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「相手をとことん追い込まない」のが賢いヤクザの交渉術

理論武装、いちゃもん、因縁、いいがかり、難クセ……。さまざまなテクニックを駆使する「ヤクザ」の交渉術は、意外や意外、ビジネスパーソンにも参考になる部分が多々ある。そのテクニックを豊富な実例とともに紹介するのが、裏社会の事情にくわしい、山平重樹さんの『ヤクザに学ぶ交渉術』だ。読めばこっそり試したくなる、そんな本書から一部をご紹介します。

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ある大物親分の好判断

交渉ごとで大事なことは、いくらわがほうに九割九分九厘の正当性があろうとも、相手をとことん追いこんではならないということだ。

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窮鼠猫をかむのたとえもあるように、それが思わぬしっぺ返しを食らうことにもなりかねないし、とんだ落とし穴も待っていよう。

もう故人となってしまったが、京阪神地区の大物親分には、若かりし時分、こんなエピソードがある

自分の一家内の先輩がよその賭場でトラブルを起こし、木刀で頭を叩き割られる事件が起きた。聞くと、悪いのはどうもその先輩のようで、賭場を仕切っている者からそうやられても仕方のないことをしでかしたようなのだ。一家の先輩たちからは、

「せやけど、うちの者をやっといて、相手が何もいうて来んというのは、少し筋が通らんのとちゃうか」

という声もあがったが、その者の日ごろの行状の悪さもあって、結局は、

「放っとけ、放っとけ」

となった。だが、その親分は放っておけなかった。

こんなん、行かな、かっこ悪いでっせ

とただちに若い衆数人を連れ、日本刀を手に相手方へと乗りこんだ。が、身内の先輩の頭を叩き割った当人や他の痛めつけた連中は誰もいなかった。

代わって、そこの一門に連なる年配の博奕打ちが出てきて、

「ここはひとまず引きあげてくれ」

というのに、親分は血気盛んな時分であったから、

うちの者が辱めを受けて、そのままにしとったんではうちの面子がおまへんのや。ここまで来て帰るわけにはいきしまへん」

と突っぱねた。すると、その博奕打ち、

「気持ちはわかるが、ここはワシの顔を立ててくれんか。この土産は今日のうちにきちっと持ってくよってに、ここは引きあげてくれんか」

誠意の感じられる男の言葉に、親分もようやく引きあげる決心をした。

約束通り、博奕打ちはその日のうちに親分に土産を持ってきた。土産というのは、ヤクザ渡世でいう“落とし前”のことだった。

相手の「逃げ道」をつくってやる

博奕打ちはこう切りだした。

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「まずこちらの若い衆さんに怪我させた当人には小指詰めさし、破門にしますよって……。カタギにさせます。それから、うちで詫び状書いて医者代も出させてもらいますさかい……」

相手方の名代は、これ以上ないような大きな土産を出してきた。親分は黙って聞いていたが、大きくうなずくと、

「結構だす。それ、貰ときましょ」

ときっぱり答え、やがて意を決したように相手にこういいきった。

「これ、私が貰てええか悪いかわからんけども、ありがたく貰ときますわ。せやけど、その人間を破門にしても、小指詰めてもろうても、うちは何の得にもなりまへん。それより本人に、頭下げ、両手ついて、悪うおした、といってもろたら結構ですわ。ほんであとの土産は全部あんたがくれはったんやから、また返しますさかい、持って帰っておくれやす」

相手がびっくりした顔で親分の顔を見たのも無理はなかった。天秤が一方的に傾いているような好条件をいとも簡単に蹴とばしているのだ。そのうえで、ただ当人が手をついて謝まってくれさえすればいいといっているのだから、信じられなかった。普通の者なら「してやったり」と飛びつくところだろう。

「ホンマにそれでええんでっか。あんた、親分に怒られしまへんか」

思わず訊き返したほどである。実は親分はトップから、好きなようにやれと交渉のいっさいを任されていた。

「怒られんのは私どす。受けとっても怒られるやもわからしまへんし……。まあ、これだけは持って帰ってもらわなんだら、私も聞きとれまへん」

と押し通した。

結局、この一件で親分は大いに男をあげ、売りだすきっかけにもなった。あとで親分から報告を聞いたトップも、ことのほか喜んで、

「よくやった。それでええんや。破門してもろたところで、ワシがまた電車に乗ってその破門を解きにいかなならんし、小指もろうたところで、薬にも何にもならんし、詫び状もろたところで宝にもならんやないか。それでよかったんや」

と親分を誉めたという。

実際、その土産を全部もらっていたのでは、かえって親分のほうが男を下げることになったかも知れない。なんとなれば、いくらなんでもその条件では秤が一方に傾きすぎで、相手をとことん追いつめることにもなりかねなかったからだ。

掛けあいの要諦は、手の内にすべてのカードを握っていて、圧倒的に分のいい話であっても、全部の逃げ道をふさぐ形で相手を追いこんではならないということだろう。