見出し画像

「生きる意味」がわからないときは、早起き・運動・森林浴をしなさい

新宿・歌舞伎町で、24時間年中無休、無料で相談を受け付けている「駆け込み寺」がある。息子の家庭内暴力に困り果てた親、定年を過ぎて囲った愛人からお金をむしりとられた老人、部下からパワハラと訴えられ出社拒否になったサラリーマン……。さまざまな人の悩みに寄り添ってきたのが、駆け込み寺を主宰する玄秀盛さんだ。彼の著書『悩み方、違ってます!』から、心が熱くなる人生のアドバイスを紹介しよう。

*   *   *

悩む前に体を動かせ!

「働け」と言うと、「働いてどうなるんですか?」と聞くヤツが多い。「たかが千円稼いで、それになんの意味があるんですか?」と真顔で聞く。生きることは食べること。食べるには働かなければならない。働くことは生きることであり、生きることとは働くことでもあるのだ。

画像2

労働を通じて、生を実感する。その段階に至るまで一歩ずつ。一歩ずつが無理なら、半歩ずつでも前へ、歩いてみようと言いたい。

「生きる目的」「生きている価値」などと、暗闇に自らのめり込んでいる若者たちのうわ言を聞いていると、心身に目詰まりを起こしているように見える。

〈こいつ、汗かいたことないな〉

汗をかくことは不潔なことではない。精神的にも、必死でがむしゃらで、一心不乱なのは「イタイ」「かっこ悪い」とされる。心も体も閉塞している。妙な熱が中にこもりっぱなしで、発散できず、世の中、心の熱中症になっている人間が多いのではないかと思う。

汗をかくことはいいことだ。体を動かせば、心身のよどみ、老廃物が排出されて、頭もスッキリする。そう、私は信じている。

何もたいそうなアドバイスではない。脳みそを空っぽにするには、体を動かす以外にない。音楽を聞いていても、坐禅を組んでも、なかなか無心にはなれない。ところが、体を動かすと何を考えていたのかも忘れる瞬間に出会う

そのあとで、もういっぺん考える。すると、見えるのである、何かが。

〈こんなことでつまずいてたんやなあ〉

そう自然と気付くのだ。

心と体のバランスを取るには、まず自分の体の声に耳を傾けてみよう。

自然と戯れるのに遠出の必要はない。身近に自然を感じたかったら、日の出と同時に近所の公園に行ってみたらいい。森林浴は朝一番に限る。早朝の公園には人は少ない。静かな時間を堪能できる。何も富士山の樹海に行かなくても、都会のど真ん中にも自然はあるのだ。

朝起きること。朝日を浴びること。緑を感じること

マラソンランナーみたいに走らずとも、散歩でいい。体の生理を目覚めさせることで、何かが吹っ切れる。今までと違う視線、視界で自分の「今」を見直せる。見方が変わると、自分だけでなく、人のこと、会社のこと、家族のこと、社会のことも違って見えてくるかもしれない。

生きながら生まれ変わる方法

人間生きていれば、失望も絶望もする。そこで人生を投げ出してしまう人と踏みとどまれる人、その違いはどこにあるのだろうか。

画像1

死を選ぶ人、選ばなかった人。その違いは紙一重である。

大事な人がいるから最後の一線を超えなかった人もいれば、大事な人のためにという理由で身を投げる人もいる。準備万端、何度も死の淵まで行って思いとどまった人がいる一方で、明日、朝イチで受け取れるようワイシャツをクリーニングに出したあとに命を断ってしまう人もいる。

どちら側の人間になるか、本人にも、他人にもわからない。

あえて、生と死の境目を探すとすれば声をあげられたか、どうかである。会話があるうちはまだいい。無口になったら危険だ。話せ、話せ、話せ。たとえ、生への意欲が一になっても、そのたった一の生に執着しろと言いたい。

人間はいったんマイナスの思考回路にはまると、なかなかそこから抜け出せない。抜け出すには、先の女性にも助言した通り、まずはモノの見方を変える、視点を変えることだ。そのためには、環境を変えることが有効だ。

「ちょっと田舎帰って、お母さん見ておいで。お父さんと話しておいで」

そう提案することがよくある。きれいごとと言われるかもしれない。しかし、どれだけ親子間が断絶していても、不義理をしていても、人の原点は父親であり、母親であり、そして故郷である。

「あんたの命が今ここにあるんは、両親の愛に育まれてきたからやで。命があったら、なんでも再生できる。それでいき」

自分の命の出発点から見えてくるものもある。

死んで生まれ変わることはできない。しかし、生きながら生まれ変わることはできるのだ、何度でも。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!