王者・ヤフーに勝つためには?…藤田晋が告白する成功への軌跡 #4 起業家
ネットバブル崩壊後、会社買収の危機だけでなく、業界の低迷で社内外から批判を浴びた日々。再びのネットバブルで親友・堀江貴文に抱いた嫉妬心。そして発生したライブドア事件。株価大暴落のなか、進退をかけて挑んだ新事業の行方は……。当時の内幕を赤裸々につづった、サイバーエージェント社長・藤田晋さんの『起業家』。前作『渋谷ではたらく社長の告白』とセットで読みたい本書から、一部を抜粋します。
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中途半端だった「あるあるネット」
堀江さんと私はさまざまな事業を一緒に立ち上げたのですが、その中に、
「あれ悔しいよな……」
「もっとちゃんとやっておけばよかったね……」
そんなふうに思い出しては悔しがる事業があります。
1999年に立ち上げたポータルサイト「あるあるネット」がそれです。
広告代理事業から私が脱却したかったのと同様に、堀江さんも請負制作事業から脱却したいと考えていました。
ヤフージャパンの高収益をよく知っていた私たちは自分たちでも独自の検索エンジンが作れると考え、当時は日本で初の検索結果広告を採用した「あるあるネット」をリリースしたのです。
これは可愛い犬をキャラクターに設定し、検索の案内犬として置いているサービスでした。デザインも可愛らしく馴染みやすいサイトだった、と今でも思っています。
ただ、デザインは可愛かったのですが、サービスがいまいちでした。
本来であれば事業を大きく育てるためにスタッフの人数を割いたり、私も堀江さんもこの事業に集中してサービスの精度を上げるべきだったと思います。
そうすれば、メディア企業になるうえで、タイミング的にもまたとない大きなチャンスだった可能性があったのです。
しかし堀江さんは移り気でした。
数人の社員を配置しただけで満足したように、堀江さんは他の事業に関心を移してしまったのです。
私のほうも結局同じでした。
最初のうちは、この事業の営業に力を入れていたので、堀江さんにもっと開発に力を入れてほしいと要望していました。しかし、メディア事業の品質の重要性について当時はちゃんと理解できていませんでした。
だから堀江さんが力を入れないなら仕方ないと、私もまた、この事業に集中しきれず、他にもたくさんあった事業アイデアのほうに関心を移してしまったのです。
結果的に「あるあるネット」は、リリース時こそ多くのメディアで取り上げていただいて、大変な話題になったのですが、その後の運営体制が追い付かず、なんとも中途半端な形のまま終わってしまいました。
あの時期、もっと「あるあるネット」に資金と人を投入して自分たちも集中していれば、今頃大規模なポータルサイトを持てていたかも知れません。
立ちはだかる「知名度」の壁
ただその一方で、当時、二人でこんな話もしていました。
「ヤフーと同じものが作れても、知名度が追いつけないんだよなぁ……」
「ここまで有名になっちゃうとね……」
「知名度」。
それがインターネットメディアにとってどれだけ重要かを私と堀江さんは骨身に沁みて知っていました。
高い知名度はアクセス数を増やし、コンテンツや決済などに対するユーザーの信頼度に繋がります。
その頃、笑い話のように言われたことですが、世の中にはヤフーがインターネットだと思っている人が結構いたのです。
それほどヤフーの知名度は圧倒的でした。
仮に同じクオリティのサービスを作り上げることができたとしても、もしくはクオリティで少し上回るサービスが作れたとしても、インターネットは頭に浮かんだサイトに自分からアクセスするので、ユーザーのほとんどは知名度が高いほうに行ってしまう。
一度知名度で先行されてしまうと、相当内容的に上回るものを作らない限りは、追いつけないのが実情です。
知名度を上げること。
堀江さんが、ライブドア社を買収したのもそれが目的でした。
私が知り合った頃、堀江さんの会社はオン・ザ・エッヂという名前でした。
会社の知名度をどうしても上げたかった堀江さんは、TVCMをかなり流していた無料プロバイダーのライブドアを買収し、自らの社名を買収した社名のライブドアに変更したのです。
当時、堀江さんは言っていました。
「事業は買っても仕方がないようなものだけど、これだけCMをやっている会社だったら買う価値がある。この名前を買ったんだ」
だからプロ野球参入を通じてテレビや新聞報道で「ライブドア」「ライブドア」と連呼されていた体験を通じて、かつて堀江さんが言っていた「名乗りを上げるのは無料なんだ」という言葉の意味を、私ははっきりと理解していました。
一円も使うことなく社名を全国に知らしめることができたのです。
プロ野球に参入できれば抜群に知名度が上がるのはもちろんですが、買えなかったとしても得をする。最初こそ奇想天外な発想に思えた行動でしたが、堀江さんはどちらに転んでも負けない、賢い勝負をしていたのです。
そしてその後、私の予想を遥かに上回る勢いで、堀江さんは近鉄球団の一件を皮切りにぐんぐんと頭角を現していきました――。
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