彼女はなぜ、殺されたのか…映画『死刑にいたる病』原作者が描く、衝撃のサスペンス・ミステリ #3 殺人依存症
大ヒット上映中のサイコ・サスペンス映画『死刑にいたる病』。みなさんはもうご覧になりましたか? 連続殺人鬼役の阿部サダヲさんの怪演が脚光を浴びる一方、原作者である櫛木理宇さんにも熱い注目が集まっています。
『殺人依存症』は、そんな櫛木さんによる衝撃のサスペンス・ミステリ。息子を亡くした捜査一課の刑事、浦杉は、現実から逃れるように仕事にのめり込む。そんな折、連続殺人事件が発生。捜査線上に、実行犯の男たちを陰で操る一人の女の存在が浮かび上がる。息をするように罪を重ねる女と、死んだように生きる刑事。二人が対峙したとき、衝撃の真実が明らかになる……。
『死刑にいたる病』に興味を持った人なら、絶対ハマること間違いなし。映像化も期待される、本作の冒頭をご紹介します。
* * *
「変質者による、行きずりの犯行ですかね」高比良が言う。
「かもな」
浦杉は相槌を打った。
「両親によれば、マル害はいたって真面目な少女だったそうです。対人関係に問題はなし。中学時代からバスケットに打ちこんできた、ごく普通の少女だったと」
「……親の言うことだからな、当てにはならんさ」
低い声が洩れた。
「わが子の行動を、すべて把握している親なぞいない」
そうだ、親の考えなど参考にならない。わが子の行動を逐一把握しきれはしない。なぜっておれ自身が――。
無意識にかぶりを振りそうになり、意思の力でこらえる。
高比良は六年前のあの事件を知らない。知らないはずだ。高比良とバディを組んだのは、せいぜいここ二、三年だ。
「さて、……おれとあんたで組むとなると、いつもどおり役目は敷鑑だろうな」
わざとらしく、浦杉は伸びをした。
「すまんが、その前に五分だけアパートに寄っていいか。しばらくは忙しくなる。帰りも遅くなるだろう。大家がうるさいんで、挨拶だけでもしておきたいんだ」
合田主任官の命は予想どおり、
「高比良と浦杉は、敷鑑にまわれ」
であった。
特捜本部の看板『荒川女子高生殺人死体遺棄事件特別捜査本部』の文字は、署長みずから筆をふるった。墨痕淋漓たる看板は、荒川署会議室の入り口に貼り出された。
捜査本部長には、同じく署長が任命された。
管理官は規定どおり本庁の警視が就いた。まだ二十八歳の、押しも押されもせぬ東大出のキャリアである。だが合田によれば、「気のいいお殿さまだ。下じものことにはうるさく口を出さねえ、扱いやすい管理官だ」そうである。
「すまんな。さっきも言ったように、五分だけ」
捜査にまわる前、浦杉はあらためて高比良にことわり、荒川署から徒歩十分の自宅アパートに寄らせてもらった。
昭和末期に建ったという、木造二階建てのアパートである。外観は「古びた」を通り越し、いまや「汚らしい」の域に入っている。外階段は赤錆にまみれ、もとは白かったのだろう壁も黄ばんだ灰いろにくすんでいる。
浦杉が住む部屋は、二階の二〇四号室だった。
とはいえ彼の住民票に登録された住所は、この部屋ではない。住民票上の住所は南千住にあるマンションで、そこには妻と娘の架乃が住んでいる。マンションは南東向きのベランダ付き3LDK。かたやこのアパートは、1Kのみの安物件だ。
妻子と仲たがいしたのではない。
彼女たちに「出て行ってくれ」と乞われたわけでもなかった。
――おれが、耐えきれなかっただけだ。
あの空気に。重くのしかかる悲哀と悔恨に。
このアパートに入居して、すでに二年以上経つ。しかし浦杉の部屋に、生活感はまるでなかった。家電は冷蔵庫と単機能レンジのみ。板張りの床に敷かれた万年床と、量販店で買ったロウテーブルがかろうじて生活感を醸しだしている。
食事はコンビニと弁当屋に頼りきりだった。シャツはすべて形状記憶加工タイプに替えた。スーツも然りで、いまは三着を代わる代わる着まわしている。ネクタイにいたっては、紺と臙脂の二本しかない。
かろうじてユニットバスではないが、シャワーしか使っていない浴室は黒黴だらけで、最後に掃除したのがいつかも思い出せないほどだ。退去するときは敷金が戻るどころか、クリーニング費用をたんまり取られるだろう。
浦杉は手早くシャツと靴下を替えた。
そして、テーブルのメモ帳に短い文章を書きつけた。
――しばらく帰りが遅いです。部屋には、好きに出入りしていい。
高比良に言った言葉は嘘だ。大家に渡すメモではなかった。部屋を出て、浦杉は隣室の新聞受けにメモを挿しこんだ。
二〇三号室のドア横には『加藤』と手書きの表札が出ている。厚紙に油性ペンで書きなぐった雑な字だ。浦杉自身の筆であった。
――女所帯だと宣言するような表札は、防犯上お勧めできない。
そうアドバイスしたついでに、頼まれて書いた二文字だった。厚紙の裏を返せば、住人本人の繊細な筆跡が現れるはずだ。『加藤一美 亜結』と。
浦杉は外階段を駆け下りた。電柱の脇で待っていた高比良を、片手で拝む。
「悪い。待たせたな、行こう」
近くで咲いているらしい薄黄木犀が、甘く匂った。
3
山手線から中央・総武線に乗り換え、二人はまず小湊家に向かった。
東中野駅から、バスで十分弱の距離に建つ賃貸マンションである。その三階に、小湊美玖は両親と弟とともに住んでいた。
父親は繊維加工会社の課長補佐だという。母親はパートの主婦で、弟はまだ小学四年生であった。
浦杉と高比良を出迎えたのは、父親一人だった。
「妻は、その……精神的に参ってしまいまして、いまは立川の実家に帰しています。息子も一緒に行かせたかったんですが、学校を休みたくないと言うもので……。姉が死んだということが、まだ、ぴんと来ていないようです」
父親は、言葉が喉につかえたような話しかたをした。
実感がないのは彼も同じだろう、と浦杉は考えた。無精髭に埋もれた頬の筋肉が、弛緩している。いまだ呆然としている証だ。突然襲った悲運を、いまだ受け入れられずにいるのだ。
気持ちは痛いほどわかる。わが子の死を簡単に受け入れられる親などいない。
陳腐な言いまわしだが、親はみな「うちの子に限って」と思っている。わが子はずっと幸福に平穏に暮らしていくものだと、なんの根拠もなく信じている。些細なつまずきはあれど、大きな災厄になど見舞われまいとたかをくくっている。
だがある日、彼らは気づかされるのだ。この世に例外はないと。誰しも足もとに、ぽっかりと黒い陥穽がひらく瞬間がある。わが子だけが、災厄から逃れられるはずはなかったのだと――。
「娘さんについて、いくつかご質問させてください」
高比良の声で、浦杉はわれに返った。
いかん、と急いで顔を引き締める。自分の思いに沈みかけていたと、父親に気取られなかっただろうか。
眼前の父親をあらためて見つめた。しかし彼は、やはり緩んだ表情で立ちつくしていた。
「ああ、いまお茶を……。カップはどこだったかな」
「おかまいなく」
「ひとまず座りましょう。小湊さん」
うながして、三人はリヴィングのソファに腰を下ろした。
ソファセットの正面には大きなテレビがあった。ロウボードには特撮ヒーロー映画や、女性アイドルグループのライヴDVDが並んでいる。ボードの横には、アニメのキャラクターシールを剥がしそこねた跡が残っていた。娘の架乃も、かつて好んだキャラクターであった。
「――美玖さんの、当日の足取りを追っています」
浦杉は切り出した。
「失踪した十九日、美玖さんは学校に姿を見せていません。誰かと会うと言っていませんでしたか。たとえば最近知り合った誰かと、駅で待ち合わせをしているだとか」
「いえ、なにも」
父親は首を横に振った。
「入学して、半年足らずでした。最近知り合った誰かと言われても……」
「では、進学によって別れた元同級生はどうです。校外で会う約束をする可能性のある相手に、お心当たりは?」
「ない……と思います」
やはり父親は否定した。
「美玖は小学生の頃から、バスケットに打ちこんでいました。中学時代の友達も、バスケ部の子ばかりです。明蓮一高は朝練禁止なので、『ほかの高校に進んだ子たちはいまでも五時起きなのに、自分だけ楽してるみたいで落ちつかない』とぼやいていました。だから中学以前の友達が、美玖と朝に会う余裕はなかったと思います」
「そうですか」
浦杉はうなずいた。
証言に矛盾はない。美玖のスマートフォンを情報技術解析課がデータ復元したが、とくに誰かと待ち合わせした履歴はなかった。
LINEもメールも、たわいない内容ばかりだった。バスケの話。女性アイドルグループの話。クラスメイトがああしたこうしたの噂話。異性の話題は皆無だった。十五歳にしては幼いな、と感じたほどだ。
「では、SNSはどうです」
高比良が問う。
「美玖さんはTikTokとインスタグラムのアカウントを持っていました。SNSで知り合った相手について、話題にのぼったことは? 会いたいだとか、会ってみたいと話していませんでしたか」
「あり得ません。うちの子は、それほど馬鹿じゃないですよ」
父親の声がはっきり尖った。
「ネットで知り合った赤の他人と、親に内緒で会うような子じゃない。まさかそんな――。ああそうだ、こっちにも通信履歴があります」
憤然と立ちあがり、キッチンに向かう。
約一分後、父親はノートパソコンを小脇に抱えて戻ってきた。
「わが家共有のノートです。美玖もよく使っていました。TikTokにもインスタにも、ここからログインしていましたよ。どうぞ確認してください」
「失礼します」
一礼して、浦杉はパソコンのモニタを覗きこんだ。
ブラウザの左横にブックマークが表示されている。【miku_39】のフォルダに、同名義のTikTokとインスタグラムのアカウントが収納されていた。
「パスワードは?」
「デスクトップのメモ帳にありますよ。ほら」
指されるがまま、【Password】の文書をダブルクリックしてひらく。家族全員のアカウントIDとパスワードが保存されていた。驚くべき無防備さだ。とはいえ一般家庭は、こんなものなのかもしれない。
浦杉は【miku_39】のインスタグラムにログインした。
途端、花が咲いたような笑顔が目を射る。
生前の小湊美玖だった。思わず浦杉は眉根を寄せそうになった。一瞬、正視しかねたのだ。しかし無表情を保ち、記事を順に確認していく。
最新の記事は級友たちと撮った画像だった。全員が女子生徒で、美玖と雰囲気が似ている。よく言えば素朴。悪く言えば子供っぽくて垢抜けない。
次の画像は部活のジャージ姿だった。次はマクドナルドのダブルチーズバーガーとコーヒーの画像である。友人と下校途中に立ち寄って食べたらしい。さらに次は、新品のスニーカーだ。
浦杉はダイレクトメッセージを確認した。ざっと見たところ、あやしいメッセージはない。ストーリーズ動画は、当然ながら二十四時間を過ぎており消えていた。
つづいてTikTokのアカウントを調べる。こちらにも、とくに不審な点はないようだった。だが断言はできない。浦杉も高比良も、IT関連はさほどくわしくない。
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