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〈あの絵〉のまえで #5

ギターケースは、初めて会ったとき、なっしーにぴったり寄り添っていた。まるで立体的な影のように。

私は岡山市内の女子校二年生、十六歳だった。夏休みの始まり、中学時代の同窓生の難波君が、みんなでカラオケに行こうと誘ってきた。それまでも友だち何人かと一緒にカラオケに行ったりカフェに行ったりして、ときどき遊びに行く仲だった難波君が、私になんとなく好意をもっていることには気づいていた。私もなんとなく好意をもっていた。ほんとうはふたりで会いたいような気がしたが、次くらいかな、と期待しつつ、うっすらメイクして、お気に入りのノースリーブのワンピースを着て、友人女子ふたりと連れだって出かけていった。

そして、待ち合わせの場所に現れた難波君の後ろにいたのが、なっしーだった。

友人女子ふたりは、まずその背の高さにすっかり驚かされていたが、私は違った。彼のかたわらにちょこんと寄り添っているギターケース、その不思議なバランスに引きつけられた。

なっしーは引っ込み思案なのか、カフェに行っても、はにかんだように笑うばかりで、あまりしゃべろうとしなかった。こいつデカいくせに、なんか、ちっちぇーやつなんよ、と難波君が茶化して、みんな笑った。なっしーも笑っていた。でも私はあんまり笑えなかった。なっしーが心から笑っていないとわかったから。カラオケに行っても、難波君の歌いたい曲を入れる役回りで、結局自分は最後まで一曲も歌わなかった。

別れ際にメールアドレスの交換をした。私はなっしーの本名を尋ねた。ところが「なっしーです」と言うばかりで、結局教えてくれなかった。

SNSの彼のページをのぞいてみると、アコースティックギターを弾いている外国人のおじいさんが壁紙になっていた。私はまったく知らない人だったが、有名なギタープレイヤーに違いなかった。投稿しているのはギター関係の情報ばかり。自分のことは何ひとつ投稿していない。ギターが好きなんだな、とよくわかった。みんなで会っているときも、ギターケースをかたときもそばから離さなかった。まるで自分の影を自分の意思で引き離すことができないみたいに。

難波君から『今度ふたりで会わん?』とメールがきた。それには返信せず、私はなっしーにメールを送った。

『今度会いませんか? ギターのこと、教えてください』

すぐに返事がきた。

『ギターのことって言ってくれてありがとうございます。うれしいです』

生真面目な文面に、思わず頬がゆるんだ。

初めて会ったときにみんなで行ったカフェで待ち合わせをした。

なっしーはずいぶん早くから私を待っていたようだった。注文はせずに、水のグラスが空っぽになっているのを見て、そうとわかった。彼に寄り添って、やっぱりちょこんとギターがかたわらにあった。それを見て、私の頬は自然とゆるんだ。

なっしーはようやく本名を教えてくれた。小鳥遊音叉。「自分でもまぶしいくらいキラキラネームじゃから……」と、真っ赤になってしまった。完全に名前負けしてるし誰にも覚えてもらえないから、ちょっとだけ名前コンプレックスなんだと。でも実は「音叉」という名前をつけてくれたお父さんに感謝している、いつも大好きな音楽と一緒にいられる気がして。彼の話のひとつひとつに、私は微笑みながらうなずいていた。

中学三年のとき、東京や大阪のバスケ部やアメフト部の名門高校から推薦入学しないかと誘われた。学費免除というのに惹かれたが、自分は見た目に反して全然体育会系じゃないからと、すべて断った。名門校からの打診に期待していたらしいお父さんをがっかりさせるかと思ったが、お父さんは、できないことをできないとちゃんと言えたんなら、そのほうがずっとええで、となっしーの決断をほめてくれた。

なっしーは、幼い頃にお母さんを病気で亡くして、小学校の用務員を務めるお父さんに男手ひとつで育てられた。小学校一年生の頃から食事の支度を手伝って、お父さんのお弁当も作ってあげていたというから驚きだ。お父さんの休みの日にはギターを教えてもらい、中学生になる頃にはかなり弾けるようになっていたという。経済的事情からギター教室には通えなかったが、「父親のギターから全部教わった」と。それから「アタウアルパ・ユパンキにも」。SNSの壁紙のおじいさん、フォルクローレ・ギターの伝説のギタリストだそうだ。「この人を自分のおじいさんじゃと思っとる」と言って、私を笑わせた。

私たちは、隣同士に座り、顔を寄せ合って、iPodでアタウアルパ・ユパンキの演奏を聴いた。ほのぼのと明るい朝焼けが胸いっぱいに広がった。

それから、私たちはちょくちょく会うようになった。なっしーと私、そしていつもギターケースが三人目の仲間だった。なっしーはとても引っ込み思案で、私との距離をなかなか縮めようとしない。もどかしかった。アタウアルパ・ユパンキの動画を見るときだけ、私たちの距離は一気に縮まった。ユパンキのギターの音色とともに、なっしーの体温をすぐ近くに感じて、私はなんだか切ない気分になった。

ギターを聴かせてよ、と頼んだが、なっしーはなかなか首を縦にふらなかった。

「ユパンキの演奏ばっかり聴いたあとに自分のギターは泣けるほど下手じゃけ」

どうにかこうにか言い逃れをする。

「そんなことないよ」と私。

「泣けるほど下手なら、泣かせてほしいよ」

そして、ついにそのときがきた。私の十七歳の誕生日に、一曲だけ聴いてほしい、とメールがきた。私は躍り上がって喜んだ。どこで聴かせてくれるの? 彼の家? 彼の部屋? てことは、それって、ふたりきりで……。

忘れもしない、その日。九月末の土曜日だった。なっしーと私は、倉敷駅で待ち合わせをした。彼は倉敷に住んでいると知っていたので、てっきり実家に連れていかれるものだと思い込んでいた私を、彼はまったく想像もしなかったところへ連れていった。

美観地区の柳の枝が水路の上で揺れていた。私たちが着いたのは、大原美術館だった。

「子供の頃から、こけえよう来たんじゃ」と、なっしーは、やっぱり照れくさそうに打ち明けた。

最初は、お父さんと元気だったお母さん、ふたりに連れられて。そのあとは、お父さんと何度か。中学生になってからは、ひとりで。両親以外の人と来たのは初めてだと言う。

「一緒に美術館に行こう、なんて、誘っても来てくれる友だち、おらんかったけ」

だけど、私を連れてきてくれたのだ。それがうれしかった。

チケット売り場で入場券を買った。財布を出そうとすると、「ええから」と、私の分も出してくれた。売り場の女性が、なっしーが携えているギターケースを見て、「大きなお荷物はこちらでお預かりします」と言った。かたときも離さない分身を、なっしーはすんなりと渡した。ここへ来るときはいつもそうなのだと教えてくれた。作品に当たったりしたらいけないから、美術館では大きな荷物は預かってもらうものらしい。そんなことも知ってるんだと、ちょっと感心した。

大原美術館には小学校の校外授業で来たことがあった。そのときは、友だちとひそひそ話に夢中になって、先生の解説もろくに聞かなかった。だけど、ひとつだけ、気になる絵があった。美しい色やかたちの絵がたくさん並んでいる中で、その絵はとても不思議な雰囲気を醸し出していた。不思議な雰囲気というか、なにこれ、という感じ。パブロ・ピカソの〈鳥籠〉という絵だった。

植物模様の青いクロスがかかったテーブルの上に、左手に女性の頭部の彫刻、右手に鳥かごがある。真ん中にはいびつな皿にオレンジかリンゴか、果物が載っている。テーブルの向こうは窓が開かれていて、うっすらと青くかすんだ空が見える。かごの中には鳥がいる。たぶん鳥だろう。題名が〈鳥籠〉なんだもの。だけどそれは鳥であって、鳥ではないような。鳥に似た何か……なんだろう?

美術館の中に入って、なっしーと私は、近寄ったり離れたり、一点一点、作品を眺めて、奥へ奥へと進んでいった。なっしーは、私に話しかけたり、説明したりはしなかった。それぞれが自由に絵に向き合う、その体験を共有している時間が、たまらなくいとおしく感じられた。

ピカソの〈鳥籠〉の前にたどり着いたとき、私は「あ」と声を漏らした。なっしーが振り向いた。

「どうしたん?」

すぐに私のとなりへ来てくれた。「この絵、気になっとったんよ」と私は小声で答えた。

「小学校の校外授業のときに見て、不思議な絵じゃな、って」

えっ、となっしーは意外そうな顔をした。

「おれも、初めて来たとき、この絵がいちばん引っかかった」

「え、ほんま?」

「うん。うまく言えんのじゃけど、引っかかるなって感じで、ずーっと見てしもうた」

私たちは、ちょっと手を伸ばせば指先が触れ合うくらい近くに佇んで、しばらく見入った。鳥かごの中の鳥が、私には、やっぱり鳥に見えなかった。でも、口には出さなかった。

「この鳥なあ。かごの中にいるのと違うような気がする」

ふいになっしーがつぶやいた。私は、なっしーを見上げた。

「どういうこと?」

「うん。かごの向こうに窓があるじゃろ。鳥が飛んできて、たまたま、窓辺にとまった。それが、空っぽの鳥かごの向こうに、鳥かごを通して、見えてるだけ」

つまり、鳥は「かごの鳥」として飼われているんじゃなくて、自由に飛び回っているんじゃないか──と、なっしーは言った。

「すごい」と私はびっくりした。

「すごいよ、なっしー。それ、ピカソも気がつかなかったかも」

「そうじゃろか」

「うん、そうだよ」

私たちはくすくす笑い合った。気がつくと、いつのまにか、私たちは手と手を結び合っていた。なっしーの手は熱くほてっていた。その手の中で、私の手は、小鳥のように鼓動して、すべてをゆだねていた。

絵の中でどうしても鳥に見えなかったものが、急に、鳥に見えた。かごにとらわれているんじゃなくて、自由なのだとわかったその瞬間に。

私たちは、手をつないだままで、足取りも軽く美術館を後にした。

水路のほとりを笑い合いながらしばらく歩いていると、「ちょっと~、すみませ~ん!」と大声で呼ぶ声がする。振り向くと、チケット売り場の女性が、ギターケースを揺らして走ってきた。

「あ!」なっしーと私は、同時に声を上げた。ピカソの絵での発見が、そして私たちの距離が一気に近づいたのがうれしすぎて、大事な大事なギターをすっかり忘れてしまっていた。

「ユパンキにしかられるよ」

私に言われて、なっしーは自分の手で自分のほっぺたをぴしゃりと叩いた。私は声を上げて笑った。

次になっしーが私を連れていった場所は、アイビースクエアだった。倉敷紡績の工場跡地が、レンガ造りの建物を生かして、ホテルやレストランや広場に生まれ変わった場所だ。広々としたレンガの中庭に着くと、なっしーは、きょろきょろと辺りを見回して、片隅のベンチへと行き、そこでギターケースを開いた。飴色に光るギターが現れて、なっしーのたくましい腕に抱かれた。私は、彼のとなりに腰掛けた。

ポロロン、と軽く爪弾いてから、

「えーと。この曲を、詩帆に捧げます。『恋する鳩の踊り』」

初めて耳にするなっしーの奏でるメロディ。秋風のように、雨音のように、私の心に静かに、やわらかく響き渡った。もちろん、ユパンキの音とは全然違う。もっと素朴で、荒削りで、だけど、気持ちがあふれていた。ギターへの、私への気持ちが。

聴き入るうちに、涙がこぼれた。ぬぐってもぬぐっても、新しい涙があふれた。最後のフレーズを奏で終わったあと、なっしーは、ギターではなくて、私の肩を抱いた。そしてささやいた。

──おれ、いつかギタリストになりたい。自分の曲を作って、詩帆にプレゼントするけ。そのときまで、待っててくれるかな?

◇  ◇  ◇

〈あの絵〉のまえで 原田マハ

あの絵

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