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老人たちの好奇の目…容疑者は村人全員? 最凶・最悪のどんでん返しミステリ #3 ワルツを踊ろう

金も仕事も家も失った元エリート・溝端了衛は20年ぶりに故郷に帰る。だがそこは、携帯の電波は圏外、住民はクセモノぞろいの限界集落。地域にとけ込むため了衛は手を尽くすが、村八分にされ、さらには愛犬が不審死する事態に……。

ベストセラー『さよならドビュッシー』シリーズなどで知られる中山七里さん。そんな中山さんの「著者史上最狂ミステリ」として名高いのが、『ワルツを踊ろう』です。驚愕のどんでん返しが待っている、本作の冒頭をご紹介します。

*  *  *

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大黒家から道路沿いに五十メートルほど進むと、そこに雀野の家があった。
 
ここの家屋も木造二階建て。しかし大黒の家に比べるとやや傷みが散見される。中学の頃に眺めた印象よりも明らかに古びていた。漆喰には罅が入り、玄関のドアは端がめくれ上がっている。そして、ここにもチャイムは存在しない。

「ごめんくださあい」
 
声を掛けると、すぐにはいはいと軽やかな返事があった。ドアから顔を出したのは小柄な雅美夫人だった。
 
「あれ、了衛さんじゃないの」
 
「遅れましたがこちらに戻って来たので挨拶をと思いまして。あと、これを」
 
ファイルを差し出すと、雅美はぱらぱらと中身を見て納得したようにうんうんと頷く。
 
「爺さんが仕事に出掛ける前でよかった。じゃあ、上がってちょうだい。碌なお構いはできんけど」
 
碌なお構い、という言葉だけが妙に強調されたように聞こえた。
 
「いや、そんな、こちらこそ」
 
恐縮しながら了衛は家の中に上がる。
 
「それにしても了衛さんもずいぶん大きくなったねえ」
 
雅美は大仰に言う。二十四年も離れていたのだ。それで前と同じだったら、そっちの方が気味が悪い。
 
昔、雀野の家には何度か訪れたことがある。記憶を辿れば確か了衛が小学生の頃だ。当時はここに同級生の忠雄がいたので互いの家を行き来したのだ。ただ、その忠雄も了衛と同様、中学卒業とともに竜川地区を出た。依田村の隣町に中学があり、そこまでは通学も可能なのだが、高校になるとそれも叶わない。距離はともかくバス・電車などの公共交通機関が不便だったのだ。当然、進学を望むのなら村の外で下宿するより方法がなかった。
 
高校時分、その話をクラスメートにするとひどく驚かれた。それは本当に東京の中の話なのか、という理屈だ。
 
了衛としては現実だったと答えるしかない。その時点でも竜川地区の住民は五十人を切っていた。そんな場所にバス停を作ったところで赤字が累積するのは目に見えている。バス会社が竜川地区を路線から外したのは賢明な経営判断だった。
 
「そう言えば忠雄、どうしてますか」
 
半ば機嫌取りのための質問だった。だが意に反して、雅美の反応は至極素っ気ないものだった。
 
「結婚して子供もおるけどねえ。もう長いこと帰って来んよ」
 
意外でもあったが、反面頷けないこともない。いくら実家といえど、バスも通っていない七戸きりの集落に戻って何が楽しいものか。孫がいてもそんな場所では退屈するだけだ。
 
奥の部屋に行くと、野良着姿の雀野が立っていた。
 
「おや、了衛さん。いらっしゃい」
 
雀野善兵衛、竜川地区副地区長。小柄で細面、飄々とした風情は昔のままだ。
 
「遅れましたけど、引っ越しの挨拶に伺いました」
 
「ほっ。こっちに住むことに決めたのかい。そりゃあいい。これで竜川地区の住民の平均年齢がぐんと下がるなあ。ま、ま、座りなさいよ」
 
人懐っこさも変わらない。大黒の尊大さを目の当たりにしてきたので、余計に好ましく感じる。
 
「だけどこっちに住むのはいいけどさ、通勤が大変じゃないのかい」
 
一瞬躊躇ったが、どうせもう大黒夫妻には伝えてある。こんな狭い集落では半日も経たないうちに話は広まる。それに雀野には抵抗なく話せる気がした。
 
「いいんですよ。俺、会社辞めちゃったし」
 
「えっ、辞めたの」
 
雀野は少し驚いたようだが、やがて片方の眉を搔いてから苦笑いした。
 
「最近はよく聞くねえ、そういう話を。えっと、勤めは川崎だったっけ」
 
「はい」
 
「新聞とかテレビとかでも報じておるでしょ。都会の若いモンはすうぐに仕事辞めちゃうって。やっぱりアレかねえ。昔みたいに終身雇用じゃないから、会社に未練とかがないのかな」
 
「ああ、俺の会社もそうでしたよ。もう完全に能力主義で、年功序列なんてどこの国のお伽噺だってもんですよ」
 
「世知辛い世の中だねえ、全く。それでも都会には求人が沢山あるから、別に困りはしないんだろうけどさ」
 
「いやあ、それだって結構年齢制限はありますよ。やっぱり三十五歳過ぎちゃうと、途端に条件のいい求人の件数が激減しますから」
 
これはリストラされた直後、ハローワークや求人サイトから仕入れた情報なので大きな間違いはないはずだった。適齢をとうに過ぎた了衛には苦々しい話だが、雇用する立場に立ってみるとよく分かる。技術職など特殊な資格を必要とする職種はともかく、人手が不足しているのは多くがサービス業だ。接客を担当させるなら、当然若者の方が店の印象がよくなるし覚えも早い。哀れ中年以上は人目につかない清掃係か倉庫管理に回されるが、そこでは人が足りているという寸法だ。
 
「でも、そうしたらさ。その三十五歳以上で仕事にありつけない人はどうするんだい。実家にでも帰るのかい」
 
「俺もその辺はよく知らないんですけどね。首都圏にはホームレスの集落みたいなのが何カ所もあって、失業した人はそっちに流れていくみたいですよ」
 
「実家には帰らないのかい」
 
「帰る人が多かったら、ホームレスもあんなには増えないでしょうね」
 
「何で帰らないんだろうね。実家に戻りゃあ、少なくとも食べていくことくらいはできるはずなのにさ」
 
雀野は不思議そうに言う。

その疑問について了衛は一つの見解を持っていたが、口にする気はない。口にすれば雀野が気を悪くすると思ったからだ。
 
彼らは帰らないというよりも、帰りたくないのだ。
 
勤めていた頃、通勤途中の河原でホームレスたちの姿を毎日のように眺めていた。彼らは概して清潔で、身なりだけではとてもホームレスには見えなかった。朝はちゃんと顔を洗い、晴れた日には洗濯物を干していた。決して近寄り難い存在ではなかった。
 
行動様式を見れば凡その見当はつく。皆それぞれに元は職を持ち、決まった時間に出勤し、決まった時間に就寝していたに違いない。でなければ規則正しい生活が身についているはずもない。
 
そんな彼らが故郷に帰らず街に留まり続けるのは、きっと現状よりも惨めな気分を味わいたくないからだ。定職がなかろうが、ちゃんとした住居がなかろうが、自分はまだ街の人間なのだという思い込みが辛うじてプライドを支えている。それすらも捨てて故郷に逃げ帰ったのでは、ただの負け犬だと自分で認めてしまうことになる。
 
勤めていた時にはぼんやりとしていたことが、リストラで自分も同じ目に遭った時に明瞭になった。街で弾かれ、故郷に戻らざるを得ない口惜しさは、正直了衛にもある。了衛の場合には、父親の葬儀で実家に戻ったのがちょうどいいきっかけになったに過ぎない。
 
「街は色々と便利なんですよ。定期的に救世軍やNPOの炊き出しとかあるし、そうでなくても深夜のコンビニからは賞味期限切れの食い物が放出されるし」
 
「店が捨てたモノを拾って食うってのかい。情けないねえ。そんな真似までして街に住んでいたいものかしらん」
 
雀野の語尾はわずかに怒りを孕んでいた。
 
「街にどれだけ未練があるのか知らないけどさ。どうして生まれた場所に帰らないんだよ。鮭や鮎だってちゃあんと戻って来るんだよ? 帰って来たら田舎も賑わうし、賑わったら新しい家族や施設が増えるのにさ。大体だね、自分を育ててくれた親や土地に対する感謝の念というものがないんだよ」
 
温和だった表情が俄に険しくなる。
 
「結局、自分のことしか頭にないんだ。自分さえよければいいと思っている。自分さえ安楽なら、家族や田舎が朽ち果てても構わないと思っている」
 
「いや、みんながみんなそうだとは……」
 
「だったら、どうして竜川地区みたいな場所が増えるんだい? この間も役場に行ったら住民課の職員がこぼしておった。依田村はどこもかしこも高齢者揃い。ところがそんな地区は日本中に六万以上もあるっていうじゃないか。若いヤツらはみんな勝手だよ、そうに決まっとる」
 
それは了衛も耳に挟んだことがある。雀野が言うそんな地区というのは、所謂〈過疎〉と呼称するものを指している。高齢者が住民の半数を占め、居住地域としての機能が維持できず、近い将来には消滅が予想される地域――竜川地区はその典型だった。
 
「ところで了衛さん」
 
雀野は意味ありげにこちらを見る。
 
「あんた、まだ結婚はしないのかい?」
 
ああ、まただ。
 
了衛は胸の裡で舌打ちする。折角心を許したのも束の間、今度は雀野にまでプライバシーを突かれる羽目になるとは。
 
「忠雄と同い年だから、そろそろ四十だろう。いい加減年貢の納め時じゃないのかい」
 
了衛は憤懣を包み隠して、殊更陽気な口調で応える。
 
「こういうのは縁ですから……元の職場って拘束時間がえらい長くって、女の子見つける暇もなかったんですよ」
 
「ふうん。ウチの忠雄よりはよっぽど男前な顔してんのになあ。本当はさ、街でいい人見つけて所帯持って、そのまま田舎に帰ってくれたら、年寄たちゃあ願ったり叶ったりなんだけどねえ」
 
雀野の言い分はもっともに思える。確かに集落を出た者が次々と家族を引き連れて戻って来れば、過疎地の抱える問題も緩やかに解消されていくだろう。
 
だが雀野は戻って来る側の都合を全く考慮していない。
 
若い家族が過疎地に戻らなければならない理由など、何一つないのだ。
 
一家を養っていかなければならない父親に、必要充分な収入をもたらす職場があるのか。
 
日用品の購入さえ困難な場所で、母親は何を楽しみに生活していけばいいのか。
 
友だちも教育施設もない場所で、子供はどう学んでいけばいいのか。
 
雀野は若いヤツらが勝手だと言うが、了衛には残った年寄も勝手を言っているようにしか思えない。
 
「忠雄もさあ、昔は親に冷たいヤツじゃなかったんだけどなあ」
 
今度は口調が急に湿っぽくなった。
 
「昔は盆暮れに帰って来てたんだよ。それがなあ、結婚して子供ができた途端に足が遠のきやがった。畜生、年に二回くらいは孫の顔見せに来いってんだ」
 
何だ、結局は忠雄に対する愚痴が昂じているだけなのか。
 
それでつい追従してしまった。
 
「そうですよね。忙しかったら、せめて孫の姿を写メールなり何なりで送信してくればいいのに」
 
「あのね、了衛さんよ。ここじゃケータイの類は使えないよ」
 
あっと思った。
 
父親を荼毘に付してから葬儀や引っ越しに忙殺され、しかも退職した身で話す相手もなかったので気がつくこともなかった。
 
「まさか、ここって圏外なんですか」
 
「ああ、竜川地区はどこもそうだよ。だからどこの家でも未だに固定電話が大活躍だ」
 
「それじゃあ、ケータイはどこに行けば」
 
「さすがに役場の近所まで行けば電波が届くらしいけどね。まあ普段使ってないから、なくっても不便とは思わんし。あれば便利なモノっていうのは、結局なくてもいいモノなんだよね」

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ワルツを踊ろう


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