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私、東京をクビになりました…現役医師が世に問う感動長編 #4 いのちの停車場

東京の救命救急センターで働いていた、62歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り訪問診療医になる。老老介護、四肢麻痺のIT社長、6歳の小児癌の少女。現場でのさまざまな涙や喜びを通して、咲和子は在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、自宅で死を待つだけとなった父親から「積極的安楽死」を強く望まれる……。

現役医師でもある南杏子さんが世に問う感動長編、『いのちの停車場』。吉永小百合さん主演で映画化もされた本作の、冒頭をご紹介します。

*  *  *

「ただいま」

咲和子は懐かしい思いで玄関を開け、大きな声を出す。

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「咲和子か。遅かったなあ……」

父は待ちわびたような声で言った。

「どうしたん? お父さん」

部屋は、母がいたころのようにこざっぱりと片づいていた。毎日、午前中の二時間だけヘルパーに来てもらい、買い物や掃除、洗濯などを頼んでいる。父も近くのスーパーに行く程度は動けるから、生活は安定している様子だ。

「疲れとるとこ悪いけど、すぐに仙川の診療所に行ってやってくれんか」

「なんだっけ、それ」

「お前が帰ってくるなら手伝ってやってほしいと。言うたよな?」

きちんと聞かされた覚えはなかった。

いや、いずれは咲和子も、何らかの形で仕事を再開したいとは思っている。けれどそれは、少し落ち着いてからのつもりだった。

「徹君の方は、すっかり当てにしとるぞ」

咲和子より二歳上の仙川徹は、主計町茶屋街の近くにある、まほろば診療所の二代目だ。

加賀大学医学部附属病院で糖尿病の専門医をしていたが、十五年ほど前に仙川の父親が亡くなってから診療所を継いだ。

「朝からうるさいくらい電話が来とったから」

父が苦笑する。

仙川家と白石家は父親同士が医学部の同級生で、家族ぐるみで付き合いがあった。咲和子が子供のころ、まほろば診療所の待合室にあった地球ゴマやパズルなどでよく遊んだ。

小学生の咲和子に、骨格標本や人体模型を与えてくれたのは仙川の父親だった。そんな「玩具」だけでなく、「探検」と称して診察室も折に触れて見せてくれた。咲和子の父は開業せずにずっと勤務医だったから、父の診察風景を見ることはなかった。だが仙川の父親が地域の住民たちから頼りにされ、尊敬されていた姿は子供心にも感じ入るものがあった。

「あいつ、足を折ってな。ようやく退院できたけど、患者の診察が一向に回らん言うてな」

まほろば診療所は、医学への興味を最初に刺激してくれた場だ。咲和子としても見過ごすことはできない。

「さっそく薪ストーブの出番かな」

咲和子は自分にささやく。

「なんて?」

「何でもない。じゃあお父さん、行ってくるね」

咲和子は玄関の壁にぶら下がる自転車の鍵を手にした。

咲和子は子供のころから親の言うことを素直に聞く子供だった。金沢に暮らす友人の多くがそういう調子で、親に逆らうという話は周囲で聞いたことがなかった。中学、高校時代の友人のほとんどは、今も市内で暮らし続けている。

咲和子が東京に出たのは、加賀大学医学部に受からなかったからだ。研修医として金沢に戻ってくることもできた。だが、ともに暮らすことを意識した相手もいたために母校での研修を選び、ずるずると東京で暮らした。結婚と離婚を経たあとは、さらに金沢に戻るきっかけを失った。

五年前に亡くなった母は、最後まで咲和子が東京で仕事をするのを応援してくれた。「もう帰って来まっし。いつまでも東京におって、なにしとるがいね」と親戚に言われるたびに、母はこっそりと陰で、「咲和ちゃん、あんたの好きにするこっちゃ。自分を信じまっし」と言ってくれた。

母は、母らしく生きたのだろうか、と今ごろになって思う。富山から嫁に来た母は、加賀料理に憧れていたと言い、人一倍、興味を持って楽しんでいたように見えた。だが、金沢に来た嫁として認められるために、生まれ育った味とは違うものを作り続ける日々には、もしかすると息苦しさもあったのではないか。

金沢には「嫁に行ったらすいの目くぐれ」という戒めの言葉がある。馬の尾毛を細かく織った裏ごしの道具である水囊をくぐるがごとく、嫁は辛抱して気を遣え――という意味だ。母は結婚の際、家族から「結婚したら、辛抱せられ」と送り出されたという。金沢の女性は、作法やしきたりを身につけることが特に重視されると教わった。

咲和子が金沢に戻らなかったのは、百万石都市の窮屈さを自分なりに感じていたからでもある。

玄関の扉を開けると、犀川の水音がザアザアと聞こえてきた。懐かしい感覚だ。咲和子は自転車にまたがり、強くペダルを踏み込んだ。

母が交通事故による外傷性くも膜下出血で亡くなったときは、いくら犀川のほとりにいても、寂しさで心がちぎれそうだった。だが、今回はどこかほっとした気持ちで川の流れを感じている。もし母が生きていれば、今の咲和子を見てどう思うだろう。都落ちしてきた娘に落胆したかもしれない。そんな姿を見せずに済んだのはせめてもの救いだ。

「お母さん、ただいま」

自転車をこぎながら、空に向かってつぶやく。

「咲和子は、東京をクビになりました」

雲の間から、母の「クヨクヨせんこっちゃ。自分を信じまっし」と笑い飛ばす声が聞こえたような気がする。

「うん。自分を信じてあげんとね」

一瞬、遠くの雲がにじむ。いくつになっても母の前では娘になる。

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まほろば診療所は、金沢を流れるもう一つの川、浅野川の中の橋近くに立つ。

犀川の桜橋から浅野川の中の橋に行くには、市中心部にある金沢城公園と兼六園の間を走るお堀通りを抜けるのが最も近道だ。そんな知恵を授けてくれたのは、若き日の父だった。子供のころ、父の自転車の荷台に乗せられて走ったのと同じ道を、咲和子もひた走る。

十分ほどで浅野川にぶつかった。犀川とは違い、浅野川は流れがゆるやかで水音がしない。そのつつましやかな風情のためか、優しい雰囲気がある。犀川を男川、浅野川を女川と呼ぶのもうなずけた。河畔に立つ多くの古い建物には手が入っているが、変わらずに残された家もある。昔と同じ用水路のある風景には自然と懐かしさが込み上げる。

浅野川の左岸を少し北上すると、中の橋に出る。歩行者専用橋で、擬宝珠付きの白木造りの欄干が風情を感じさせる。その先を左に曲がった突き当たりが、まほろば診療所だ。

久しぶりに来てみると、思っていたよりも道が狭い。救急車が入れるのかと心配になる。木の板に筆文字で書かれた診療所の看板は、くすんで読みにくかった。

二階建ての和風建築による診療所は、そのままの姿だ。前庭を飾る背の高いキンモクセイは、なおも盛んな樹勢を保っている。だが子供時代、あれほど巨大に見えた門は、老いて背を縮めてしまったかのように感じられた。

診療所の奥に自宅がある。仙川は大学卒業後、間もなく結婚したが、四十歳になったばかりのころ、妻を乳癌で亡くしたと聞いていた。

診療所の玄関ドアには、「しばらく休診します」と書いた紙が貼られている。

その紙を見やりつつ、もしかして閉鎖しているのかと思いながらドアを押してみた。あっけないほど簡単に開き、受付と書かれたカウンターの奥に座っているおかっぱ頭の女性と目が合った。三十代後半くらいか。患者は誰もいない。

「すみません、休診中でして」

女性はカウンター越しに頭を下げる。

「こちらこそすみません。あの私、白石咲和子と言い……」

咲和子も恐縮しながら言葉を返した。受付の女性が目を見開いた。

「えっ! 白石先生でいらっしゃいますか!」

女性はその場で立ち上がり、カウンターの外に出てきた。

「事務の玉置亮子です。こちらの部屋へどうぞ」

亮子の案内に従って古い診療所の廊下を進む。「診察室」と筆書きの札がかかったドアの前に立った。亮子がドアをノックをする。

「先生! 白石先生が来てくださいました! せんせえ!」

小さな拳で何度もドアをたたく。おかっぱの毛先も激しく揺れている。

少し間があったのち、中から「どうぞー」と、のんびりとした声が聞こえてきた。

父親の代からの診察室の雰囲気は昔のままだ。白衣を着た男性の後ろ姿が目に飛び込んできた。車椅子に座ったまま、大きく伸びをしている。「ああ、よく寝た」とつぶやきながら、タイヤの外側のハンドリムに手をかけ、こちらを振り返ろうと四苦八苦し始めた。

「徹ちゃん、大丈夫?」

咲和子は思わず昔の呼び方になって仙川に駆け寄る。

「おお、咲和ちゃんか」

仙川は、びっくりした顔で咲和子を見つめた。

「ずいぶんキレイになって驚いたよ。僕も太ってる場合じゃないなあ」

仙川は自分の頬を両手ではさむ。もともと仙川は色白のスラリとした少年だった。中学、高校と長じるに連れて背も伸び、ますますカッコよくなって、「誰もが憧れる徹ちゃん」だった。それなのに、今は見る影もない。脂肪で覆われた腰は、すっぽりと車椅子にはまり込み一体化して見えた。のんびりした声だけは昔のままだ。

「それより、一体どうしたの? 詳しい事情は何も聞かずに来てしまったんだけど……」

仙川は「いやあ、ありがと、ありがと。よく来てくれた」と、拝むように手を合わせた。

「坂道で転んで大腿骨頸部骨折だよ。手術して一か月のリハビリ入院から戻ったところだけど、なかなか歩けるようにならなくてね。ベッドから車椅子に移るので精一杯。いやあ、困った、困った」

介護者の手はようやく離れたものの、まだ仙川は生活のほとんどを車椅子に頼っているという。

「歩けるようになるには、まだ二か月くらいかかる。その間、診療はお手上げ状態だ」

天を仰ぐようにして仙川が嘆く。足以外は動くのだから、オーバーではないかと思った。

「少しずつ外来を再開したら?」

仙川はポカンとした表情で首を左右に振る。

「今、ウチは在宅専門でやってるんだよ……」

「え?」

今度は咲和子がポカンとする番だった。さっきの仙川以上だったかもしれない。

在宅医療とは、病気や怪我、障害、高齢などの理由で病院や診療所に通うことが難しい患者に対して、医師が自宅や施設を訪問し、継続的な治療を行う医療の形だ。定期的な「訪問診療」を軸に据え、臨時に医師が赴く「往診」を組み合わせて行われる。外来・通院、入院に次いで、「第三の医療」と呼ばれている。

いずれにしても在宅医療では、医療者の側が、自らの足で患者のもとへ出向く必要がある。医師が自由に動けぬ身では診療そのものが成立しない。

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いのちの停車場

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