にもまだまだ農家がたくさん残っている。

 東京都世田谷区。都心へのアクセスも良く人気のこの界隈は、実は地産地消の宝庫でもある。至る所に畑があり、その一角には作物を売る無人販売機が置かれている。生産者から直接消費者が買うことで、輸送によって排出される二酸化炭素はゼロ。そこには、顔の見える付き合いがある。

 島田農園の島田秀昭さんも、世田谷で土を耕す農家のひとりだ。製粉業の傍ら、代々受け継がれてきた広大な畑で、梅や筍、じゃが芋、さつま芋などを育てている。先代からは、製粉工場で出る麦ぬかやもみ殻を再利用し、有機農法にも取り組む。こうして、安全に作られ安心して食べられる野菜を、近隣の人達に提供しているのだ。

 野菜の地産地消だけではない。江戸時代から続く農家を営む吉実園の吉岡幸彦さんが育てているのは、なんと豚。けれど周りは閑静な住宅街だし、道路から見る限り造園用の植木がたくさん植えられているだけで、豚のいる気配は全くない。

 ところが、道路からほんの少し奥に入っただけで、いきなり本物の豚が現れた。柵で囲われた広い敷地に、豚が放し飼いにされている。あまりにも長閑な光景に、一瞬言葉を失いかけた。そして吉岡さんに案内されるまま柵の中に足を踏み入れると……。豚達からの、ご愛敬たっぷりの洗礼が待っていた。

 私の周りに寄り集まってきた豚、豚、豚。離れていた時はそんなに感じなかったけど、間近で見る豚はかなり大きい。子豚で三十キロ程度だが、大きくなると優に百キロを超える。私は一瞬にして豚達に取り囲まれていた。豚は、しっかりと鎧(泥とフンの混じった物)を纏い、全身泥だらけである。

 新参者への挨拶か、仲間が来たと思ってじゃれているのか、とにかく皆、ぷにゅぷにゅとした柔らかい鼻づらを押しつけてくる。しかも、履いていた靴に興味があるのか、みんなでその靴を脱がそうとし、そのまま口に含み食べようとする。豚は雑食なので鋭い歯は持ち合わせていないのだが、それでも手加減などするはずもなく、ものすごい力で靴を齧る。瞬く間に、ジーパンも靴も泥だらけになっていた。

 それにしても、近くで見る豚はすごくかわいい。愛嬌のあるつぶらな瞳、カールした長いまつ毛、笑っているように見える口元。吉岡さん曰く、豚はとても賢く、好奇心が旺盛で、飼ってみると犬よりもかわいいとのこと。確かに、柵のそばに吉岡さんが立つと豚達は自然にそこに集まってくる。「こんなにいい環境で育つ豚は他にいないよ」との言葉通り、吉実園の豚達は、ストレスがなく自由奔放にのびのびと育つ。とても幸せそうだった。

FireShot Capture 212 - 海へ、山へ、森へ、町へ -

 そもそも吉岡さんが豚を飼い始めたきっかけが面白い。なんと、最初はポニーを飼いたかったのだという。造園業を営む吉実園には植木のための広大な敷地がある。そこをポニーに乗って散歩したかったらしいのだ。吉岡さん、根っからの動物好きである。けれど、当然と言えば当然、家族に猛反対をされた。そこで、ポニーがダメならばと、今度は独断で豚を買ってきてしまったのだ。一頭では淋しかろうと、最初は三頭からの門出だった。それが今では、乗豚をする暇もないほどの、二十頭以上の「親父」である。

 豚以外にも、吉実園では烏骨鶏、アローカナ、ボイスブラウンという三種類の鶏を飼っている。放し飼いなので、鶏自体にもストレスがかからない上、雑草を食べて草むしりを勝手にしてくれるから大助かり。雄も一緒に放し飼いにしているので、雌が産むのは有精卵となり、栄養満点のおいしい卵ができる。「うちの卵食べたら、他のは食べられないよ」と吉岡さん。おっしゃる通り、最高の卵だった。毎日でも、卵かけご飯が食べたくなる。

 産み立ての卵は、ぽかぽかと温かかった。有精卵だから、そのまま雌鶏が温め続ければ雛になる。そこには、命そのものがぎっしり詰まっている。そんな卵をいただくのだ。ひとつとして、無駄にすることは許されない。

 吉実園では、植木の手入れをして出た葉っぱなどのゴミを粉々にして豚糞と混ぜ、そこに米ぬかも加えて切り返しをしながら熟成させる。それを更に鶏小屋に入れ、今度は鶏糞も混ぜ堆肥にする。「オーガニック」などという言葉が頻繁に登場する以前から、地球にも人にも優しい循環農業を営んできた。

 こうして大切に育てられた豚達は、やがて出荷され、東京Xとなって私達の命に還元される。手塩にかけて育てた豚を手放すのは、きっといつだって辛いはず。それでも消費者においしく食べられることで、その気持ちが浄化されるのだろう。

 一方、宍戸園の宍戸達也さんは、こちらも十数代続く農家の畑を受け継ぎ、土を耕しミミズも長野からスカウトして、九年前からブルーベリーの有機栽培を行っている。そして、授粉用にと飼い始めたミツバチがきっかけとなり、今では本格的に西洋ミツバチを飼い、養蜂にも取り組んでいる。

 大きな桜の木の下に置かれた巣箱では、ひっきりなしにミツバチ達が出入りを繰り返していた。ミツバチは、とても高度な集団生活を営む。女王蜂に仕えるメイド、巣箱への外敵侵入を防ぐ門番、花の蜜を集めてくる働き蜂など、それぞれにきっちりとした役割がある。必死になって蜜を集めてくるその姿は、健気であり愛いとおしかった。

 宍戸園の畑には、ブルーベリー以外にも、バラ、レモン、すぐり、桃など、たくさんの植物が植えられている。そこはまるで、畑というより花園のようだった。散歩気分で歩いていると、どこからか甘い香りが漂ってくる。蜂蜜にバラの花の蜜が混ざると、セクシーな味になるのだそうだ。

 ミツバチは、半径約二キロの世界を飛び回り、蜜を集める。それをミツバチにしかできない方法で、蜂蜜へと変える。人間の知恵で花の蜜を採ることはできても、それを蜂蜜に変えることは絶対にできない。つまり蜂蜜というのは、その土地そのものの味であり、唯一無二のもの。しかも、ミツバチが一生のうちに生産できる蜂蜜の量は、わずかにティースプーン一杯分とされており、大変貴重なのだ。

 巣箱を開けて直接指で掬い取った百パーセント純粋な蜂蜜を口に含むと、一瞬にしてふわりと天国に導かれるようだった。力強く芳醇で、かつロマンティック。さまざまな花の香りがする。

 宍戸さんは、たとえばローズウォーターを作るためのバラの花びらを摘み取る時も、身を清めるためにシャワーを浴びる。自然と向き合う時は、常に気持ちが大事、と宍戸さん。毎朝、ミツバチさんおはよう! バラさん、今日も素敵! そんなふうにニコニコとした気持ちで接している。中途半端な気構えで作っていたのでは、蜂蜜に込めた自分達のメッセージが消費者に伝わらないと思うからだ。宍戸さんの言葉は、一つ一つが詩のようだった。

 野菜、豚肉、卵、蜂蜜。これだけ揃えば、十分豊かな食生活を送ることができる。それらを、欲張らず無駄にせず、丁寧に料理し感謝していただく。私達都会に暮らす人間も、ちょっとした選択の仕方で、せめて地球を労わる暮らしができるかもしれない。取材の間中、私は「希望」という言葉を嚙みしめていた。

FireShot Capture 213 - 海へ、山へ、森へ、町へ -

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『海へ、山へ、森へ、町へ』/小川 糸

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