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襲われたのは若き巡査……。八神瑛子に最大の危機が迫る警察小説シリーズ最新刊! #3 ファズイーター

警視庁上野署の若手署員がナイフを持った男に襲われ、品川では元警官が銃弾に倒れた。一方、指定暴力団の印旛会も幹部の事故死や失踪が続き、混乱をきわめていた。組織犯罪対策課の八神瑛子は、傘下の千波組の関与を疑う。裏社会からも情報を得て、カネで飼い慣らした元刑事も使いながら、真相に近づいていく八神だったが……。

累計46万部突破の「組織犯罪対策課 八神瑛子」シリーズ。その最新刊がこちら、『ファズイーター』です。手段を選ばない捜査で数々の犯人を逮捕してきた八神も、ここで終わりなのか? ぜひその目で確かめてください!

*  *  *

「姐さん!」
 
井沢が駆け寄ってきた。

「『姐さん』はもう禁止って言ったはず」
 
「あ、すみません。係長」
 
井沢は頭を下げた。
 
清谷が言ったように、瑛子は一部の外国人マフィアや極道と盛んに情報を交換している。彼らが不利益を被らないように、他の部署の捜査情報をリークしたことさえある。
 
警察官相手に低利でカネを貸しつけ、先輩だろうが上役だろうが借金で縛り、警視庁内の機密情報をも得てきた。警察内部にも情報提供者を抱えている。
 
井沢は、その『八神金融』の番頭として長く腕を振るってきたものの、監察係に弱みを握られた経緯があり、“金融業”から足を洗わせた。現在は大学で柔道を教えている女性コーチと婚約中の身だ。今も瑛子の忠実な部下であるが、“カタギ”になったのを機に、姐さんと呼ぶのは禁じた。
 
井沢は目を丸くした。路上のフォールディングナイフと、瑛子のウインドブレーカーの穴を交互に見やる。
 
「なんてことを……ケガは」
 
「蚊に刺された程度」
 
瑛子は腹の痛みに耐えながら清谷の身体を検めた。ジーンズのポケットを裏返して持ち物を調べた。
 
「無茶すぎますよ……」
 
井沢が悲しげな表情を見せた。
 
瑛子はただ微笑みを浮かべ、『台北菜館』のほうに目をやった。
 
「あっちのほうは?」
 
「二十二時十六分に家宅捜索を始め、一分もしないうちに覚せい剤のパケを厨房の棚から発見しました。ざっと二十個ほどです。厨房の横のデスクに、フリーザーバッグに入った覚せい剤がありました。正確な数字はまだわかってませんが、見たところ三百グラムってところです」
 
「田端とコックは?」
 
「すぐに手錠を。おとなしいもんでした」
 
瑛子はうなずいてみせた。清谷を指さす。
 
「こいつをお願い」
 
ヤクザと警察官の怒号で、静かだった住宅街が騒がしくなった。マンションの住民が何事かと窓を開け、ベランダへと出てくる。公道にもやじ馬が現れだす。
 
井沢は清谷の襟首を摑んで引き起こした。
 
「この野郎、やじ馬がいなきゃ、あと二、三回は地面に叩きつけてやったのに」
 
瑛子は『台北菜館』へと小走りに移動しながら携帯端末を取り出した。
 
これからもっと騒がしくなる。事件の匂いを嗅ぎつけた報道陣も駆けつけてくるだろう。現場保存と交通整理のため、応援を借りる必要がありそうだった。
 
組対課長の石丸に電話をかけようとしたところ、タイミングよく彼のほうからかかってきた。
 
〈瑛子ちゃんか、応援は無理だ〉
 
石丸が開口一番に言った。口調がかなり硬い。
 
「なにがあったんです?」
 
〈池之端交番だ。夜勤の巡査がナイフ持った男に刺されて、拳銃奪われそうになった〉
 
「え?」
 
瑛子は絶句した。
 
『台北菜館』に出入りしている捜査員たちも、それぞれが携帯端末を見て驚愕の表情を浮かべていた。端末はポリスモードと呼ばれ、一一〇番通報の内容や緊急速報を即座に確認できる。家宅捜索ですみやかに証拠品を押さえて被疑者も確保したというのに、捜査員の顔に動揺が走っていた。
 
池之端交番は不忍池のほとり、やはり静かな住宅街にある。片側二車線の広い道路に面し、車の行き交いこそ激しいものの、夜は人通りが少なくなる。
 
石丸は早口で言った。
 
〈刺されたのは馬淵で、ひとりで留守を預かってた。防刃ベストのおかげで急所は免れたが、手と太腿を数ヶ所ぶっすりやられたらしい〉
 
「それで犯人は」
 
〈外から戻った相勤者に捕らえられた。男が虚偽の通報をして、馬淵ひとりになったところを狙ったらしい。公安係の連中が先走って『どこのセクトだ』と騒いでやがる。とはいえ、男の正体はまだわかってねえし、他に共犯者がいるかもしれねえ。本署も現場もてんやわんやだ〉
 
馬淵はまだ顔にニキビが残る二十一歳の若い巡査だ。高校で柔道部の主将をしていた肉体派で、刑事になる夢を持っていた。
 
犯人がその場で逮捕されたとはいえ、まだ安心はできない。石丸の言う通り、別に共犯者がいるかもしれない。警察官は常に最悪の状況を想定しておかなければならない。警察官が襲われたとなれば、何者かによるテロの可能性もある。
 
現場保存のためには多くの人手が必要になる。薬物の捕物などとは比べものにならないほど、世間の注目度も大きい。まもなく報道陣が現場や上野署に殺到するだろう。
 
「わかりました。こちらは我々だけで対応します」
 
通話を終え、青い顔をしている若手に指示を飛ばした。誘導棒を振って交通整理にあたるようにと。万が一の事態に備えて、周囲の警戒を怠るなとも。
 
夜空が赤色灯で染まり、複数のサイレンが耳に届いた。上野署や自動車警ら隊のパトカーが、池之端交番へと向かっているようだ。救急車も出動しているらしい。
 
瑛子は腹をなでた。自分もナイフで突かれたばかりだ。不気味な脅威を感じずにはいられなかった。

2


富永昌弘は救急玄関を早足で通り抜けた。
 
歩きながら呼吸を整える。心臓に手をやると、案の定バクバクと激しい音を立てていた。ハンカチで額の汗を拭う。

繁華街を抱える大規模警察署のトップでいるかぎり、心安まる時間などないと覚悟はしている。それでも事件の一報を耳にし、心臓が凍りつきそうになった。
 
凶漢に襲われた馬淵巡査は二年目の若手だ。学生時代は柔道部員だった。ガッツやスタミナを買われ、多忙で知られる上野署に配属された。
 
身体自体はソップ型でほっそりとしており、ニキビが特徴の童顔だった。制服を着ていなければ、高校生と間違われてもおかしくなく、まだ青臭さが抜けきれていない。犯人の目的は拳銃奪取だったようだが、署員をじっくり見極めていたのかもしれなかった。
 
富永は自宅マンションで事件を知った。シャワーを浴びるため、洗面所で衣服を脱いでいるときに携帯端末が震えた。馬淵らが運ばれた病院は、東上野のオフィス街にあった。自宅から目と鼻の先だ。汗臭いワイシャツを着直して、病院まで駆けてきた。
 
一階の救急科は慌ただしかった。看護師たちが忙しく走り回り、救命士が患者を載せたストレッチャーを運びこんでいる。毛布に包まれた患者は高齢のようで、手足を激しく痙攣させていた。富永は邪魔にならないよう壁際に寄った。
 
手術室の前、地域課長の根岸と刑事課の大久保係長が、ひっそりと立ち尽くしていた。
 
ふたりは汗だくの富永を見て、ぎょっとしたように目を見開いた。慌てて一礼する。
 
「容態は」
 
富永は手術室に目をやった。根岸が青い顔で答える。
 
「命に別状はないとのことです。防刃ベストのおかげで、胸や腹を刺されずに済んだので。ただ、犯人のナイフを奪い取ろうとして、指を二本すっぱり切り落とされました。形成外科の専門医を呼んで、再接着の手術をしてもらっているところです」
 
「なんてことだ……」
 
「鋭利な刃物で切られたので、接着自体の成功率は高いらしいですが、機能まで元通りになるかはなんとも」
 
根岸は声を震わせた。目には涙を溜めている。
 
根岸をただの小役人と見なしていた時期がある。富永や副署長といった上司から叱られ、下の者からはうだつの上がらない中年男と軽んじていた。現在は調整役に徹することができる貴重な中間管理職と評価を変えている。
 
根岸から改めて報告を受けた。犯人の男は現金を拾ったと言って拾得物の届出を装い、池之端交番を訪れた。他の相勤者二名は、池之端二丁目のスーパーの裏手で喧嘩騒ぎが発生したという通報を受け、自転車で現場へ向かっていた。
 
男に不審な点はなく、馬淵がカウンターで事務手続きに入った。ふと馬淵が書類から顔を上げたときには、男がTシャツの裾をめくり、ベルトホルスターに入れていたサバイバルナイフを抜き出していた。
 
馬淵は胸をナイフで闇雲に突かれた。防刃ベストに助けられたとはいえ、とっさの攻撃にバランスを崩して床に倒れた。男はカウンターを乗り越え、馬淵のうえにのしかかってきたという。
 
根岸は深々と頭を下げた。
 
「今回の件は私の責任です。二年目のあいつをひとりにさせてしまった」
 
富永は首を横に振った。
 
「たとえ十年目だろうと、二十年目のベテランだろうと襲われていた可能性は高い。犯人に拳銃を奪われなかったばかりか、その場で取り押さえた。健闘したというべきだろう。重要なのは今後のことだ。この手の事件には模倣犯が現れやすい。ひとり勤務にならないよう徹底させてほしい」
 
「はい」
 
根岸は携帯端末を手にし、救急病棟を出て行った。
 
富永は巨漢の大久保を見上げた。もともとは鑑識係にいた男だが、署内異動で刑事課に配属された。
 
「犯人もここに運ばれたんだったな」
 
「そうです」
 
男は拳銃を奪おうとしたものの、馬淵に死に物狂いで抵抗された。拳骨や肘、電話機などで殴打されて顔や肩に打撲傷を負ったうえ、戻ってきた署員らによって床に押し潰されて肋骨を折った。
 
「何者なんだ。まだ身元はわかっていないようだが」
 
「いえ、先ほど割れました。竹石隆宏、二十三歳。自宅は茨城県牛久市で、職業は物流倉庫のアルバイトです」
 
大久保はタブレット型端末を操作し、一枚の画像を富永に見せながら淡々と告げた。物怖じしない性格だ。
 
タブレット端末には、竹石の原付免許証の画像が映っていた。免許証の写真は概して写りが悪いものだが、襟元がよれたジャージに伸びた頭髪のせいで余計にだらしなく見える。暗い目つきをした若者だ。
 
大久保によれば、竹石は財布や携帯端末など、身元が判明しそうな所持品はなく、病院に直行して治療を受けていたため、当初は氏名不詳だった。
 
穿いていたジーンズのコインポケットから、上野駅のコインロッカーの鍵が出てきた。鑑識係員がロッカーを開けたところ、竹石のものと思しきリュックがあり、そのなかには携帯端末や財布、勤務先のIDカードなどが入っていた。

◇  ◇  ◇

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