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なくし物は大人気マンガの原稿?…必ず涙する、感動の鉄道員ミステリ #3 一番線に謎が到着します

郊外を走る蛍川鉄道の藤乃沢駅。若き鉄道員・夏目壮太の日常は、重大な忘れものや幽霊の噂などで目まぐるしい。半人前だが冷静沈着な壮太は、個性的な同僚たちと次々にトラブルを解決する。そんなある日、大雪で車両が孤立。老人や病人も乗せた車内は冷蔵庫のように冷えていく。駅員たちは、雪の中に飛び出すが……。

「駅の名探偵」が活躍する、二宮敦人さんの『一番線に謎が到着します』。鉄道好きもミステリ好きも、涙なしでは読めない本書から、一部を抜粋してお届けします。

*  *  *

「ブリーフケースというと、どういった……」

壮太はメモを取りながら質問する。

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「黒いブリーフケースです、書類を入れる。こう、四角くてB4の用紙が入るサイズなんです。持ち運び用の取っ手がついてまして、中身は紙が二十八枚……」

女性は指で大きな四角を描いてみせた。確かにB4が入るとなると、結構大きなものだろう。

「七曲主任、お願いします」

壮太は七曲主任の方を見る。

「おう、今探してる」

七曲主任は言われる前からパソコンで忘れ物情報を検索していた。この端末からは蛍川鉄道全線の忘れ物情報が確認できる。七曲主任はマウスとキーボードを操作してディスプレイを見た。そして、壮太に向かって首を振った。

「ない」

壮太は頷いて女性に向き直る。

「お客様、まだ忘れ物を回収した駅はないようです。いつ頃お忘れになったかを教えていただいても……」

その時、どたどたと外で人が走る音がした。足音は近づいてくる。何かと顔を上げた壮太の前に、大柄な男が現れた。そのスーツを着た壮年の男は、手を突き出すと遺失物係のガラス戸に勢いよく取りついた。どしんと一度衝突し、部屋が揺れる。男性は尻餅をつき、頭を押さえて呻く。

啞然とする壮太たちの前で男性は猛然と立ち上がる。そして赤くした顔で壮太や七曲主任と目を合わせ、再びガラス戸に衝突した。振動が走る。女性がはっと口を開き、慌てて立ち上がると戸の取っ手を摑んで横に開けた。

「ああ、引き戸なのか」

「船戸さん、引き戸って書いてありますよ」

「すいません、引き戸でした」

なぜか壮太も謝る。

女性に船戸と呼ばれた男性は膨らんだ額を押さえながら、鼻息荒く女性に走り寄った。

「そ、それどころじゃない! わ、忘れ物は? 亜矢子君、忘れ物は見つかったのか? 見つかったんだよな? お、おい、どうなんだ!」

女性は気圧されつつも、俯いて弱々しく首を振った。

「ば、バカ野郎ッ! お前それでも編集者か!」

船戸と呼ばれた男は憤りをこらえきれないとばかりに、デスクに拳を思い切り打ち付けた。壮太の制帽が三センチほど宙に浮いた。七曲主任が眉をひそめる。

「ああっ、す、すみません駅員さん。つい、つい」

男はすぐに慌てて頭を下げる。

「い、いえ……」

曖昧に答える壮太に、男は慣れた動作で名刺を取り出した。

「私こういう者です。亜矢子君の上司にあたります」

差し出された名刺には「講論社 第二編集室 週刊少年ソウル編集長 船戸厚」とある。

少年ソウル? 壮太は思わず文字を見返した。毎週三百万部超を世に出す、日本で一番売れている週刊漫画雑誌だ。壮太も学生の頃はよく読んだ。

「亜矢子君から連絡を受けて、急ぎやってきたというわけです。駅員さん! お願いします! 今すぐ電車を止めてください!」

「な、何ですって?」

「どうしてもあれは必要なんですよ! 早く忘れ物を見つけてください! 本当に重要なんです! なくなったら、取り返しがつかないんです!」

「すみません、中身はどういったものですか? 紙が数十枚としか伺ってないのですが……」

七曲主任が興奮する船戸をなだめつつ聞いた。

なんだ、まだ言ってないのか? という目で船戸は亜矢子を見る。そしてすぐに七曲主任を見、切羽詰まった形相で吠えた。

「本庄和樹先生の原稿なんです! 病床の本庄先生が、最後の力で描いた原稿、『明日の僕へ』最終回!」

壮太は戦慄する。

「わかりますか? 現在、日本で最も貴重な紙の一つなんです!」

室内の全員の目が、船戸に集まった。

少年漫画「明日の僕へ」。その人気は、漫画を読まない人でも知っている。週刊少年ソウルで六年前に連載開始されるや否や読者人気投票トップに立ち、看板漫画として少年ソウルを牽引。コミックス最新刊の初版部数は五百万部を超えた。アニメ化されると、その映画は夏の定番になった。主人公の決め台詞はある年の流行語になった。関連図書、ゲーム、グッズなどの売り上げも莫大で、その経済規模は一千億円を超えるとも言われている。これまでの漫画の記録を塗り替えた大ヒット。今や日本全体を巻き込んだムーブメントと化していた。

その人気の絶頂で、作者の本庄和樹に緑内障が発覚。進行が速く、失明もあり得るとニュースになったのはつい最近だ。この作品だけはどうしても完結させたいとの作者の意向で、連載中の本作はゆっくりと完結に向かって動き出していた、そこまでは壮太も知っていた。だから思わず声が出た。

「あの、『明日の僕へ』の最終回?」

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「はい。本庄先生の視力は確実に弱っています。昨日引けた線が、今日は引けない。描き直しさせるわけにはいかないんです。本当に、かけがえがないんです。そして最終回と連動して、お祝い企画やグッズのプロモーションも走ってる! あの原稿がないとなればわが社は信用を失い、損害は何億円、いや何十、何百億……」

自分で想像して気が遠くなったのか、船戸の顔が赤から青に変わった。細かく震える唇の端には泡がたまり、天井を仰いだ拍子によろける。慌てて亜矢子が椅子を差し出し、上司を座らせた。

「助役! 及川助役ッ! 緊急事態発生です!」

七曲主任が叫んだ。

遺失物係は、奥で窓口事務室と繋がっている。そこから血相を変えた及川助役が飛び込んできた。

概要を聞いて、老練な及川助役もさすがに絶句した。しかし慌てている場合ではない。及川助役は品のいい口元を引き締め、頷く。長身痩軀、ロシア人が遠縁にいるという彼のたたずまいは、室内の空気を凛とさせた。及川助役は良く通る声で叫んだ。

「非常事態を宣言する! 七曲、運転指令に緊急連絡だ。藤乃沢駅で重大忘れ物発生、各駅一斉放送で黒のブリーフケースの確保と、該当の忘れ物について情報を藤乃沢に集約するよう依頼しろ!」

「はい!」

七曲主任が立ち上がり、走って指令直通の鉄道電話に取りつく。さらに指示が各員に出される。

「人が足りん、佐保と翔も呼び寄せろ! 昼食休憩中? 引っ張ってこい! 各駅に捜索依頼の用意だ。ダイヤを出せ、列車の現在位置を確認するんだ」

最後に及川助役は、壮太をその蒼灰色の瞳で見て言った。

「壮太は、引き続き忘れ物情報の聞き取りだ。できるな」

壮太は緊張しつつも、頷いた。

船戸と亜矢子の二人を見据え、壮太は質問を始めた。

「お忘れになったことに気づいたのは、いつですか?」

「いつだ、おい! いつだよ!」

船戸がせっつき、亜矢子が考え込みながら答える。

「二十分ほど前かと思います……」

「はあ? 二十分前? 亜矢子君、その間何してたんだよ!」

「ふ、船戸さんに電話したり……近くを探したり」

「電話ったってお前、その前にやることがあるだろうがよ!」

喚き続けようとする船戸を、及川助役が制した。

「申し訳ありませんが、まずは一刻も早く情報を整理させてください」

「そ、そうか、そうですね、すみません」

壮太が続いて聞いた。

「亜矢子さん、電車の中で忘れたんですよね。その電車は各駅停車でしたか?」

「はい。川入駅から乗りました」

「となると、上り電車ですね」

「はい。電車の行き先はちょっと覚えてません」

「川入で電車に乗った時間はわかりますか?」

「ええと……すみません、乗ったのは十二時ちょっと前としか……藤乃沢で降りたのは、十二時十五分くらいでした」

「わかる範囲で結構ですよ。お乗りになった車両は?」

壮太は次々に質問を繰り出す。正直浮足立ってはいたが、それでも何回も繰り返した業務である。メモ用紙にペンを走らせつつも、頭の中にはすらすらと次の質問が浮かんできた。

隣では及川助役がダイヤグラムを広げている。ダイヤグラムとは、列車のダイヤが書かれた一枚の紙である。各駅での発着時刻などが記載されている。亜矢子が乗車した列車を絞り込んでいるのだ。

「すみません、車両というのは……?」

たどたどしく話す亜矢子を、船戸が気が気でないという様子で見つめている。しかしさすがに落ち着いてきたのか、叱責するような気配は消えていた。むしろ、何とか思い出してくれと懇願するような目であった。

「ええとですね、何号車にお乗りになったのかを知りたいのです。前の方か後ろの方かだけでも、覚えていませんか?」

「最後尾だったと思います。女性の車掌さんが見えましたので。私は車掌室のすぐ横くらいに座っていました……」

「了解です」

女性車掌……ひょっとしたら同期の恵美かもしれない。

壮太の頭にそんな考えが走る。となると該当の列車は、十二時十三分発の松原大塚行き各駅停車だろうか。

「中井、楠、ただいま到着しました!」

声が響く。

騒々しく足音を立てて、室内に佐保と翔が飛び込んできた。佐保はご飯粒を頬につけたまま、翔は制帽を押さえながら。彼らの後ろからは駅長も、しかつめらしい顔でにゅっと顔を出す。室内は慌ただしくなってきた。

「たぶん、列車番号一二〇五Bだな……」

及川助役がダイヤグラムを見て頷く。それから身を乗り出して聞いた。

「お客様、お忘れ物はどのように置いていましたか?」

亜矢子は上目づかいで答えた。

「ええと、たしか、網棚に……載せていました。えっと、その、おそらく紙袋を膝の上に置きましたので……」

「列車の進行方向から見て、右左どちらかわかります?」

「左側です。藤乃沢で、ドアの開かない方です」

「左側ですね。かしこまりました」

及川助役がダイヤグラムで素早く確認する。

◇  ◇  ◇

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一番線に謎が到着します 若き鉄道員・夏目壮太の日常

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