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絶望のフルコース…容疑者は村人全員? 最凶・最悪のどんでん返しミステリ #4 ワルツを踊ろう

金も仕事も家も失った元エリート・溝端了衛は20年ぶりに故郷に帰る。だがそこは、携帯の電波は圏外、住民はクセモノぞろいの限界集落。地域にとけ込むため了衛は手を尽くすが、村八分にされ、さらには愛犬が不審死する事態に……。

ベストセラー『さよならドビュッシー』シリーズなどで知られる中山七里さん。そんな中山さんの「著者史上最狂ミステリ」として名高いのが、『ワルツを踊ろう』です。驚愕のどんでん返しが待っている、本作の冒頭をご紹介します。

*  *  *

雀野に印鑑をもらってから、了衛は次の家に向かった。雀野宅から更に百メートル先に野木元の家がある。

大黒の話では、その家に野木元雅幸が一人で住んでいるという。
 
野木元という男について、了衛はあまり鮮明な記憶がない。家同士が端と端で離れている上、遊び相手のいる家ではなかったので中に入ったこともなかった。
 
ただ、昔は妻と成人の息子が同居していたはずだ。現在一人暮らしというのなら、他の二人はどこへ行ったのだろう――。
 
そこまで考えて了衛は慌てて首を振った。
 
住民の好奇心の旺盛さに辟易した自分が、他所の家庭の事情に興味を持ってどうする。
 
それとも、早くも大黒や雀野の毒気が伝染したのか。
 
目指す家は木造平屋建てだった。五十メートル手前からでも切妻屋根が歪んでいるのが分かる。建物全体がひどく老朽化しているのに、ほとんど手入れがされていない。
 
玄関先に着くと、家の荒廃ぶりは更に顕著になった。庭に設えてあった花壇は鬱蒼と生い茂る雑草で地面が見えない。廃棄物同然となった自転車や外装の剥げ落ちた家電製品が山と積まれ、足の踏み場もない。
 
それでも何とか玄関に辿り着き、中に向かって呼んでみた。
 
「野木元さあん」
 
返事はない。もう野良仕事にでも出たのだろうか。念のため、少し大きな声で再度呼んでみると、今度は返事があった。ただし家の中からではない。裏の方からだ。
 
「こっちー。ぐるっと回って来てー」
 
塀も何もないので回り込むのは簡単だった。畑を背に裏庭が現れる。その縁側に野木元が腰を下ろして雑誌を読んでいた。近づくと雑誌のタイトルが見えた。
 
『パチンコ必勝ガイド』
 
「何だ。溝端の了衛さんかい。聞き慣れない声なんで誰かと思った」
 
「裏から失礼します」
 
「構わないよ。玄関の戸が壊れちゃってさ、上手い具合に戸が開かねえんだ。だから今はこっちが玄関」
 
野木元の背後に家の中が見えた。
 
思わず腰が引けた。まるでゴミ屋敷だったからだ。
 
部屋の隅、大きめの段ボール箱を屑入れにしているらしいが中のゴミが外に溢れている。その溢れたゴミが雪崩の形になって畳の上に流れ出ている。お蔭で室内はゴミの海だ。
 
プラスチック容器、ビニール袋、雑誌、衣類、目に見えるほど積もった埃、酎ハイの空き缶、ところどころが斑に変色した寝具――。
 
見ているうちに異臭が漂ってきた。了衛は咄嗟に顔を背けた。
 
「ひ、引っ越しの挨拶に来ました」
 
「へえ、こっちに住むことにしたんだ。まだ若いのに物好きだね、あんたも」
 
「ええと、それからこれ。回覧板です」
 
「はい、ご苦労さん」
 
野木元は回覧板を受け取ろうともせず、また雑誌に目を落とす。
 
了衛はしげしげと野木元を観察した。中肉中背、年寄ながら半袖から覗く腕は筋肉質だ。細面で禿げた頭頂部はいくぶん尖り気味になっている。大阪で有名なビリケンに少し似ている。だがビリケンが福々しいエビス顔であるのに対し、一瞬こちらに向けた顔は猜疑心に凝り固まっているように見えた。
 
しばらく様子を見守っていたが野木元が一向に顔を上げる気配を見せないので、もう一度話し掛けてみた。
 
「あの、すみません」
 
「ああん? 何だよ」
 
「回覧板、今度の定期健診についてなんで参加するかどうか印鑑を捺してもらわなきゃならないんです」
 
「定期健診ー?」
 
野木元は駄々っ子のように語尾を跳ね上げた。
 
「ええ。印鑑を捺すだけ」
 
「印鑑なんてずいぶん使ってないからどこに仕舞い込んだか忘れちまったよ」
 
「ええと、じゃあ署名でも構いません」
 
「どっちにしたって面倒臭いんだよ。いいよ、どうせ健診なんて受けないし」
 
「でも、地区長は全員に見せろって」
 
「いいんだって。大黒さんも立場上そう言ってるだけだから。第一なあ、こんな齢になってもまだ長生きしたいかあ?」
 
「俺に言われても……」
 
「老い先短いんだからよ、注射やらクスリやらで無理に長生きするより、ぱあっと楽しいことやって面白おかしく暮らした方がいいぞー」
 
投げやりな物言いに、生来のお節介が頭を擡げた。
 
「健康だと高齢でも仕事を続けられるじゃないですか。ほら、雀野さんみたいに」
 
「ああ、あの人はあれでいいんだよ。7人のこびとなんだからよー」
 
「7人のこびと?」
 
「知らねえか。ディズニーに出てくる小人だよ。あいつら年がら年中ハイホーハイホーって働いてるだろ。ああいう風に、働くのが根っから好きってヤツは働いたらいいんだよ。だけど俺は働くより好きなことがあるからな」
 
そう言って雑誌の表紙を指で弾く。
 
「でも、働かなかったら生活ができないでしょ」
 
「馬っ鹿じゃねえか、あんた」
 
野木元は蔑むように了衛を見た。
 
「別にこんな年寄が働かなくてもよお、国がちゃあんと面倒みてくれてるじゃないか。偶数月の十五日になったらよ」
 
偶数月の十五日――年金支給日のことか。

「知ってるかあ? こんな土地でコメや野菜作って農協に納めてもよ、いくらにもなりゃしねえんだ。真面目な話、一年間汗水垂らして働いてたって、年収なんか数十万円。それよりはよ、仕事なんか一切やめて生活保護受けた方が得なんだぜ」
 
その手があるか。
 
自営業の場合、役場に廃業届を提出すれば他の条件と併せて生活保護の対象になる。
 
だが真っ当に働くよりも、生活保護を受けた方が潤うので遊び暮らすというのは理屈としては正しいのだろうが、どうにも納得し辛いところがある。
 
思っていたことが顔に出たのだろうか。了衛の表情を見た野木元が顎をしゃくり上げた。
 
「んんー? 何か言いたそうな顔だな」
 
「いや、別に……」
 
「ああ、そう言や、あんた街の人間だったんだな。やっぱり都会じゃまともに働いているヤツが大多数だから、わしみたいな福祉にぶら下がって生きとる者は軽蔑されるんだろう」
 
「そ、そんなことはないですよ」
 
「嘘吐かんでいい。いいよ。好きなだけ軽蔑してくれて。軽蔑されようがどうってこたあない。逆に尊敬されたって腹は膨れんしな」
 
野木元は卑屈に笑ってみせた。
 
「憶えとるかなあ。ここには以前、嬶と息子も住んでいた。二人がどうしていなくなったか、地区長か誰かから聞いたか」
 
了衛は無言のまま首を振る。
 
「二人ともちょうど今のあんたと同じ顔をしていたなあ。わしがパチンコに行くたんびに、こう眉を逆ハの字にしてな、そんなことに使うカネがあるんなら家に入れろとか、遊びのために貯金取り崩すのはやめろとかな。もう、うるさいことうるさいこと。あんまりうるさいんで二人とも足腰が立たなくなるくらいに殴ってよ、家の中にあったカネ全部持ち出してやった。そのカネ、パチンコで全部スって帰るとよ、二人とも家を出て行った後だったんだよ。な? 男だろ、わしって。わはははは」
 
野木元はしばらく哄笑していたが、ふと気づいたように腕時計を見た。
 
「おや、もうこんな時間かい。あんたと無駄な話をしてたら、すっかり遅くなっちまったじゃないか」
 
「どこかに出掛けるんですか」
 
「パチンコだよ、パチンコ。村役場のすぐ傍に一軒だけパチンコ屋があるんだ。もうすぐ開店時間の十時だからよ、急がないと」
 
そう言うなり野木元は読んでいた雑誌を家の中に放り、縁側で外出用の靴を履くと駆け出した。
 
了衛は慌てて追い掛ける。
 
「あの、印鑑か署名をお願いします!」
 
「知らん。あんたが勝手に書いておいてくれ」
 
そういう訳にいくか。
 
「お願いします」
 
「パチンコ銭くれたら書いてやってもいいぜ」
 
それが捨て台詞だった。齢の割に足が速い。道路に出た野木元はあっという間に見えなくなった。
 
了衛は力なく肩を落とした。
 
追い掛けたところで、また押し問答を繰り返すだけだ。仕方がない。本人の意見を尊重して代筆するとしよう。
 
幸いボールペンを持ち合わせていたので『野木元』と記された欄にその名を書く。
 
書き終わった途端、寒気のするような虚しさが襲ってきた。
 
何が快適な田舎暮らしか。
 
何が第二の人生か。
 
井戸水が喉に流れ込んだ時の爽快感は、微塵に吹き飛んでいた。
 
鬱屈、怨嗟、荒廃、そして怠惰。
 
たったの数十分間で絶望のフルコースを見せられた思いだった。

3


野木元の家の裏手は山沿いの崖に続いており、坂道を二十メートルほど上がっていくと、そこが多々良万作の家だった。直線状に三軒が建ち並び、坂の一番上の家で道路は袋小路になっている。これより外には舗装された道路がないため、集落としての竜川地区は端の家までとなる。
 
多々良の家は野木元ほどではないが、やはり荒廃が進んでいた。外壁の漆喰はところどころが剥がれ落ち、窓ガラスは白く濁っている。風雪に耐えてきたといえば聞こえはいいが、言い換えれば建物としての寿命が限界に近づいている。体当たりでも食らわせれば、あっという間に倒壊しそうだ。
 
多々良は元より一人暮らしだった。以前は両親も同居していたのだが、多々良がずっと独身でいるうちに相次いで亡くなってしまった。こんな田舎の独身男に嫁ぐような物好きもおらず、以来多々良はずっと一人で住んでいるらしい。
 
多々良は縁側に出て、何やら長い筒状のものを布きれで熱心に拭いていた。
 
「多々良さん、回覧板で……」
 
最後まで言葉が続かなかった。
 
多々良が拭いていたのは銃身の長いライフルだった。
 
思わず足を止めると、多々良がこちらを見た。
 
「何だ、溝端の坊主かよ」
 
多々良は斜視気味の目で了衛を一瞥するが、銃身を磨く手を止めようとはしない。
 
「あ、あの、それってライフル……ですよね」
 
「そうだよ。他の何に見えるってんだ?」
 
多々良は銃身を拭き終わると、傍らに置いてあったスプレー缶を取り上げ、全体に吹きつける。了衛のいる場所からでもそれが防錆剤であることが分かる。風に乗って防錆剤の臭いが鼻を衝く。鉄錆とアルコールを混ぜたような嫌な臭いだった。

◇  ◇  ◇

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