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ビジネス書を100冊読むより『戦争と平和』を1冊読んだほうがいい #2 だから古典は面白い

ステイホームで盛り上がる読書ブーム。でも、流行りのベストセラーばかり読んでいて身になるのでしょうか? 無類の読書家として知られる経済学者の野口悠紀雄さんが勧めるのは、古典を読むこと。著書『だから古典は面白い』には、トルストイ『戦争と平和』、シェイクスピア『マクベス』といった名著から、仕事や人生を学ぶヒントが詰まっています。本の読み方がガラリと変わること請け合いの本書より、一部をご紹介しましょう。

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「高価な宝石」より価値がある

『戦争と平和』は、1863年から1869年にかけて執筆されたトルストイの代表作です。

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ナポレオンのロシア侵攻によって引き起こされた世界史の大きな流れと、貴族の家庭(ボルコンスキイ家、ロストフ家、ベズーホフ家、クラーギン家)の出来事を2つの軸として、壮大な物語が展開されます。

ロシア革命の100年前、ロシアの貴族社会は確固たる存在であり、この物語に登場するのも、ほとんど貴族です。フランス語を日常的に使用しており、会話にフランス語が交じっています。主人公もロシア人なのに「ピエール」というフランス名。

極めて多数の人物(500人を超えると言われます)が登場するので、一つの独立した世界を形成しています

普段は忘れていても、本を開けば、いつでもこの世界に入り込めます。そして、ナターシャやアンドレイ、ピエールやマリヤがいきいきと動き回っている世界に溶け込むことができます! 何と素晴らしいことでしょう。

私は、いままでは格別意識していなかったのですが、この文章を書くにあたって『戦争と平和』を久しぶりに開き、このような世界を持っていることを本当に幸せだと、しみじみと感じました

私が持っている『戦争と平和』の上下2冊の本は、金持ちの人が持っている高価な宝石や多額の金融資産より、遥かに価値が高いものです。

トルストイが突きつけるもの

トルストイは、ナポレオンという天才が指揮したフランス軍が勝利を得られなかった原因について考察し、戦争の勝敗は指揮官の命令の良し悪しによるのではなく、民族個々人の「意志の総和」によるものだとして、それを受け止められる指揮官の存在が重要だと書いています。

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トルストイが『戦争と平和』で述べている考えによれば、人間社会は、「歴史的必然」にしたがって動くのです。戦場における勝敗の帰趨や国家の命運は、民族の特性によって決まるのであって、特定の個人の「天才的指導力」によって左右されるのではありません。この考えは「歴史主義」と言われます。

ナポレオンは、戦場を詳しく視察し、戦闘が始まると、その時々の情勢に合わせて天才的な指令を発しました。

しかし、すでに述べたように、トルストイによれば、それらの指令は前線の兵士に届くはずもなかったし、実際届きませんでした。

そして、届いたとしても意味がありませんでした。なぜなら、戦闘はナポレオンの指示とは関わりなく進行したからです。そして、戦闘の勝敗は、ナポレオンの指示によってではなく、兵士たちがどのように戦ったかによって決まったのです。

すなわち、歴史は、ナポレオンという固有名詞を持つ人が作ったのではなく、人々の集合体が作り出したのです。

だから、「ボロジノ会戦時にナポレオンが鼻風邪を引いていなかったら、彼の指令はいっそう天才的なものとなり、ロシアは滅びて世界の様相は一変したであろう」という考えは、「事実に相違して、馬鹿げている」とトルストイは言います。

世界的事件の進行は天のあらかじめ定めるところであって、その事件に関わりを持つ人々の総意の一致によるものであり、したがって、この場合の事件の進展に対するナポレオンの影響などは、単に外面的、架空的なものにすぎない」というのです。

そして、クトゥーゾフがモスクワ放棄を命じたのも、モスクワの富裕な人々が財産を捨ててモスクワから立ち退いたのも、モスクワが焼き払われたのも、トルストイによれば歴史の必然です。

さらに、空になったモスクワに吸い込まれたフランス軍が、突如として退却と遁走を始め、「数字的に正確な加速度で同じ分量ずつ溶けていった」のも、歴史的必然です(トルストイは、これらがなぜ必然であったのかを、詳しく説明しています)。

したがって、「自由と必然」という歴史学の最大の難問に対する答えは、つぎのようなことにしかなりえないのです。


もし万人の意思が自由だとするなら、つまり、人は誰でも欲するままに行動できるものとするならば、およそ歴史などというものは、なんらの関連もない偶然の連続にしかすぎない。

もし人々の行動を支配する法則がたとえ一つでもあるとすれば、自由な意思というものはありえない。なぜなら、その時は人々の意思はこの法則に従わなければならないからである。

(『世界文学大系 第39』中村融訳、筑摩書房、1959年、エピローグ第2部、8)

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だから古典は面白い

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