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探すのをやめたら見つかる?…涙、涙の感動エンターテインメント小説 #5 癒し屋キリコの約束

純喫茶「昭和堂」の店主・霧子は、美人なのに、ちょっとぐうたらな不思議系。でも、裏の「癒し屋」稼業では、依頼人のどんな悩みも奇想天外な手法で一発解消させる敏腕だ。そんなある日、彼女宛てに届いた殺人予告。それをきっかけに霧子は、過去と向き合う勇気と未来への希望を取り戻していく……。森沢明夫さんの『癒し屋キリコの約束』は、涙なしには読めない感動エンターテインメント小説。そのためし読みを、ぜひご覧ください。

*  *  *

それから一週間が過ぎた。

秋雨前線が停滞しているせいで、この三日間、銀杏商店街はなまぬるい雨に濡れっぱなしだった。昭和堂に来てくれるお客さんの数もめっきり減って、わたしは仕事をしている時間よりも、ぼんやり昭和歌謡を聴いている時間の方が長くなっていた。

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今日も、お昼時だけは席の六割が埋まったけれど、午後三時をまわるとぴたりと客足が途絶えてしまった。ただでさえ、たいして儲かっていない昭和堂だけに、ここまで暇だと店長として経営が心配になってくる。しかし、肝心のオーナーの霧子さんはというと、ロッキングチェアに座って鼻歌まじりに紙ヒコーキを折っているのだった。

「ねえカッキー、この折り方ね、シュンくんが教えてくれたんだよ。ものすごくよく飛ぶんだって」

「シュンくんって、あの、可愛らしい彼女と一緒に、ふらっとたまにくる、シャイな高校生ですか?」

「そうそう。あのシャイ・ボーイ。ありゃ、まだ童貞だね」

「……」

「よし、できたぞぉ」

満足そうに言うと、霧子さんは誰もいない客席に向かって紙ヒコーキを放った。

ハート形の大きな羽根を持つその紙ヒコーキは、まるで重力を無視したかのようにふわふわとまっすぐに飛んでいく。

「わあ、ほら、すごい! これ、ホントによく飛ぶよ」

霧子さんは少女みたいにはしゃいだ。

ゆっくりと店内を縦断した紙ヒコーキは、やがて入口のドアにぶつかってポトリと床に落ちた。

と、その刹那――。

コロン。

少し乱暴にカウベルが鳴って、ドアが開かれた。

あ……、とわたしが思ったときには、すでに百合子さんがドアの内側で仁王立ちして、こちらをギロリとにらんでいた。

雨の音と、湿った空気が店内になだれ込んでくる。肩までのわたしの黒髪が、かすかに揺れた。焦げ茶色をした百合子さんのパンプスのかかとは、ハート形の紙ヒコーキを踏みつぶしていた。

やばい。どうしよう――。

わたしは、思わず、ごくりと唾を飲み込んでしまった。

「ああ、もう、せっかく折ったのにぃ」

踏みつぶされた紙ヒコーキを見た霧子さんが、のんきな台詞を口にしたけれど、百合子さんはそれを無視して、わたしと霧子さんを交互ににらんだ。

店のドアがゆっくりと閉まり、雨の音がぴたりと止む。

百合子さんは唇をわなわな震わせながら、深く空気を吸い込んだと思ったら、少しかすれた声を出した。

「あんなに……、お賽銭、入れたのに」

百合子さんが手にしている紺色の傘の先端から、ぽたぽたと雨のしずくが垂れて、板張りの床に小さな水たまりをつくっていく。

ごめんなさい――。

わたしが口にしようとしたとき、場違いなほどアンニュイな声が店内に響いた。

「うふふ。なあにぃ? 百合子さんったら。そんなに怖い顔をしなくて大丈夫よぉ。こっちは、ぜ~んぶ計算どおりなんだから」

「え?」

と、首をかしげたのは、百合子さんではなくて、わたしだった。

「だ~か~ら~、そんなに怖い顔しないのぉ」

霧子さんはロッキングチェアから立ち上がると、意味ありげに微笑みながら、百合子さんのところまで歩いていくと、こわばった彼女の肩を抱くようにして、いつもの下座の席に座らせた。そして、キャバレーのホステスみたいな仕草で、自分も隣に腰をおろし、カウンターのなかのわたしを見た。

「カッキー、アイスティーをふたつね」

「は、はい……」

わたしは深呼吸をひとつして、美味しくなれ、美味しくなれと魔法をかけながらアイスティーを作りはじめた。

でも、一昨日の出来事を思い出すと、どうしても鼓動が速くなってしまうのだった。

じつは、一昨日のお昼過ぎのこと――。

わたしと入道さんと涼くんの三人は、義母の良枝さんがひとりになる時間を見計らって、百合子さんのご自宅に伺っていた。もちろん、良枝さんの大好物だというみたらし団子の手土産は忘れなかった。そして、三人がかりで良枝さんに言葉を投げかけ、なんとか百合子さんと仲良くやってもらうべく必死の説得を試みたのだが……しかし、結果としては、むしろ前よりも余計にこじらせてしまったのだった。

いちばんの失敗は、霧子さんの入れ知恵を真に受けた入道さんが、「あなたには悪霊が憑いてるぞ」などと言って、無理矢理お祓いをしようとしたことだった。しかも、そのことで良枝さんが激昂しているときに、奈緒美ちゃんが高校から帰宅してしまったのだから最悪だ。なんと、その日に限って、奈緒美ちゃんは、風邪気味で学校を早退してきたのである。

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奈緒美ちゃんからしてみたら、わたしたちはもはや、百合子さんの手先となって祖母に言いがかりをつける「怪しい三人組」にしか見えなかったようで、しかも、一方的に良枝さんを「悪」と決めつけて、苛めていると勘違いされてしまったのだ。

そんなわけで、わたしたち三人組は風邪気味の奈緒美ちゃんに背中をぐいぐい押されながら、文字どおり玄関から「叩き出された」のだった。

唯一の救いは、去り際に涼くんが「奈緒美ちゃん、風邪、お大事にね。また来るよ」とクールな笑みを浮かべたときに、奈緒美ちゃんの頬がほんのり赤らんだことだった。

その結果、割を食ったのは、もちろん百合子さんだ。

わたしたちが追い返されたあとに、百合子さんが満を持して帰宅してみると、良枝さんには露骨に無視されるわ、奈緒美ちゃんには「どういうこと!」と、詰め寄られるわで、しかも、そこから言い争いがはじまって、一家離散の危機にまで追い込まれてしまったのだという。

アイスティーをふたついれたわたしは、緊張しながら下座のテーブルへと運んだ。

「お待ち遠さまでした」

言いながら、そっとグラスをテーブルに置くと、百合子さんはあてつけがましく大きなため息をついた。

「カッキー、サンキュー」

霧子さんは、そんなことはまったくおかまいなしといった様子で、ストローに口をつける。その悠長な横顔を、サンカクの目でにらみつけた百合子さんが、たっぷりの怒気をはらませた低い声を出した。

「ちょっと霧子さん」

「ん?」

霧子さんはストローに口をつけたまま、目だけで横を振り向いた。

「もしも、このまま、取り返しのつかないようなことになったら、あなた、どうしてくれるの?」

「ぷはぁ、美味しい~」

百合子さんの抗議をまるっきり無視して、霧子さんはビールでも飲んだみたいに破顔した。

「……」

「カッキー、このアイスティー、最高だよ」

「ちょ、ちょっと、あなた、わたしの話、聞いてるのっ!」

「あ~、んもう、そんなに耳の近くで大きな声を出さなくても聞こえるに決まってるでしょ。それにさ、さっきから、全部あたしの計算どおりだっていってるじゃな~い。ねえ、カッキー?」

霧子さんが、カウンターのなかに逃げ込んだわたしに同意を求めてきた。

「え……」

いったい、この状況のどこがどう計算どおりなのだろうか。わたしは返事に窮したけれど、霧子さんがあまりにも余裕綽々の顔をしているから、うっかり相槌を打ってしまった。

「は、はい……」

「ほらね。カッキーだってそう言ってるし。大丈夫だってばぁ」

霧子さんは、いかにも馴れ馴れしい仕草で百合子さんの背中をポンと叩くと、いつものアンニュイなトーンで言葉を続けた。

「もともと奈緒美ちゃんは百合子さん寄りだったんでしょ? でも、うちの優秀なアシスタントたちが活躍したおかげで、ようやく中立の存在になれたんじゃないの?」

「え……」

「でしょ?」

「まあ……、少なくとも、わたしの味方ではなくなっちゃったみたいですけど」

少し言葉の勢いを失った百合子さんを見て、霧子さんは「うふふ」と意味ありげに笑ってみせた。

「それでいいのよ。三人の立ち位置がバラバラになればね」

いったい霧子さんは何を言わんとしているのか。わたしには、ちっとも分からない。百合子さんも、そんな思わせぶりな霧子さんのしゃべりに少し苛々したようで、豊満な胸の前で細い腕を組んだ。

「霧子さん、あなた結局、ナニが言いたいわけ?」

すると霧子さんは、百合子さんの質問をあっさり無視して、椅子から立ち上がった。そして、すたすたと上座へ移動したと思ったら、達磨のいる奥の棚から一枚のレコードを抜き出した。

「うーん、やっぱり、これね」

ひとりごとをつぶやいて、そのレコードをターンテーブルの上にのせた。そして、慈しむようにレコード針を下ろす。

BOSEのスピーカーからチリチリとアナログならではの雑音が聞こえたと思ったら、すぐに軽快なエレキギターのサウンドが流れはじめた。

井上陽水の「夢の中へ」だった。

わたしも霧子さんも、お気に入りの曲だ。

ノリのいい前奏を受けて井上陽水が歌いはじめると、店内は一瞬にして「陽水ワールド」になってしまった。

霧子さんはとても満足そうな顔で下座へと戻った。そして、今度は百合子さんの隣ではなく、向かいの椅子に腰をおろした。


探すのをやめた時

見つかる事もよくある話で♪


霧子さんは歌詞のそのフレーズだけ口ずさんだ。

そして、ふいに声も出さずに笑ったのだ。

ニタ~ッと。

もしもこの世に悪魔が存在するとしたら、きっとこんな笑い方をするんじゃないかと思うような――それは、目を背けたくなるほど妖艶で、黒いオーラに包まれた、インパクトのある微笑みだった。

わたしの両腕には、ぷつぷつと鳥肌が立った。

その「悪魔の微笑」と正面から対峙してしまった百合子さんは、もはや鳥肌どころではないようで、いますぐ逃げ出しそうな半身になって、しばらく絶句していた。

ポッポ~♪

適当な時刻に鳴く、まぬけな鳩時計が飛び出した。

それがスイッチになったように、霧子さんの「悪魔の微笑」が、すうっと閉じていく。

「よ~し。準備が整ったところで、カッキー、百合子さん、覚悟を決めんだよ。明日、嫁と姑の全面戦争に突入するからね」

ぜ、全面戦争って――。

「ぐふふふ。楽しみだねぇ」

心の底から嬉しそうな霧子さんは、ひとりごとみたいにそう言うと、残りのアイスティーをチュ~と一気に飲み干した。

◇  ◇  ◇

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『癒し屋キリコの約束』森沢明夫

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