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田舎暮らしの現実…容疑者は村人全員? 最凶・最悪のどんでん返しミステリ #2 ワルツを踊ろう

金も仕事も家も失った元エリート・溝端了衛は20年ぶりに故郷に帰る。だがそこは、携帯の電波は圏外、住民はクセモノぞろいの限界集落。地域にとけ込むため了衛は手を尽くすが、村八分にされ、さらには愛犬が不審死する事態に……。

ベストセラー『さよならドビュッシー』シリーズなどで知られる中山七里さん。そんな中山さんの「著者史上最狂ミステリ」として名高いのが、『ワルツを踊ろう』です。驚愕のどんでん返しが待っている、本作の冒頭をご紹介します。

*  *  *

困惑していると大黒がまたこちらを見た。
 
「了衛さんもアレかい。街の流儀に従って自分のことは最低限しか教えるつもりはないってことかい」

「いやっ、そんなことはないです。はい」
 
「じゃあ、いったいいくらもらっておったんだ」
 
大黒と多喜の視線が自分に集中する。どう好意的に受け取っても、親切心で訊いているような視線ではない。
 
こんな場合は答えをぼかすに限る。
 
「えっと、その……外資系っていうのは出来高払いの部分が結構ありまして、その、波があるんですよ。悪い月はいい月の半分、みたいな」
 
もちろんそんなことはないが、どうせ会社の内情を知られている訳でもない。それにトレーダー部門の社員は給料の一部が出来高制になっているので、完全な嘘でもない。
 
「だから、まあ、取りあえず生活保護は受けていない程度で。ぼちぼちといったところです」
 
すると大黒夫婦はあからさまに不満そうだったが、それ以上追及するつもりはなかったようで、視線を外した。
 
「そんなこと言って。きっととんでもないお給料だったんでしょ。何ていってもエリートなんだもの」
 
「婆さん、やめんか。人には話したくないことの一つや二つはあるだろう。了衛さんにとってはそれが給料なんだ」
 
いつの間にか自分の収入の多寡が機密事項のような扱いになっているので当惑した。
 
そして、大黒は口調を変えて切り出した。
 
「で、こっちに越してからは日中も家の中におるようじゃが、もう忌引きは済んだんだろ? どうして会社に行かんのだ。それとも今流行りの在宅勤務というヤツか」
 
いきなり不意を突かれた気がした。どうもこの夫婦は触れられたくない部分を狙って急襲をかけてくるようだ。
 
もちろん隠すという選択肢はあるが、この夫婦の場合、隠せば隠すほど大騒ぎしそうだ。しかも嘘が行使できる話でもない。これからも在宅が続けば必ず怪しまれる。ここは真実を話した方がいい――。
 
ただの引っ越しの挨拶が何かの審問にすり替わってしまっている。居心地の悪さもあるが、それ以上に理不尽さが胃の辺りを重くしている。
 
「あの、会社は辞めたんです」
 
「辞めたぁ?」
 
夫婦は異口同音に叫んだ。
 
「何でまた、そんなもったいないことを! 高給取りだったでしょうに」
 
「何か会社で問題でも起こしたのか。上司と喧嘩か? それとも女が原因か?」
 
「いや、喧嘩とか女とか、そういうんじゃなくて――ホントに一身上の都合で」
 
「一身上の都合なんかでそんな会社を辞めるなんて、いい身分だな。やっぱりエリートってのは違うんだな」
 
何でそうなるんだよ――たちまち五つほど反論が思い浮かんだが口には出さなかった。今の状態では何を言っても、新しい話題の呼び水になるだけだ。
 
「あのう、了衛さん。その一身上の都合とやらも、やっぱり個人情報なの?」
 
「やめんか婆さん。それだって他人には知られたくない秘密に決まっとるじゃろう。何せ近所の人間に話せないことなんだから」
 
これではまるで犯罪者扱いではないか。
 
「しかしな、了衛さん。そうするとあんたは無職ということになるが、これからどうやって生活していくつもりなんだね」
 
尊大な物言いは地区長という立場ゆえのものなのか、それとも大黒生来のものなのか。
 
そんなこと、あんたに関係ないだろう――喉まで出かかった言葉をすんでのところで呑み込む。
 
「ちょうど父が亡くなったのと重なって……今はまだ色々と落ち着かないので、しばらくしてから考えようと思ってるんです」
 
「まあ、それがいいだろうね。わしらみたいな老いぼれはともかく、あんたはまだ若いんだから。そんな齢で無職なんていったら白い目で見られるんだからね。落ち着いたら一刻も早く次の仕事を見つけなさい」
 
「……無職は白い目で見られますか」
 
「当たり前じゃないか。ニュースを見てみなさい。ちっちゃな子供を誘拐したり詐欺なんかに手を染めたりしているのは大抵が無職か、自称何とかというヤツらだ。無職というのは立派な犯罪予備軍なんだ」
 
思わず耳を疑った。
 
確かにニュースを見ていると、容疑者として逮捕されるのは圧倒的に無職とされる人間が多い。しかし、だからといって逆もまた真なりと言い換えるのは非論理的に過ぎる。第一同じ無職であっても、そうなった理由は千差万別だ。中には生き方として無職を選択した者もいる。そういった人間たちを十把一絡げにして論じること自体が乱暴極まりない。
 
だが当の大黒はそれを正論と信じて疑っていないようで、鼻の穴を開いて得意げにしている。
 
「じゃあ当分、あんたは暇な訳だな」
 
「……そう、ですね」
 
「だったらちょうどいい。おい、婆さん。昨日、役場から届いたあれ、持ってこいや」
 
「あ、はいはい」
 
いったん多喜が部屋を出て、すぐに戻って来た。見れば青いファイルを小脇に抱えている。
 
「じゃあ、これ」
 
手渡されたので開いてみると、表題に〈平成25年 竜川地区定期健診のお知らせ〉とあった。
 
「これは?」
 
「見りゃ分かるだろう。毎年この時期になると依田の役場でやってる定期健診の告知だ。竜川地区七戸分の告知、それから受診可否について取り纏める用紙も添付してある」
 
ページを繰るとなるほどその通りだった。ただし既に大黒が自分の分として抜き取ったのか告知は六枚しかなかった。代わりに受診可否の用紙には『大黒』という印が捺されている。

「了衛くんが印鑑を捺す前に、他の五軒を回ってくれ」
 
「えっ」
 
意味を測りかねて、了衛はファイルと大黒の顔を代わる代わる見た。
 
「で、でもそれって回覧すれば済むんじゃないですか」
 
「どうせ遅かれ早かれ、他の住人にも挨拶することになるんだろ。だったら、これがいい機会じゃないか。これ配るついでに顔を見せてこい。そうすりゃ、そんな格好で押しかけても誰も怒らんだろ」
 
確かに効率的かも知れないが、使い走りをさせられているような気もする。
 
しかし地区長からの指示とあれば従わない訳にもいかない。逆らえば、この先住みづらくなるのは目に見えている。
 
「分かりました。じゃあ行って来ます」
 
「用紙に記載された順番に行った方がいい。ここはそういうことにうるさいから」
 
確認すると順番は、大黒→雀野→野木元→多々良→久間→溝端となっている。
 
数が合わない。これでは六戸だ。
 
「これ、一軒足りませんよ」
 
そう言うと、大黒は煩わしそうな顔で答えた。
 
「地区の外れに能見の家があるのを憶えてるか。足りないのはその分じゃ。行きたきゃ行けばいいし、行きたくなきゃ行かんかったらいい」
 
その口調で、大黒自身が能見を疎んじていることが窺えた。どうせ回るのなら五軒も六軒も同じだ。
 
「じゃあ失礼します」
 
「この時間から野良仕事に出掛けるところもあるから急いでな」
 
そして了衛は大黒の家を後にし、二軒目雀野の家に向かった。


ほんの二週間前まで了衛は川崎市内の外資系金融会社に勤めていた。新卒で入社、会社の業績も堅調で自分の人生も順風満帆と思えた。三十代半ばくらいに結婚して家庭を持ち、いずれはFP(ファイナンシャル・プランナー)として独立する――。自ら描いた人生設計も必ず実現すると思い込んでいた。
 
ところが二〇〇八年九月、突如金融業界を襲ったリーマン・ショックが了衛の人生設計を根本から崩壊させた。ひと晩で倒産するようなことはなかったものの、了衛の会社もサブプライムローンを多く抱えており、その損失は年を追う毎に巨額になっていった。
 
窮地に陥った外資系企業ほどドラスティックなものはない。大幅な経費節減はリーマン・ショックの二カ月後から始まった。給与はいきなり二割減、ボーナスに至っては前年比五割減となった。それだけではない。不採算店舗の閉鎖、所有不動産の売却と、会社の資産は見る間に痩せ細っていった。
 
そんな中でも了衛は堪えていた。景気変動は世の常だ。嵐が過ぎ去るのを待っていれば、いつかはまた穏やかな日々が戻って来ると信じていた。
 
だが了衛の祈りも空しく、会社の業績は一向に好転の兆しを見せなかった。日に日に同僚の姿は消えていく。そのほとんどはリストラだった。日本企業と異なり、早期退職制度もリストラに関わる支援制度もある訳ではない。すぐに再就職の口があればまだよかった。しかし金融不況のタイムラグと重なり、その頃の一般企業も軒並み業績を落とし、三十五歳過ぎの人間を中途採用するような優良企業は皆無だった。
 
そしてまた、ここで了衛のエリート意識が転職の障害になった。有名大学卒、そんな自分が中小企業に勤めるなどということがあって堪るものか――。そうかといって遅まきながら始めたFP資格の取得はどれほど勉強しても三級どまりだった。FP資格三級では独立起業など夢のまた夢でしかない。
 
こうして会社の業績が下降線を辿るのを内側で見ながら外にも飛び出せず、鬱々と仕事を続けるうち、遂にこの三月に勤務先の支店が閉鎖、了衛も解雇の憂き目を見ることとなった。
 
まさかこんなことになろうとは。
 
了衛はそれが現実の出来事だとはとても思えなかった。
 
住まいは会社の寮だったので退職後は速やかに退去しなくてはいけない。だが給料の目減り分を取り崩していたため、退職金を含めても通帳残高は心細いものとなっていたのだ。
 
いったい四月から、自分はどこでどのように生活していけばいいのか。
 
禍は連続するものらしい。了衛の失職と時を同じくして、予てより病気療養中の父親が亡くなった。享年七十五。最期は看取る者もおらず、孤独な病院死だった。
 
母親はとっくの昔に他界しており身内は了衛だけだった。急遽、依田村の実家に戻って形ばかりの葬儀を済ませたのだが、ここで禍が福に転じた。
 
父親名義の土地建物、そして田畑は全て了衛が相続することになったのだ。しかも不動産のいずれも評価額が呆れるほど安かったので相続税も発生しなかった。
 
葬儀を終えてから了衛は実家に移り住んだ。これで取りあえず住居は確保できた。家賃が要らないのであれば、貯金の取り崩しだけで当分は生活できる。再就職先は焦らずじっくりと決めればいい。
 
新生活は優雅な田舎暮らしからスタート――そう思った矢先、大黒からプライバシーに関わることを根掘り葉掘り訊かれたのだ。
 
どうやら田舎暮らしも、それほど優雅ではないかも知れない。晴れ渡った空の片隅に黒雲を見た思いだった。

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ワルツを踊ろう


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