なぜ香川真司はあえてスペイン「2部リーグ」チームに移籍したのか? #5 心が震えるか、否か。
欧州で10年、戦ってきた。重圧にさらされ、迷い悩んだときに、大切にしてきた心の指針がある……。日本代表で長年、背番号10を背負い、欧州主要リーグで日本人選手ナンバーワンの実績を挙げてきた香川真司。最近ではベルギー1部リーグ・シントトロイデンへの移籍が話題となり、さらなる活躍が期待されています。そんな彼の初著書『心が震えるか、否か。』は、サッカーファンならずともためになる、深い人生哲学がつまった好著。一部を抜粋してご紹介します。
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なぜ「サラゴサ」だったのか?
実は、心のなかでは、ひそかにこう考えていた。
「オレにはヨーロッパの第一線で、曲がりなりにも築いてきた実績がある。だから1部のクラブからもオファーが来るやろ」
自らのキャリアにあぐらをかこうとする気など少しもなかったが、ライバルとのレギュラー競争を戦い抜いてきた自信はあった。スペインや日本のメディアにも移籍への想いを丁寧に語るなど、移籍のための種もまいてきた自負もあった。
でも、オファーは届かない。またも移籍の期限は迫ってくる。
その過程で、無謀ともいえるようなオファーと情熱を送り続けてきたクラブがあった。
「カガワの移籍はまだ決まっていないのか? うちに来てくれないか?」
アランテギSDを筆頭に前のめりの姿勢を隠そうともしなかったレアル・サラゴサの関係者たちである。
香川が移籍先を決める際に重視した2つのポイントのひとつが、自分のことを本当に必要としているかどうかだった。
このときのサラゴサに対しては、その熱意を確認する必要はなかった。連日の電話攻勢から、それは伝わっていた。もちろん、カナレスを通して、フェルナンデス監督の起用方針やプランも伝え聞いていた。
あとは、サラゴサというクラブに心から挑戦したいと思えるようなものを、香川自身が見つけられるか次第だ。
時間をかけて、少しずつ香川は考えを変えていった。
いや、決意を固めていった、という表現こそが正しいのかもしれない。
他力本願ともいえる姿勢でオファーを待ってストレスをため込む自分とはもう、さよならだ。現実を受け入れて、挑戦していくしかない。腹をくくった。
「2部のクラブならば熱心に欲しがるというのが今のオレのスペインでの評価ならば、その評価を上げていくだけ。シンプルな話でしょ。オレはサラゴサで戦うよ」
〈FROM SHINJI〉
自分の生きている世界に、完璧な現状維持といった考えなど存在しない。完璧なサッカーが存在しないように。この世界で現状維持を目指そうとしたら、その時点から退化が始まる。
この決断にたどり着くまでの背景には、僕のポジションも関係していると思う。守備的なポジションの選手と攻撃的なポジションの選手とでは異なる。
例えば、守備の場合には、自分たちが意図して相手を一定の方向に動くようにしむけたり、相手の特徴を見極めたうえで対策を立てる。だから、選手が経験を積み、洞察力や対応力が向上すると、以前よりも良い守備ができるようになることがある。
でも、攻撃では自ら仕かけていく必要がある。このポジションの選手は経験を積み重ねるよりも、新しいものを身につけること、ゴールを獲るために失敗を恐れることなくトライすることが求められる。そうしなければ、ドリブルする能力もシュートを打つ能力も、相手の裏をかくようなプレーをする能力もさびついていく。
攻撃の選手にとって経験が足かせとなる理由は他にもある。自らリスクを冒してトライした結果として、失敗したとする。そのときの失敗はトラウマに似た“経験”となって、後の挑戦の邪魔をすることすらある。
無謀といわれる挑戦を決めた理由が、実はもう2つある。
ひとつが、2014年にユナイテッドからドルトムントへ復帰する際に、スペインのクラブからのオファーを避けた後悔だ。当時は挑戦しようと思えるだけの自信はなくて、心も弱っていた。
もうひとつが、幼いころから胸のなかにあったスペインへの憧れである。僕が初めてリアルタイムで見たW杯は1998年のフランス大会だったのだが、その時期に初めて目にしたヨーロッパサッカーがスペインのリーガ・エスパニョーラだった(最近では「ラ・リーガ」という呼称が定着しているけど、当時はみんなが「リーガ・エスパニョーラ」と呼んでいた)。
神戸の自宅ではスカパー! やWOWOWの視聴環境が当時はまだなかったのだが、あのころはNHKのBSチャンネルで放送していたから、僕も見ることができた。
カズさんが僕にとって練習や試合でのお手本だったが、リーガの選手たちは僕にとっては憧れだった。良い条件ではないとはいえ、そんな憧れの舞台に挑戦できるチャンスがあるのであれば、挑戦しない手はないだろうとも感じた。
「いやいや、香川はもう将来有望な若手じゃないんだから(笑)」
「香川って、落ち目じゃないか?」
一部でそう言われているのも知っている。
「無茶」なことをしている選手だと受け止められてしまうのは仕方がないのかもしれない。前例がないから。これまでもキャリアの終盤にさしかかるタイミングで戦うリーグやレベルを落としてきた選手たちはたくさんいる。
でも、僕のように一般的なプロサッカー選手としてのキャリアの折り返し地点を超えてなお、戦うリーグのレベルを上げようと目論んでいた人はいない。僕が下げたのは給料だけだ。だけど、活躍して評価が上がれば、そんなものはあとからついてくる。
そもそも、僕は無謀な道の真ん中を歩いて、ここまでやってきたのだ。
中学生になった段階で、サッカーの強豪校でもなければ、Jリーグのクラブのユース(ジュニアユース)でもないところへ、サッカー留学した。無難な生き方をする人なら、通らない道だ。
僕には無謀な挑戦への免疫がある。だから、サラゴサで全力を尽くすだけだと考えたのだ。
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