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忘れ物はどこへ消えたのか?…必ず涙する、感動の鉄道員ミステリ #4 一番線に謎が到着します

郊外を走る蛍川鉄道の藤乃沢駅。若き鉄道員・夏目壮太の日常は、重大な忘れものや幽霊の噂などで目まぐるしい。半人前だが冷静沈着な壮太は、個性的な同僚たちと次々にトラブルを解決する。そんなある日、大雪で車両が孤立。老人や病人も乗せた車内は冷蔵庫のように冷えていく。駅員たちは、雪の中に飛び出すが……。

「駅の名探偵」が活躍する、二宮敦人さんの『一番線に謎が到着します』。鉄道好きもミステリ好きも、涙なしでは読めない本書から、一部を抜粋してお届けします。

*  *  *

「一二〇五Bの接近最寄駅は……さくらが丘駅。佐保!」

「はい!」

佐保がご飯粒を振り落としながら返事をする。

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「さくらが丘駅に捜索依頼だ」

「はい、大丈夫ですか? 捜索指定駅じゃありませんけど」

「ものがものだけに、今回は捜索駅を指定しない。調べられる駅は全部調べるんだ。一二〇五B、六号車、最後尾付近、山側の網棚。黒のブリーフケース。急げ!」

「了解しました」

佐保が電話に取りつく。

「翔はその次、鐘ノ淵駅にも依頼だ」

「はい」

「一二〇五B前後の列車も、念のため確認してもらうようお願いしろ」

「了解です!」

藤乃沢から、次々に沿線各駅に連絡が飛ぶ。

「及川助役! 運転指令に連絡完了しました!」

七曲主任が戻ってくる。及川助役は頷いた。

「指令員に三回聞き直されましたよ。マジか? って」

七曲主任は苦笑する。

間を置かずして、窓口事務室のスピーカーから一斉放送が流れ始めた。


「こちら運転指令。重大忘れ物発生につき、非常事態宣言を発令します。藤乃沢駅要請、全駅へ。捜索指定駅解除! 黒いブリーフケースの忘れ物が届けられた場合、もしくは発見した場合は藤乃沢駅まで急ぎ連絡と、厳重丁寧な保管を、お願いします。繰り返します……」

蛍川鉄道運転指令室からの放送とほぼ同時に、さくらが丘駅に電話が入った。

中年の駅務員の一人がそれを取り、応答する。

「はいこちらさくらが丘、佐藤です」

「お疲れ様です、こちら藤乃沢の中井です」

「おー佐保ちゃん、元気? どうしたの?」

「佐藤さん! 緊急の忘れ物捜索お願いします。列車番号は一二〇五Bです」

佐藤は時計と、窓から見える列車の運行風景を見比べる。

「ああ、いま一斉放送で言ってたやつかな? 一二〇五Bならもうホーム入線してきてるよ。ちょっと間に合わないよ」

「ですよねーわかってるんです! でも重大忘れ物なんです! 六号車最後方の山側網棚、黒のブリーフケースがないか見てもらえませんか!」

「モノは何さ? 現金一億とか? なんてねハハハ」

「場合によっちゃそれ以上です!」

「……え?」

「超人気漫画の最終回らしいんです! それも絶筆寸前の作家の!」

佐保の必死な声に、佐藤も椅子に座り直す。近くにいる駅務員たちが何事かと佐藤を見た。

「ま、マジかよ。何でそんなもん忘れるんだ」

「私が聞きたいくらいですよ……」

「と、とにかく行ってくる。ギリギリかもしれんが」

「はい! お願いします! できればその後の車両も、念のため見てください」

「おう」

佐藤は電話を切り、慌てて立ち上がる。列車はすでに停車し、客が乗降を始めていた。佐藤は三番線ホームへと駆け出した。デスクの上で書類が舞い上がり、あちこちに散らばった。


三角屋根の駅舎が特徴的な、鐘ノ淵駅の管内電話がけたたましく鳴る。入社したばかりの青年、田中がそれを取った。

「お待たせしゃした、こちら鐘ノ淵、応答は田中ッス」

「こちら藤乃沢、楠です。忘れ物の捜索願います」

「あれ、翔センパイ。お久しぶりス。忘れ物って、うちは捜索指定駅じゃないスよ?」

「お前ね、さっきの放送聞いてた? 重大忘れ物で捜索指定解除だよ」

「え、マジスか。すんません……」

「まあいいや。列車は一二〇五B、六号車最後尾付近、網棚。山側だ。念のため前後の上り列車も確認してもらえる?」

「いいスけど……重大忘れ物って?」

「黒のブリーフケースだ。驚くなよ、あの『明日の僕へ』の最終回原稿入りだ」

田中は飛び上がる。

「うええッ! マジスか? 本庄和樹先生の? 俺ずっと読んでるんスよ、つうかもうバイブルなんで。見つけたら俺、読んでいいスか?」

「ダメに決まってるだろ! とにかく頼む、急ぐんだ」

「盗まれたりしたら大変ッスもんね。わかってます。任せてください、絶対見つけてきます!」

電話を切り、田中も走り出した。勢い余って制帽が落ち、拾おうかと一度振り返るが、すぐに前を向いて床を蹴った。


「あああ……見つかってくれ。見つかってくれ、頼む。頼む……神様、仏様……」

藤乃沢駅では、船戸がずっと両手を合わせて念じていた。その顔には脂汗が流れ、下半身は引っ切りなしに貧乏ゆすりをしている。

対して亜矢子は、蒼白な顔で俯いたまま、一点をぼうっと見つめていた。あまりのことに放心状態になっているのだろうか。その唇はきつく結ばれている。

遺失物係の一角は異様な雰囲気であった。

さくらが丘駅、鐘ノ淵駅と捜索依頼が終わり、佐保と翔はさらにその先の西向島駅と鬼舟駅にも連絡をしている。停車する全ての駅で車内点検させるのだ。

「見つかりますよね、駅員さん! ねえ、見つかりますよね……ああ、見つかりますよね……ねえ? ねえ!」

すがりつくように聞く船戸に、壮太が言えることは少ない。

「ただいま、全力を挙げて捜索しております。連絡をお待ちください」

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言葉に嘘はない。基本的に忘れ物の捜索は捜索指定駅でしか行われない。そこで見つからなかった場合は、終点での回収、もしくはお客さんからの届け出を待つ形になる。

その原則を覆しての全駅点検を実施しているのだ。これは偽りなく蛍川鉄道総力での捜索を意味していた。

「ああ、ほんと、お願いします、なんとかして見つけてください。ほんと、お願いします……もう、頼む、ああ、お願いだあ……」

電車がすでに藤乃沢駅を離れてしまった以上、今の壮太には連絡を待つことしかできない。走り出して探しに行きたい気持ちをおさえ、電話の前でじっと座っているだけ。やきもきする。

その気持ちは七曲主任も、及川助役も同じだった。駅長もいつになく深刻そうな顔で、鉄道電話を見つめている。

その電話機の受信ランプが赤く光った。待ちに待った連絡だ。電子音が鳴るより早く、壮太は受話器を摑みとる。

「はい、こちら藤乃沢、夏目です」

「こちらさくらが丘の佐藤。重大忘れ物の件だが」

「はい」

壮太ばかりでなく、遺失物係にいる全員が固唾をのんで次の言葉を待つ。

「……それらしきものは見つからない。六号車の後ろ半分を見たが、網棚は空っぽだ。海側山側両方見たが、間違いない。念のため次の各停も見たが、同様だった」

「了解です」

壮太は答え、及川助役を見て言う。

「さくらが丘、発見できずとのことです」

及川助役がぐっと歯を嚙みしめた。船戸が頭を抱えて悲鳴を上げる。その空気が伝わったのか、電話先の佐藤も申し訳なさそうに言った。

「すまんな。きちんと見たつもりだが……」

「いえ、佐藤さんのせいじゃありません。ありがとうございます」

「一応、他の駅務員にも注意するよう伝えておく。それらしきものが見つかったら、すぐ知らせるよ」

「お願いします」

壮太は電話を切る。誰ともなくため息が聞こえた。

「さくらが丘って、どこでしたっけ? どこの駅でしたっけ? あの、急行の止まる駅ですよね。どこでしたっけ」

船戸が目を赤くしている。

「ここから十駅先になります」

壮太が答えると、船戸は机に突っ伏した。

「そんな先ですか! 十駅? 十駅先! ああ、そこで見つからなかったなんて! もう、もうおしまいだ! なくなったんだ! 取られたんだァ! 何もかも、終わりだ!」

「お客様、さくらが丘は停車時間ぎりぎりでしたので、じっくり見られなかったのかもしれません。次の駅ではもっとじっくり調べられると思いますので、もう少しお待ちください……」

壮太は必死でなだめる。船戸はうんうんと頷きながら、頭をがりがりかきむしっていた。その頭髪はぐしゃぐしゃになっている。

やや時間があって、電話が鳴った。

今度こそ。壮太は受話器を取る。

「はい、藤乃沢、夏目です」

「こちら鐘ノ淵、田中ッス。壮太先輩もお久しぶりス。忘れ物捜索の報告、申し上げるス」

特徴的な、どこか妙な敬語が聞こえてくる。

「久しぶり。で、どうだった?」

壮太が聞く。船戸の視線が痛いほど注がれているのを感じる。

「それが……なかったッス」

「そう……」

壮太は少なからず落胆する。また、見つからない。

「すいてたんで、後方三両を全部確認しました。網棚と椅子の上も。でも黒いブリーフケースはなかったス。何人かのお客様にも聞いてみましたが、心当たりはないそうで。前後列車も同じス。確かにブリーフケースなんですよね。間違いじゃないスよね?」

「そのはずだけど」

「そうスか……じゃあ、なんででしょうね……とにかく、以上ス。お役に立てずスミマセン。あの、壮太先輩」

「ん?」

「次号の少年ソウル、ちゃんと出ますよね? 大丈夫スかね?」

何を聞くんだこいつは。

壮太は呆れながらも受け流す。

「うーん、僕にはわからないよ」

「そッスよね、スンマセン。じゃ、失礼します」

電話が切れる。壮太は及川助役に言う。

「鐘ノ淵駅も見つからずとのことです」

さすがに及川助役も首をひねった。七曲主任が横から口を出す。

「念のため、次の西向島では前方三両も見てもらったらどうだ?」

「そうですね。依頼しておきます」

翔が頷いて電話をかけ始める。

「お客様、忘れ物は黒のブリーフケースで間違いありませんよね。今日だけ、違う鞄を使ったなどということは……」

壮太は、相変わらず微動だにせず俯いている亜矢子に聞いた。亜矢子はびくっと震えてから、おずおずと頷く。

「ええ、黒のブリーフケースで間違いありません。確かにそれに原稿を入れて、本庄和樹先生のお宅を出ました」

「了解です。すみません、念のため確認させていただきました」

壮太は頭を下げる。亜矢子はひどく思いつめた表情ではあったが、パニックにはなっていない。船戸の方がよほど狼狽している。亜矢子の言っていることに間違いはなさそうだ。

そうすると、なぜ見つからないのだろう。該当の電車で、該当の場所で、置かれていたはずのものがない。

やはり、持ち去られてしまったのだろうか。

◇  ◇  ◇

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一番線に謎が到着します 若き鉄道員・夏目壮太の日常

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