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これは宣戦布告なのか…総務部長が活躍する、金融業界が舞台の痛快小説 #2 メガバンク絶体絶命

破綻の危機を乗り越え、総務部長に昇進した二瓶正平。副頭取の不倫スキャンダル、金融庁からの圧力、中国ファンドによる敵対的買収。真面目なだけが取り柄の男は、銀行、仲間、そして家族を守ることができるのか……。金融業界を舞台にした波多野聖さんのエンターテインメント小説、シリーズ第二弾となる『メガバンク絶体絶命――総務部長・二瓶正平』は、前作を超える痛快なストーリーで一気読み必至。ためしにその冒頭をご覧ください。

*  *  *

文京区にある東帝大学の近く、本郷七丁目の本富士警察署にヘイジがタクシーで到着したのは午前一時前のことだった。

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「あぁ……二瓶部長」

役員付運転手の内山が不安そうな様子で玄関前で待っていた。

「一体、何があったんです?」

内山は副頭取の佐久間が根津のマンションから手錠を掛けられて本富士署に連行されたと語った。

「なぜ副頭取がそんなところに?」

内山は難しい表情になって黙り、下を向いた。

それを見てヘイジは言った。

「内山さん。僕は総務部長です。当行の様々な問題を処理しなくてはならない立場にあります。秘密は絶対に守ります。あなたから聞いたなどと決して口外しません。ですから全て話して下さい」

「二瓶部長のことは信頼しております。いつも下の者に気を配って下さる方ですし」

「このような時は早い段階で適切に動いておかないと取り返しがつかなくなる。ですから、正確な情報が必要なんです」

内山は大きく頷き、全てを話してくれた。

ヘイジはその内容に驚くと共に、話の中に自分の部下である弓川咲子の名前が出たことでズシンと重い気分になった。

個人情報保護の観点から行員のプライベートな情報は人事部で厳しく一元管理されているため、総務部の直属上司のヘイジでさえ彼女がどこに住んでいるかは知らなかった。

ヘイジの頭に行内での彼女の様子が浮かんだ。

仕事にむらがあり、気に入ったものは一応こなすが、そうでないものは雑に処理する。しばしば横柄な態度を取り、それを注意されると逆切れする。部内で問題行員とされている女性だった。

(偉そうな態度は、副頭取の愛人だということから来てたのか……)

色々と思い当たる点があった。

一方、副頭取の佐久間も評判の良い役員ではない。

帝都銀行出身で元最高裁長官の息子。毛並みの良さを珍重する行風によって出世した人物で、仕事で功績を上げたわけではない。“帝都の伝統”に属する典型的人物だった。

秘書室から計上されてくる出張費、交際費が他の役員より頭抜けて多いことはヘイジも知っていたが、その裏に弓川咲子を愛人にしていた事実があるとは思いもつかなかった。

「専務時代から弓川さんを連れて出張と称して熱海や伊豆に行ったり、海外へ連れていくこともありました。成田や羽田への送迎も全部、私がやっておりましたから」

内山が気の毒になった。

「よく、ずっと耐えてらっしゃいましたね」

「運転手として担当役員の秘密はどんなことであっても守る。それは当然ですから……」

ヘイジはやりきれない気持ちになった。佐久間が内山のそんな真面目さを利用し続けたことに憤りを覚えたが、今はそれどころではない。

「それにしても、何があったんでしょう? 手錠を掛けられていたのは副頭取だけで、弓川はそうではなかったんですね?」

「はい。彼女は怪我をしているようで、救急車に乗せられました。さっぱり訳が分からないんです」

その時だった。

玄関前にパトカーが停まり、中から弓川咲子が出て来た。警察官に付き添われてこちらに向かってくる。左腕をアームホルダーで吊っていた。

話しかけようとしたが警察官に遮られた。病院で手当てを受け、これから事情聴取されるのだという。

ヘイジと内山はその後ろ姿を見送った。

「関係者の方?」

後から来た警察官が声を掛けてきた。ヘイジは名刺を差し出した。

「東西帝都EFG銀行、総務部長の二瓶と申します。当行副頭取の佐久間が連行されたと、こちらの運転手の方から連絡がありまして」

「暴行傷害で事件になりそうだから時間がかかるよ」

ヘイジと内山はその言葉に驚いた。

「女性の方が男に暴行されたと言ってるからね。簡単には済まない」

「女性って……先ほどの?」

「あぁ、病院で手当てをしてたから。左腕の骨にヒビが入る全治三ヵ月の怪我だ」

ヘイジは驚いたが、そこで気持ちを落ち着かせた。

「弁護士に連絡してもよろしいでしょうか?」

「どうぞご自由に」

そこからヘイジはプロの総務部長として動いた。

まずTEFG専属で刑事事件なら二十四時間対応可能な弁護士の携帯に連絡し、すぐに来てくれるように頼んだ。

(そして……あの人だ)

もう一人、この状況で連絡すべき人間がいることを忘れていなかった。顧問で警察庁OBの二階堂和夫だった。ヘイジが最も恐れるのはこの件がマスコミに洩れることなのだ。

(東西帝都EFG銀行の副頭取が女性への暴行傷害で捕まったなどと知れたら、大変なことになる)

情報は警察からマスコミに流れる。それを止める役割を二階堂に求めたのだ。

二階堂の携帯に連絡すると、真夜中にもかかわらずすぐに出てくれた。

事情を話すと、「十分後にこちらから連絡します」と言って電話が切られた。

きっかり十分後にヘイジの携帯が鳴った。

「全部押えました。所轄からはどこにも洩れませんのでご安心下さい。警視庁記者クラブの方にも手を回しましたから、そちらも動くことはありません」

「ありがとうございました」

二階堂は無駄なことは一切言わず、それだけ伝えると電話を切った。ヘイジはひとまず胸を撫で下ろした。それから一時間ほどして弁護士がやって来た。

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そうして……朝になった。

先に姿を現したのは弓川咲子だった。整った顔つきの疲れたような表情が、どこかなまめかしく見える。

ヘイジの姿を見ると、不敵な笑みを浮かべた。

「弓川さん。一体何があったんだ?」

そう訊ねたヘイジに対する彼女の態度は驚くべきものだった。

「警察の方に全てお話ししました。ここで申し上げることは何もありません」

能面のような顔で言うのだ。

啞然としたが、重ねて訊ねた。

「僕は君の上司だ。ちゃんと話してくれ。そうでないと君を守ってやれない」

その言葉に咲子はキッと表情を作った。

「守る? 部長が守るのは私じゃなくて銀行の評判でしょう?」

「何を言ってる、何度も言うが僕は君の上司だ。君を守るのが僕の務めだ」

咲子は何とも冷ややかな視線を向けてきた。

「私は名京出身者風情に上司風吹かされたり、とやかく言われたりするような人間じゃないんです。それに、帝都生え抜きの人間も、もう私には逆らえなくなるんですよ」

そう言ってヘイジを見据えた。

「き、君は一体……」

「佐久間副頭取にお聞きになって下さい。TEFGには十二分に償って頂きます。そうでないと……後悔しますよ」

そして、隣にいる内山に目を移すと命令口調で言った。

「ウチまで送って。内山さん」

内山はヘイジを見た。ヘイジは黙って頷いた。咲子は貴婦人のように微笑んでから内山と共に出口に向かう。

その後ろ姿を見ながら思った。

(これはやっかいだぞ……)

一体何が起こったのか分からないが、般若と化した女の恐ろしさは男の誰もが知っている。弓川咲子から何もかもを焼き尽くすような、途轍もなく強い意志を感じたのだ。

(きっととんでもないことを考えている)

日頃の態度から扱いが難しい女性だとは承知していたが、副頭取の長年の愛人であることが判明した上に警察沙汰となった今、さらにその難しさは複雑さを帯びている。

あの女――TEFGに宣戦布告したつもりか。

仮にも上司であるヘイジに対してこれ以上ない不遜な言葉を口にした。組織を敵に回す意志を明確に示したことに他ならない。

(何があったにせよ、大変なことが起きる)

TEFG自体が罠に掛けられたような気がした。

それにしても……タイミングが悪い。

週明けには日銀考査が始まる。

総務部長、二瓶正平のまさに正念場だ。


東西帝都EFG銀行の副頭取、佐久間均は警察の取調室で茫然自失の状態にあった。

なにが起こったのか訳が分からず、警察に逮捕された恐怖と動揺で何も喋れず、結果的に黙秘の形になっていた。

明け方近くに接見に訪れたTEFG専属のベテラン弁護士は、憔悴し小刻みに震えながら俯く佐久間に笑顔を見せ、落ち着いた様子でまず声を掛けた。

「佐久間副頭取、警察に逮捕されるときは誰もが初心者です。怖いし恐ろしい。動揺するのは当然です。決して恥ずかしいことではない。まずは『自分は初心者だ』と開き直って下さい」

弁護士の言葉を聞いて佐久間は「あぁ」と息を吐き、少しホッとして顔を上げた。「副頭取」と敬意を持って呼びかけられたことで日常を取り戻せたように感じた。「佐久間」と呼び捨てにされ続け、刑事から強い口調で質問攻めにされて氷のように固まった神経が溶けたかに思えたのだ。

「恥ずかしいことではない」という言葉が心を落ち着かせてくれた。

ベテランゆえの見事な接見術だった。

「先生、ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

弁護士はその佐久間に微笑んだ。

「これが私の仕事です。何の遠慮も要りません。高いお金で雇われています。どうぞ私を遠慮なく存分に使って下さい」

プロフェッショナルの言葉に「ありがとうございます」と涙を流しながら頷いた。

それから弁護士は目の前に座って、真新しいノートと使い込まれたモンブランのボールペンを取り出した。ノートを開くとしばらく黙って佐久間を見つめた。

「副頭取、昨日、目が覚めた時のことを思い出して下さい。そして、それからのことを順番に教えて頂けませんか?」

事件についてではなく昨日の朝からのことを、と言われたために佐久間は冷静に記憶を辿っていくことが出来た。

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『メガバンク絶体絶命』波多野聖

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