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研修医からの卒業…生と死の現場をリアルに描いた人気シリーズ第2弾! #2 逃げるな新人外科医

雨野隆治は27歳、研修医生活を終えたばかりの新人外科医。2人のがん患者の主治医となり、後輩に振り回され、食事をする間もない。責任ある仕事を任されるようになったぶんだけ、自分の「できなさ」も身にしみる。そんなある日、鹿児島の実家から父が緊急入院したという電話が……。

泣くな研修医』に続く中山祐次郎さんの人気シリーズ第2弾、『逃げるな新人外科医 泣くな研修医2』。現役外科医でもある著者が、生と死の現場をリアルに描いた本作から、冒頭部分をご紹介します。

*  *  *

Part 1 お嬢様研修医


「雨野先生、四月になったから、受け持ち患者何人か持ってね」
 
研修医の頃にも隆治を指導していた先輩外科医の佐藤玲は、朝の回診で隆治にそう言った。相変わらずポニーテールにタイトな白衣を着て、いつもきりっとした雰囲気を醸している。

「わかりました。主治医ということですよね?」
 
「うん、岩井先生がちょっと担当してみろって。バックアップはするから」
 
「はい、ありがとうございます!」
 
隆治は嬉しかった。これで少し一人前の外科医に近づけたかもしれない。
 
――でも、主治医ってできるかな……インフォームド・コンセントとか大丈夫だろうか……。
 
 
回診が終わったあと、隆治が病棟のデスクトップPCで電子カルテを記載していると、佐藤に再び声をかけられた。
 
「さっそくだけど、二人新患を持って。今日入院の二人ね」
 
「はい!」
 
「えーと、たまたまなんだけど二人とも大腸がん。一人は……」
 
そう言いながら、佐藤は隆治の隣に座ると電子カルテで患者のデータを見せ始めた。思いのほか近い距離に座った佐藤からはレモンのような香りがして、隆治はなんだか息を吸ってはいけない気がした。体はぶつかりそうなくらい近いが、佐藤は気にする様子もない。
 
「というわけでよろしくね」
 
「は、はい!」
 
あまり頭には入らなかったが、そう返事をした。どうやら、ステージIIの大腸がん患者が一人と、もう一人は進行したステージIVの大腸がん患者のようだった。同じ大部屋に入るらしい。
 
「外来は私と岩井先生が診ていて、入院中の主治医は雨野ってことで。二人ともオペの予定はもう決まってるから」
 
「わかりました」
 
「じゃよろしく、私今日外来だからね」
 
「了解です」
 
佐藤との仲も、ずいぶん近づいてきた気がする。いまから二年前、研修医になりたてで外科に来た頃は、怒られることも多かった。あの頃、隆治はまったく戦力になっていなかっただろう。しかし初期研修が終わる頃、隆治は外科の患者さんが忘れられず、外科医になると決めた。同い年でがんで逝ったイシイ、交通事故から生還した三歳の拓磨……。
 
隆治が外科医になると決めて再び外科に回ってきたときから、ずいぶん扱いが変わったようにも思う。その変化は、外科医になると決めたからなのか、医者スキルが上がって「使える」ようになったからなのかは、隆治にはわからなかった。
 
 
「せんせ、おはよ」
 
隆治がそんなことを考えていたら、後ろから看護師の吉川佳代が声をかけてきた。
 
「ああ、吉川さんおはようございます」
 
「せんせ、今日もネグセひどいわよ、大丈夫?」
 
吉川が笑ったので、隆治は反論した。
 
「いや、今日はちゃんと朝シャワー浴びたんです。ネグセじゃなくて、こういう髪型なんです」
 
「あら、そう? ならいいけど。今日入院の二人、どっちも先生担当なんでしょ?」
 
「そうなんです」
 
「さっき佐藤先生から聞いたわ。四月になってさっそくなのね、期待されてるのねぇ」
 
「いやそんなんじゃない……と思いますよ」
 
――もしかして期待されてるのかな。
 
「じゃあ患者さん病棟に来たら連絡するわね、指示とかいろいろ欲しいし」
 
「わかりました、お願いします」
 
相変わらず吉川は愛想がいい。誰にでも、たとえ研修医にでもいつも優しく接してくれるので、牛之町病院の研修医のあいだでも吉川は評判だった。二、三人、吉川を飲みに誘ったという噂も耳にした。誘った研修医はことごとく断られた、というおまけ付きでだ。

「水辺さん、水辺一郎さん、ですね」
 
隆治は一人目の大腸がん患者、水辺のベッドサイドにいた。入院手続きを終え、いま病室に来たばかりの、七二歳のその男性は、作業着のようなものを着ていた。背は低く痩せてはいるが、がっちりとした体格なのが服の上からもわかる。日によく焼けていた。水辺は病室で一人だった。
 
「はい、よろしく」
 
「ご家族はご一緒ですか?」
 
隆治が尋ねると、
 
「あ、家族はいねえんだよ」
 
と水辺は言った。
 
――え、いない?
 
「えっと、今日来ていないってことですか?」
 
「いや」
 
それ以上水辺は何も言わなかったので、
 
「あ、わかりました」
 
隆治はお茶を濁した。
 
――あまり聞かないほうがいいかな。でも主治医だし……把握しておきたい気もする。あとで吉川さんに聞いてみよう。
 
「体調はいかがでしょう?」
 
「体調は悪くねえよ。あさって手術だからな」
 
「そうですか、じゃあよろしくお願いします。手術の詳しいお話は明日することになっていますので」
 
「わかったよ」
 
では、と言って病室を出ようとすると、
 
「お、あのな兄ちゃん」と水辺が呼び止めた。
 
「はい?」
 
――にいちゃんって??
 
「人の名前を聞くときは、必ず手前の名を言うもんだ。医者だろうがなんだろうが」
 
急にドスの利いた声で水辺が言うので、隆治は慌てた。
 
「申し訳ありませんでした。主治医の雨野隆治と申します。よろしくお願いします」
 
「おう、そうこなくっちゃあ。よろしくな、兄ちゃん」
 
そう言うと、水辺はにやっと笑った。

平静を保ちつつ、急いで病室を離れた隆治の胸は、まだドキドキしていた。
 
――なんだか迫力あるな、水辺さん……。ちゃんと名乗らなかったのも悪かったけど。
 
ナースステーションに戻ると、吉川がいたので隆治は声をかけた。
 
「吉川さん、あの」
 
「あら先生、ちょうどいい。今日入院の水辺さん、内服薬これだけ持参しているんだけど、手術前に何を飲むか確認してくれない?」
 
「わかりました」
 
そう言って薬の袋を受け取ると、中を見てみた。
 
「ちょっとわからない薬が多いので、薬剤部に確認してみます」
 
「あ、それなら私が送っておくわよ。はい、ちょうだい。あとでメモして渡すわ」
 
こういう気配りをしてくれるのは、やはり吉川だった。人間の根本が優しいんだろう。隆治はそう理解していた。こういう人がナースになるというのは、なんというか、とっても合ってる。
 
「あと……」
 
隆治は看護師とあまり仕事以外の話をしないが、吉川相手だと思わず話してしまう。
 
「あの人って、なんなんですか?」
 
「え? なんなんですかって、何が?」
 
「いや、家族はいないっていうし、『名を名乗れ』なんて怒られちゃって」
 
「あら、そうなの。私もまだあまり聞いてないから、家族のこととかそれとなく聞いてみるわね」
 
「それを待っていました。ありがとうございます」
 
隆治は大げさに頭を下げた。
 
「あはは、いいのよ。向こうも先生には言いづらいことってあるでしょうから」
 
――本当に助かる。モテるの、わかるなあ。みんなにこう優しいんだろうなあ。
 
「それより、もう一人の方も病棟に来てるわよ。水辺さんと同じ大部屋」
 
「あ、わかりました。お話聞いてきます。ええと、お名前なんでしたっけ」
 
「ええとね、紫藤博さんよ」
 
「ありがとうございます」
 
 
隆治は水辺に会った部屋と同じ部屋に向かった。
 
「紫藤さん」
 
仕切りになっているカーテンを開けると、太った男性がベッドに横になっていた。隆治を見ると、すぐに起き上がって笑顔になった。まん丸い顔で、そのうえ丸い眼鏡をかけている。
 
「紫藤さん、ですね?」
 
「はい、よろしくお願いします」
 
そう言うと紫藤は頭を深く下げた。
 
「こちらこそよろしくお願いします。私は入院中の主治医の雨野と申します」
 
紫藤はニコニコしている。
 
「さっそくですが、入院して手術ですね。体調はどうですか?」
 
「大丈夫です。元気です」
 
そう言うと、またニッコリと笑った。
 
「紫藤さん、ご家族は」
 
「あ、今日は女房と娘が来ているんですが、いま食堂にご飯食べに行っちゃって」そう言って、また満面の笑みだ。隆治はつられて笑顔になりつつ、
 
「わかりました、ではどうぞよろしくお願いします」
 
と伝え、部屋をあとにした。


ナースステーションに戻ると、吉川がいた。
 
「今度は怒られませんでした。なんか、いい人そうでした」
 
「そうね。先生、なんか嬉しそう」
 
吉川は薬の束を手にしていた。
 
「でも先生、マズいことがあって」
 
「なんですか?」
 
「実は、紫藤さん、サラサラの薬飲んじゃってて」
 
「え! サラサラ!」
 
サラサラの薬とは、血液をサラサラにする薬のことである。心筋梗塞や脳梗塞といった重大な病気を防ぐが、手術のときには血が止まりにくくなるという欠点がある。
 
「どうしようか先生……」
 
「いや、サラサラ飲んでたら基本は手術延期ですよね」
 
「そうよねえ。ちょっと佐藤先生に電話してみるわね」
 
「ありがとうございます」
 
本来なら自分が佐藤に聞くべきなのだと思いつつも、吉川の優しさに甘えてしまう。
 
「はい、はい……わかりました。ありがとうございますー」
 
吉川が佐藤に電話している。
 
「先生、やるって」
 
「え?」
 
「オペ、延期しないって」
 
「そうなんですか? なんでだろう……」
 
「さあ、そこまで聞いてないからちょっとわからないけど。他の薬だとまずいけど、この薬だったらまあまだ大丈夫ってことかしらね。前にもそういう人いたわよ」
 
「へー、そういうことってあるんですね」
 
医者になってから、隆治は若い医者よりも看護師のほうが知識で上回ることを理解していた。ここは経験がモノを言う世界だ。隆治はそれを研修医の二年間で実感したので、わからない問題はまず看護師に聞いてみることにしている。
 
「ま、ちゃんと佐藤先生に聞いてみてね」
 
「わかりました、ありがとうございます。助かりました」

◇  ◇  ◇

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逃げるな新人外科医 泣くな研修医2


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