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すきま風は吹きやまず…ある日突然、父娘の人格が入れ替わったら? #1 パパとムスメの7日間

今どきの高校生・小梅と、冴えないサラリーマンのパパ。ある日突然、二人の人格が入れ替わってしまったら……? あっと驚く設定で多くの読者を獲得し、新垣結衣さん、舘ひろしさん主演でドラマ化もされた、五十嵐貴久さんの『パパとムスメの7日間』。ドキドキの青春あり、ハラハラの会社員人生あり。そして、入れ替わってみて初めて気づいた、おたがいの大切さ。読めば今すぐ家族に会いたくなる、本作のためし読みをお楽しみください。

*  *  *

Part 1 パパはパパ、ムスメはムスメ

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海。

波打ち際で遊んでいた子供が、立ち上がって振り向く。真っ赤なビキニの水着。また顔を海に向けて、波と戯れ始めた。

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押し寄せる波、引いていく波。はしゃぐその姿は、天使か妖精のようだ。

作りかけの砂の城が波で崩れる。潮が満ちてきたのだろう。声がした。女の子が思いきり顔をしかめる。まだ遊び足りないらしい。

ワンピースの水着を着て、麦わら帽をかぶったスタイルのいい女が現れた。女の子の手を強く引いて戻ってくる。

哀しそうに海を振り向いていた女の子が、あっち、と指さした。波打ち際に、スイカの模様がプリントされた浮輪がぽつんと置きざりになっていた。

女がそれを取りにいった。その隙を狙って女の子が走りだす。もっと、もっとお、とせがむように手を伸ばした。

「どうしたの」

男の声。

「うみ、もっと」

「もう終わりよ」浮輪を左手に下げた女が戻ってきた。「小梅、あんた唇が紫色になってるじゃないの。一回上がって、ピンク色になったらまた行っていいから」

「どれどれ、見せてごらん」

男の声がした。素直に女の子が顔を近づける。ママの言う通りだよ、とその唇を軽く指で挟んだ。

「あとでまた来ようね」

「いま、いま」

激しく首を振る。なあ、と男が言った。

「もうちょっといいんじゃないかな。陽も高いし、俺が見てるよ」

ダメ、とにべもなく女が答えた。

「ほら、タオル取って。ここの海のことはあたしの方がよく知ってるの。この季節だと、まだ冷たいんだから」

仕方ないね、と男が優しくつぶやいた。

「駄目だって」

女の子が頬を膨らませる。細く柔らかい髪を指だけで撫でながら、男が耳元で囁いた。

「ね、パパ約束するから。お昼ごはん食べたらまた来ようね」

唇を結んでいた女の子が、わかった、と嬉しそうにうなずいた。

「ママにはないしょ?」

「ママにはないしょだよ」

肩にかけていたバスタオルで、男が女の子の体を拭き始めた。ママ、こわいね、と女の子が唇だけで言った。そうだね、と男もひそひそ声になった。

「ねえ、大丈夫だよねえ」

でもいいの、と女の子が明るく微笑んだ。

「こうめ、あとでパパとくる。そのほうがいいもん」

パパだいすき、と女の子が手を握った。その小さな体を力強い腕が抱き上げる。そこで画像が途切れた。


私はビデオのスイッチをオフにした。懐かしい光景。十三年前、妻の理恵子の実家である千葉の海へ行った時に撮影したものだ。

私は三十四歳、理恵子は二十八、そして小梅は四歳になったばかりで、幼稚園に入った年だった。

(十三年、か)

胸の中のつぶやきに苦い何かが混じった。ビデオテープを取り出して、元通り棚にしまった。

居間から声が聞こえてきた。妻と娘が話している。わかったから、と理恵子の声が高くなった。

あたしがパパに話すから、それでいいでしょ、そんなキャンキャン言わないでちょうだい。もお、という不満の声と、はあ、というため息が重なった。

足音がして、ドアが開いた。あの頃のスタイルは、面影ぐらいしか残っていない。年齢と共に順調に体重を増やした妻の理恵子が立っていた。

「いい?」

答えを確かめることなく部屋に入り、後ろ手でドアを閉めた。

「何してたの」

「別に」

私は煙草をくわえた。七年前、二十五年ローンで練馬区大泉の一戸建てを買った。その代償として煙草を喫うことが出来るのは、玄関脇の納戸を改造した自分の小部屋だけになってしまった。何かが間違っていないか。いいけど、と理恵子が嫌そうに煙草の煙を手で払った。

「ねえ、小梅がアルバイトしたいんだって」

「アルバイト?」

小梅は十六歳、高校二年生だ。学校の規則はどうなっているのだろうか。

「今はどこの学校でもアルバイトぐらい認めてるわよ」先回りするように理恵子が言った。「駅前にファーストフードの店あるでしょ。あそこだって」

「どうかな、それ」

煙草の灰を落とした。

「どうかなって。反対?」

「反対っていうか。そんな金に困ってるわけでもないだろ」

あたしたちの頃とは時代が違うのよ、と理恵子が小さな丸椅子に腰を落とした。鈍い音がした。

「携帯とかつきあいとか。いろいろあるのよ、今の高校生には」

「俺の頃にもつきあいはあったぞ」

いつものことだが、会社でも家でも私の意見はほとんど採用されない。いいじゃない、社会勉強にもなるし、と理恵子が腕を組んだ。

別に私も頭から反対なわけではない。ただ、順序が違うのではないか、という思いがあった。

アルバイトしたいなら、それはそれで構わない。理恵子の言う通り、私たちの頃とは確かに時代も違うのだろう。

だが、話す順番が間違っていないか。この家の家長は私だ。まず私に話すのが筋ではないのか。

わかってるでしょ、と腕を組んだまま理恵子が言った。

「あのぐらいの女の子って、父親と話すのが嫌なのよ」

わかり過ぎるぐらいにわかっている。さっきまで見ていたビデオのざらついた画像が脳裏をよぎった。

あの頃はパパのことが大好きだった。世界で一番好きなのはパパ、と言い切っていた。パパのおよめさんになるの、とまで言っていたのだ。いったいあれから何があったのだろうか。

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小梅がはっきりと私を避けるようになったのは、高校受験の時からだ。実際には中学の頃から、そういう傾向があった。

理由がなかったわけでもなく、女の子というものは男親に対してそんなふうになるのは仕方のないことだと聞いていたから、放っておいた。それがいけなかったのかもしれない。

気がつくと、会話がなくなっていた。あまりにも自然にそうなったので、最後に話したのがいつだったのか思い出せないほどだ。

高校生ぐらいになれば女の子はみんなそうなのよ、と理恵子は言う。そういうことなのだろうか。

会話はもちろん、休日の食事も別々になった。この一年ほどは挨拶さえない。

そればかりか、私の下着と自分の衣服を一緒に洗濯するのを嫌がるようになった。私のあとに風呂に入る時は、お湯を入れ替える。

いや、そういうことがあるのは知っていた。私も一応、上場企業に勤めるサラリーマンだ。世間の常識ぐらいわきまえている。だが、まさか雑誌や新聞で読んでいた話が、わが家でも起きるとは思っていなかったのだ。

この一年間、関係の修復に努めてきた。まず妻を通じて、せめて挨拶ぐらいするように命じた。何も変わらないので、次の作戦に出た。私から“おはよう”、“ただいま”、“おかえり”、そんなふうに声をかけてみた。

どうもすべては逆効果だったようだ。ますます関係は悪化し、私が家に帰ると二階の自分の部屋に逃げ込むようになっていた。放っておきなさいよ、と理恵子が面倒くさそうに丸椅子から立ち上がった。

「あなたが反対なら、それはそれでいいけど、自分で言って下さいね。あたしは言えないから」

「なあ、くどいようだけど順番がおかしくないか。小梅が言い出したことだろう。だったら小梅が俺に頼みに来るのが筋じゃないのか」

「そういうこと言ってるから、娘が相手にしてくれなくなるのよ」

立ち上がった理恵子がドアを開いた。いいわね、パパがオッケーしてくれたって言うからね。

「ドアを閉めておいてくれ」

私は煙を鼻から吐き出した。精一杯の抵抗だった。

2

着信音が鳴った。メール。

ベッドに寝そべったままファッション雑誌を開いていたあたしは、飛び起きてケータイを確かめた。律子だった。バカ。あんたのメールなんか待ってない。

(せんぱーい)

どうして返事をくれないんだろう。さっきまでけっこういい調子だったのに。知り合って初めて、ケンタ先輩の方からメールをくれたのだ。

〈何してんの?〉

それだけだったけど、ホントに嬉しかった。思わずケータイを抱きしめたほど。

それからずっと時計を見て、八分後に返事を送った。即レスだといかにもだし、十分以上待たせたらカワイクない。だから八分後。

〈音楽きぃてました。アヴリル・ラヴィーン。ケンタ先輩は?〉

ホントは自分の部屋でテレビを見てた。お笑いのバラエティ。でも、それじゃ何だかバカみたいだから、音楽を聞いていることにしたのだ。

ちょっと見栄を張る気持ちもあった。あたし、洋楽を聞かない。だって英語わかんないし。だけど土曜日の夜だし、せめてアヴリルぐらい聞いてないとカッコつかないって思った。

〈なーんだ、家か〉

二分後、またメールが届いた。二分! え? ねえ、二分? どういうこと? 二分って、すごくない?

待て待て、待てあたし。どういう意味だろう。

〈なーんだ、家か〉

今ケンタ先輩は外にいるのだろうか。たった七文字だけど、それはどんな方程式より解くのが難しかった。どういう意味なの? どう答えればいいの?

ケンタ先輩が外にいて、遊んでて、誰でもいいから女の子呼べみたいな話になって、それでメールを打ったのか。

それとも遊びに行った帰り、駅からの道で、ふっとあたしのことを思い出して、それでメールをくれたのか。

それともそれとも、そんなことぜんぜん関係なくて、ただの暇つぶしでメールしてみただけなのか。

可能性はたくさんあって、その中から正解を選び出し、いちばんふさわしい返事をしなきゃいけない。しかも四分以内で。ムリ。だからあたしはあたりさわりのないメールを返した。

〈家ですよぉ。もぅ遅ぃし。先輩は?〉

文章は短めに、でも質問はちゃんと入れて。そしたら、返事があるかもしれない。

〈部活終わりで、家だよ受験だし〉

きっかり五分後、メールが入った。ケンタ先輩は一年上の高三で、受験生だ。さ来週の期末試験が終われば、あたしたちは夏休みだけど、先輩は夏期講習とか予備校とか模擬試験とか、やらなければならないことがたくさんあるはずだった。

〈タイヘンですね、受験ガンバってますか?〉

とりあえずそれだけ返した。待って待って、ねえ、ニッコリマークはどういう意味? あたしとメールしてるのが楽しいってこと? それともおあいそ?

ダメだ、頭がぐるぐるしてきた。最近ダイエットしていて、今日も夜ごはん食べてないから、お腹からもヘンな音がした。

メールでよかった。先輩の前でお腹鳴ったりしたら、あたし死ぬ。マジで死ぬ。

◇  ◇  ◇

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『パパとムスメの7日間』

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