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彼を捜査に駆り立てるものとは? 行方不明少女を追う刑事の執念を描く警察ミステリー #4 雨に消えた向日葵

埼玉県で小学五年の石岡葵が失踪した。最後に目撃されたのは豪雨の中をひとりで歩く姿。誘拐か、家出か、事故か? 電車内で発見された葵の私物、少女に目を付けていたという中学生グループ……。情報が錯綜し、家族が激しく焦燥に駆られるなか、県警捜査一課の奈良健市は執念の捜査で真相に迫っていく。

警察ミステリーの新旗手、吉川英梨さんの最高傑作として名高い『雨に消えた向日葵』。ムロツヨシさん主演でドラマ化もされた本作より、冒頭の一部をご紹介します。

*  *  *

「小五の少女が夕方から行方不明だ。まだ見つかっていない。西入間署管内だ」

西入間警察署は埼玉県のちょうど真ん中にある。坂戸市や鶴ヶ島市が主な管轄だ。

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「場所は坂戸市鶴舞。失踪地点は小学校付近だ。そういうわけで、人安初動本部を立ち上げるか、上が検討中だ」

人身安全初動捜査本部は生活安全部に属する。ストーカーやDV被害のほか、子供の行方不明事案にも対応する。本部長は県警本部長が務め、二十四時間態勢の捜査網が敷かれる。

大規模に動き、速やかに人身の安全を保護する部署だけに、あとから「家出でした」「迷子でした」では済まされにくい。刃物を持った者が暴れているなど、具体性がないと立ち上がらない。

「いまは消防と協力して高麗川や帰宅路を重点的に捜索中だ」

今日の夕方、坂戸市でひどいゲリラ豪雨が降ったという。

「小学生なら、増水した川に転落とかじゃないですか」

「川から離れた通学路で本人のものと思しき傘が発見された。家族から不審者に付きまとわれていたという訴えもあってな。STSを自宅に派遣している」

STSは埼玉県警特殊事件捜査係の略で、誘拐や立てこもり事件が専門だ。最近の誘拐事件は身代金ではなくわいせつ目的が多く、ほとんどの場合犯人が相手を殺してしまう。小学校高学年以上が被害者だと、犯人の脅しにひたすら耐え忍ぶ場合もある。殺人ではなく監禁事件だ。

今回失踪しているのは小学五年生。微妙な年齢だ。

「まあ、川に流されたか、迷子だろ」

比留間が言った。事件化してほしくない一心なのだろう。管理官も忙しすぎる。

「念のため一報は入れておくが、捜査本部が立つまで出張るなよ。休んでおけ」

「休みなんか……」

「お前は平気だろうが、部下が休めないだろ。部下のためにそうしろ」

電話が切れた。休ませたいなら少女の行方不明の一報など入れてほしくない。副署長はいなくなっていた。西入間警察署に知り合いがいたはずだ。奈良は記憶を辿る。

一枚の年賀状が浮かんだ。赤ん坊の写真が印刷されていた。送り主は奥村悠太巡査部長だ。時計を見る。深夜だが、奈良は電話をかけた。発信音が一度も鳴らずに奥村が出た。

「奈良だ、覚えているか」

「もちろんですよ。埼玉県警なのに奈良です、ってあの自己紹介、いまでもやってるんですか」

また古いネタをほじくり返す。元気だったかと尋ねる。

「変わらずです。奈良さんはそろそろ定年でしたっけ」

冗談だろうが、「まだピチピチの四十三歳だ」と答えた。

奥村と出会ったのは、奈良が警部補に昇任した八年前のことだ。警察官は昇任するたびに一か月ほど学校に戻る。巡査部長と警部補は、東京都小平市にある関東管区警察学校で過ごす。そこで奥村と同じ部屋だった。

奥村は巡査部長になりたての二十六歳、頬にニキビ跡が残るあどけなさがあった。社交的な優等生で背が高く、女好きのする顔をしている。人生そつなくこなしていますというまなざしが時々鼻につくが、悪い奴ではない。年賀状が届くたびに結婚しました、子供が生まれました、という具合だったが、今年は子供の写真のそばに「春から西入間です」というメッセージが書き添えてあった。

「こんな時間にどうしたんです、奈良さん」

「上から一報が入ってな。どうだ」

電話の向こうからは騒がしい声が聞こえる。

「まだ見つかりませんね。とりあえず今日の捜索は打ち切って、これから撤収します。明日、日の出とともに消防と動く予定です」

「誘拐の線は?」

「なんとも。家族から出た不審者情報は鋭意捜査中です。奈良さん事件番ですか」

「いまは小川町のひき逃げ死亡事件だよ、送検が終わって書類仕事。人安本部とか捜査本部とか、立ちそうなのか」

微妙なところだと奥村は答えた。最初は地域課と生活安全課で動いていたが、家族の証言で不審者情報が出たため、刑事課も現場に入ったらしい。

「家族関係が複雑です。両親は親権を争って離婚調停中です。母親はパニクって聴取にならず、ガイシャと二年以上対面していない父親が飛んできて、捜査に口を挟んでくるんです」

頼みは、中学校三年の姉だという。

「お前の直感はどうだよ。筋読みしてみろ」

「家出じゃないですかね。大人っぽくて早熟そうな雰囲気です。両親の別居はもう二年にわたっていて、ほとんど母子家庭状態だったようですし」

そういう子供は非行に走りやすく、家出もしやすい、と言いたいのか。

「母子家庭でも真面目に親を助ける子供はたくさんいるだろ」

「いやいや、奈良さん、ガイシャの顔知らないからそう言うんですって。すんごい美少女です。これは周りがほっとかない。悪い誘いがいっぱいあったんじゃないかと思うんです」

少女の画像を送るからと奥村が電話を切った。二本目の煙草に火をつける。煙草がチリチリと音を立て灰になっていく。画像が届いた。見る前に基本情報を確認する。

石岡葵。平成十七年六月一日生まれ、十一歳。血液型、AB型。現住所、埼玉県坂戸市鶴舞二-三三-五。第七小学校五年二組在籍。

画像を開いた。左右対称の整った顔立ちの少女が、画面いっぱいに現れた。横一直線の眉毛は意志の強さを感じさせる。鼻梁もまっすぐで凜とした佇まいだ。二重瞼の大きな瞳に、弾けるような輝きがある。溢れんばかりの生命力を感じた。

奈良は道場に戻り、荷物をまとめて駐車場へ出た。部下には休んでおくようにメモを残してきた。覆面パトカーに乗る。家に電話をした。

「次は西入間だ」

車の窓を閉めているのに、虫の鳴き声がやたらうるさく聞こえてきた。時計を見る。七月四日が終わろうとしていた。

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深夜一時前に坂戸市の西入間警察署に到着した。国道407号、坂戸バイパス沿いにある。深夜のいまでも車の通りがあり、波のように走行音が寄せてくる。途切れると用水路から水の流れる音がした。西入間警察署はベージュ色の外壁が真新しい。六年前の二〇一〇年に建て替えられた。廊下も受付もピカピカだ。

二階にある刑事課は空っぽだった。赤ん坊の写真を飾っているデスクがある。ここが奥村の席だろう。

奈良は、奥村のデスクに足を投げ出す恰好で座り、坂戸市内の地図を開いた。どこに駅があり、どう川が流れているのか、交番や駐在所の場所も頭に叩き込む。

午前三時過ぎ、奥村が姿を現した。ジャージ姿で、栄養ドリンクを手に持っている。「到着、早っ」とひとこと言っただけで、奈良を追い立て席に着いた。寝不足のせいか目が落ちくぼみ、八年前の若々しさはない。

立ち上がった奈良に、すかさずパイプ椅子を差し出す人物がいた。刑事課強行犯係係長の呉原警部補だ。階級は奈良と同じだが、本部の勤務者に気を使っているようだ。他にも二人の捜査員が集まってきた。

自己紹介の後、情報共有を始めた。事案認知から七時間、捜査本部は立っていない。家族関係の複雑さや報告のあったストーカー事案に喫緊性がなかったからだろう。

すでに地域課と生活安全課の少年係が現場に向かっていて、消防と捜索範囲の打ち合わせを始めているという。

「高麗川への転落や、事故の捜索は地域課と消防に、家出の線は少年係に任せましょう。うちは誘拐の可能性を考慮に入れて動きます」

呉原が立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。坂戸市の地図が貼られている。西を向く象のような形だ。少女が失踪した浅羽野・鶴舞地区は、象の口の部分にあたり、南側の鶴ヶ島市と隣接している。

ナシ割――遺留品や証拠をあたる捜査活動の報告から始まった。

「いまのところガイシャの遺留品は田んぼに落ちていた傘のみ。落下地点ですが……」

呉原は区画の中心に赤いマグネットを置いた。田んぼの一本道の真ん中の、南寄りの地点だ。この近辺は田んぼを表す地図記号ばかりがある。

「三十メートル四方の田んぼの中です。田んぼやあぜ道、一本道にゲソ痕は発見できませんでした。雨で消えた可能性もありますが」

「傘は風に運ばれたのでは?」

奥村が目を光らせて言った。呉原が答える。

「どの地点から飛ばされたのかは判断がつかない。高麗川の土手からなのか、田んぼの一本道なのか」

「傘は開いた状態だったんですか」

奈良の質問に、呉原が現場写真をホワイトボードに貼り付ける。傘はひっくり返り、柄が天を向いている。故障箇所はなかった。

奈良は行方不明の少女の基礎資料を捲った。身長一五五センチ、体重四〇キロ。小柄な成人女性と変わらない。

「少女の体格を考えると、風に逆らえず傘を手放してしまった、ということはなさそうだが」

奈良の意見に、「つまり?」と奥村が結論を急ぐ。

「風以外の原因で、傘を手放した。高麗川に落ちた、あるいは何者かによって強引に身を攫われたとか。指紋はどうです」

奈良は呉原係長を振り返った。

「指紋はこれからです。なにせ捜索範囲が広すぎて、うちの鑑識だけじゃ手に負えない。南の川越署と北の東松山署、本部鑑識にも応援を頼んでいます」

鑑識と言えば、警察犬はどうか。捜査員が答える。

「雨で匂いは流れてます。校門から一歩も動きませんでした」

次は地取り、と呉原が地図を振り返る。地域を決めて行う聞き込み捜査の報告だ。

「とは言ってもこの田んぼの一本道――」

第七小学校から鶴舞ニュータウンまで距離にして約八百五十メートル、その間に民家は二十軒ほどしかない。田んぼの一本道沿いにはたったの二軒で、他はかなり離れている。この界隈の地取りは完了していた。目撃証言はない。

「それじゃ今日は地取りの範囲を広げるか」

奈良は提案した。田んぼの一本道は東西に延びている。南側に広がる田んぼの先は浅羽野地区の住宅街だ。西側は鶴舞ニュータウン、北は高麗川流域。呉原は三人しかいない部下のうち、二人を地取り捜査に割り当てた。浅羽野と鶴舞は住宅密集地で、数千軒はありそうだ。捜査本部が立たなければ、一か月はかかるだろう。

◇  ◇  ◇

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雨に消えた向日葵

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