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「山ごもり」のすすめ…自然に返る練習をしよう #3 明日死んでもいいための44のレッスン

社会現象にもなったベストセラー『家族という病』で知られる、作家・エッセイストの下重暁子さん。著書『明日死んでもいいための44のレッスン』は、84歳(執筆当時)になった下重さんが、みずからの「死」について考えた一冊。「明日、死んでもいい。むしろ死という未知の体験が楽しみ」と明るく語る下重さん。いずれ訪れる死を穏やかに迎えるための知恵が詰まった本書より、一部を抜粋してお届けします。

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死とは土にもどること


軽井沢の山荘に来ると、呼吸が楽だ。まわりの樹々や緑のせいだろう。

その軽井沢での特等席は、ヴェランダである。さりげない木の椅子に座って、風の音を聞いている。

明治のはじめ、宣教師が来日して素朴な別荘を建てた。旧軽の愛宕山の麓、避暑地・軽井沢の始まりである。宣教師の娘だったエロイーズ・カニングハムが友人の建築家吉村順三に頼んで設計してもらったこの山荘を、私はこよなく愛している。
 
落葉松や樅の木は年数を経て丈高く、風が梢をざわめかせて通り過ぎていく。ここへ来て、ほんとうの風の音を想い出した
 
雨の日は、くぐもった空気が鼻先をかすめる。そう雨の匂い! 昔、木造のわが家で嗅いだ、懐しい香りだ。
 
山荘に来ると、自然の一員にもどった気がする。
 
死とは、土にもどること。自然に返ることを意味する。
 
だから、今からその練習をしておかねばならない。
 
都心のマンション暮らしでは、その方法を忘れてしまっているから、時々、自然に触れて想い出しておくのだ。

いつ死んでもいいという気がしてくる


この間まで若々しい緑一色で雨に濡れていた楓の葉と葉の間から、朱いものがチラチラする。眼鏡をかけてよく見ると、楓の日当りのいい上部の2~3枚が紅葉をはじめているのだ。

そのうち白い霧に融けて、朱と緑の境がわからなくなった。
 
薄暗くなると、自然に庭の灯りがつく。すると霧はその灯にまとわりついて踊り始める。いつまで見ていても飽きない。体が冷えて、慌ててガラス戸を閉める。
 
放送局に勤めていた頃は、秒単位の仕事に追われ、軽井沢に来てもホテルでせいぜい2~3泊するだけで、満足して帰っていた。
 
物を書く仕事が増え、長い時間を過ごすためにと山荘を探していて、ここを一目見て気に入って、購入し、時間があると来るようになって、少しずつ明日死んでもいいためのレッスンが進んでいる
 
一人ヴェランダに座って黄昏に体の時計を合わせていると、いつ死んでもいいという気がしてくるから不思議だ

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明日死んでもいいための44のレッスン


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