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ビル・ゲイツを成功者に育てた「本の読み聞かせ・ボーイスカウト・新聞配達」 #4 アスペルガー症候群

近年、激増しているという発達障害。中でもアスペルガー症候群は、こだわりの強さや、対人関係の不器用さのため、「生きづらさ」に悩む人も多いそうです。そんなアスペルガー症候群の特徴や原因、改善策、活かし方まで、すべてを網羅したのが、精神科医・岡田尊司先生の著書『アスペルガー症候群』です。まさに決定版ともいえる本書の内容を、一部ご紹介しましょう。

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ゲイツ家のルールとは

マイクロソフトの創設者ビル・ゲイツは、周囲から見ると少し奇妙で、自分の世界に熱中するタイプの子どもだった。だが、後に彼は、技術者としてだけでなく、経営者としても一流の手腕を見せ、大成功を収めていく。いかなる養育や教育が、彼の知的能力だけでなく、社会的な能力を育てるのに役立ったのだろうか。

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ビルは、三人兄弟の真ん中で、唯一の男の子だった。父親は検事補から弁護士になった人で、母親はボランティア活動にも熱心な教師だった。

父親によると、ビル少年は、将来の成功を思わせる、何ら特別な徴候を見せなかったばかりか、「当時は、あの子を頭痛の種だとしか考えていなかった」という。息子の頑固な傾向やぼんやりして一向に準備ができないこと、協調性に欠けた態度やいたずらばかりしている点は、父親の目から見ても、将来を約束するものというより、不安を抱かせるものと映ったのだろう。

だが、母親の見方はより肯定的で、その基本方針は、エジソンの母親と通じるものがある。「わたしたちはどんなやり方にせよ、あの子の生活を縛りませんでした。ただ状況をしっかりと把握し、できるだけ影響を与えようとしただけです。でも、あの子は自分なりにきちんとやっていましたよ」

無論、ゲイツ家は、子どもたちを好きなようにさせていたわけではない。そこには、明白なルールがあり、それに従うことは、ごく自然なことだった。

たとえば、ゲイツ家では、子どもがテレビを見るのは週末だけで、平日は見られなかった。その代わりに、母親は子どもたちに、よく本を読み聞かせた。その甲斐あって、ビルも本が大好きになり、数学や科学の本にも興味を示したが、児童向けの物語も夢中になって読んだ。

もう一つ特筆すべきは、ゲイツ一家が、よくトランプやボードゲームやジグソーパズルを一緒に楽しむのを習慣にしていたことである。知的な遊びを通して、競い合う楽しみやコミュニケーションしながら遊ぶ楽しみを味わっただろう。

勉強より大事なことがある?

オールAだった姉に比べれば、ビル少年の成績は、算数以外はやや見劣りがした。しかし、両親は、息子の成績を上げることにはさほど関心も力も注がなかった。むしろ、わが子の関心が、ともすると知的世界にばかり向かいがちなことを危惧し、ビルをグループ活動や屋外での活動にできるだけ参加させた

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ボーイスカウトに入れたことは成功だった。ビルはそれに打ち込み、徒歩旅行や冒険を楽しんだ。楽しみばかりではない。仕事を与え、地方紙の配達を週三回やらせた。ビルの勤勉さは、そうした積み重ねによって培われていった。

夏は、水泳やダイビング、さらに大きくなってからは、ヨットで遊んでばかりいたが、それは望むところだった。友人一家とともに、入り江のほとりの丸太小屋に二週間滞在し、そこに集まる子どもたちは、一緒にチームを作り、森や海で遊び回ったり、集団ゲームやキャンプファイアーをしたりして過ごした。

その体験はビルの心に残り、後に、彼の企業グループが毎年開催するイベントのモデルとなった

小学六年生の時、ビルはコンテンポラリー・クラブという小学生の知的なグループに参加する。そこで、集まった子どもたちは、時事問題や興味ある話題について討論したり、仕事の現場を見学に訪れたり、リスクというボードゲームをして遊んだ。

それが、十二歳までのビル少年の暮らしであった。「頭はいいが、風変わりないたずら坊主」と見られていたビル少年は、こうした豊かな体験にどっぷりつかる中で、知的だけでなく社会的な刺激もふんだんに与えられることで、たくましく育っていったといえる。

十三歳で、彼の人生を決定づけるコンピューターと出会い、プログラミングの魅力に取り憑かれるまでに、彼は、社会的スキルや共感性を育むための時間を十分もつことができたのである。

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アスペルガー症候群

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