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胸にこびりついた屈辱感…容疑者は村人全員? 最凶・最悪のどんでん返しミステリ #5 ワルツを踊ろう

金も仕事も家も失った元エリート・溝端了衛は20年ぶりに故郷に帰る。だがそこは、携帯の電波は圏外、住民はクセモノぞろいの限界集落。地域にとけ込むため了衛は手を尽くすが、村八分にされ、さらには愛犬が不審死する事態に……。

ベストセラー『さよならドビュッシー』シリーズなどで知られる中山七里さん。そんな中山さんの「著者史上最狂ミステリ」として名高いのが、『ワルツを踊ろう』です。驚愕のどんでん返しが待っている、本作の冒頭をご紹介します。

*  *  *

目を逸らせないでいると、多々良はそれを横目で見ながら唇の端を上げた。
 
「物騒なモン、持ってるって顔してるな」

「いや、その」
 
いきなり多々良は銃口をこちらに向けた。
 
「うわ」
 
突然のことに了衛は後ずさる。
 
「ふん。そんなにびびるなよ。手入れの最中に装弾するはずねえじゃねえか」
 
多々良は銃口を外してまた防錆剤の塗布に余念がない。
 
「これでも猟友会だからな。ちゃんと許可は取ってる」
 
「許可って……依田村周辺で熊でも出るんですか」
 
「何だ。お前、中坊までここに居たのに知らねえのか。この辺りはイノシシやらサルやらが作物荒らしに山から下りてくるんだ。言ってみりゃあ害獣だ。役場のお墨付きがあるから天下御免で銃が撃てる」
 
「イノシシは分かりますよ。でもサルって撃ち殺してもいいんですか」
 
「まあ、サルの死骸を役場に持って行っても、誉めちゃくれねえだろうな」
 
多々良はへらへらと笑う。
 
「地区にとって害獣かそうでないかは役場が決めることじゃねえ。住んでいる俺たちが決めるんだ。だからサルだろうがシカだろうが撃つ。サルの死骸なんざ川にでも流しゃあ、二日もあれば魚が始末してくれる」
 
つまりは無届の狩猟という訳か。
 
「しかしよ、害獣だから撃つってのは、まあ言い訳だよな。ハンターは撃ちたいから撃つんだ。それ以外の目的は大義名分みたいなもんだ」
 
「大義名分?」
 
「戦争と一緒だ。大義名分で正当化してるが、結局人間は人殺しがしたいのよ。要は理由が欲しいだけだ」
 
それは真理なのかも知れない。しかし、多々良の口から出ると、まやかしにしか聞こえなかった。
 
「で、回覧板って何の知らせだよ」
 
「依田の役場でやってる定期健診の件で、参加するかどうか……」
 
「けっ、俺はそんな検査必要ねえよ。そういうのは地区長や雀野の爺いたちがするもんだ」
 
「けど」
 
「大体、俺が健康不安に見えるか。ん?」
 
多々良は銃を片手に立ち上がった。
 
多々良は今年で六十歳になるはずだが、立ち姿からは年齢など微塵も感じさせない。首から胸、そして腰に至るまで服の上からでも筋肉質であるのが分かる。シャツの袖から覗く二の腕は、了衛の倍ほども太かった。
 
「確かに、健康そうですね」
 
「毎日獲物を追って山野を駆け巡ってみろ。自然とこういう身体になってくるんだからよ」
 
そう言って、今度は山の方に銃口を向けて構えてみせる。堂に入ったもので、銃を構えると上半身も下半身も微動だにしない。
 
「動物と同じ気持ちになって草叢に潜む。獲物を見つけたら神経を集中させて、呼吸も浅くする。一瞬たりとも獲物から目を離さない。どんな動物にも静止する一瞬がある。絶対にそれを見逃さない。急所も外さない。それから息を止めて、静かに引き金を引く……バン! 俺の殺気が獲物を射貫く。そういうことを毎日繰り返してみろ。無駄な肉はつかんし、神経も研ぎ澄まされる。齢なんか取るものか」
 
構えを外し、また縁側に腰を据える。
 
「しかし、お前の父ちゃんも小心者だったが、お前も相当だな。こういうのには全然興味ねえのか」
 
「あまり、ありません」
 
了衛は正直に告げる。会社員時代の同僚でサバイバルゲームに没頭している者がいて、何度も誘われたが固辞していた。たとえ本物の痛みや流血がなくとも、刃物を振り翳したり銃口を他人に向けたりすることには抵抗感があったからだ。
 
「何でも街じゃゼニ勘定ばっかりしとったそうだな。まあ、そんなヤツにはウサギも撃てんのだろうが」
 
「多々良さんは猟で生活しているんですか」
 
「ふん」
 
多々良は鼻で笑った。
 
「昔はそういうヤツも多かったが、今は少なくなった。俺のは完全に趣味だな。だが狩りを商売にするつもりなんざ、最初っからねえ。狩りってのは男のロマンだからな。まあ、揃いも揃って軟弱なお前ら父子には死んでも分かるまいよ」
 
「ちょっと待ってください」
 
さすがに言葉が引っ掛かった。
 
自分に対してだけならともかく、父親まで悪し様に言われるのは聞き捨てならない。確かに享保は覇気に欠けるところがあり、子供心に物足りなさを感じたこともあるが、それを他人からとやかく言われる筋合いはない。
 
「どうしてわたしの父親が軟弱なんですか」
 
「俺が折角猟友会に誘ってやっても断りやがった。趣味じゃないとか言い続けたが、ありゃあ単純に意気地がないだけだ。きっと銃に触っただけで小便洩らすんじゃないのか」
 
「その言い方はあんまりです」
 
「死んだ人間の悪口は許さねえってか? けっ、死んだからって偉くなる訳じゃねえ。それなら俺が撃ち殺したキツネやタヌキは今頃神様になってらあ」
 
多々良は片手をひらひらと振ってみせる。
 
「葬式じゃみんな大っぴらには言わんかったけどな。お前の父ちゃんはそりゃあ役立たずな男でよ、はっきり言って足手纏いだったな」
 
「あ、足手纏いって」
 
「ここはたったの七軒しか家がないからよ、雨漏りの修繕やら大雪の時の雪下ろしとかは、地区全体で協力してやるんだ。役場に頼んでも埒が明かないし、業者に依頼するカネもないしな。ところが、お前の父ちゃんときたら屋根には上れないわ、雪かきはできないわ、ただそこに突っ立っているだけでよ。邪魔以外の何物でもないのな。こんな田舎じゃ多少読み書きできるくらいじゃクソの蓋にもなりゃしねえ」

言われてみれば、確かに父親は体力が自慢の男ではなかった。依田の人間には珍しく、身体を動かすことよりも頭を動かすことを好んだ。畑を耕すことよりは本を読むことを好んだ。だからこそ依田村では生き辛そうにしていた。
 
今更ながらに思い出す。了衛が中学を卒業してすぐに依田村を離れたのは、やはり父親と同様にここに住むことに苦痛を感じていたからだった。田舎者は余計な知識などつけず、ただ毎日働いていればいい――村に蔓延る戒律が嫌で嫌でしようがなかったのだ。
 
だが、それは選択の問題であり、良し悪しの問題ではない。体力がないことをまるで罪悪のように指弾するのは、それこそ狭隘というものだ。
 
「そう言やあ坊主。お前も父ちゃんに似て本を読むのが好きだったよな。それで目一杯賢くなって、大学出て、いい会社に入って、さあ、今はどうだ?」
 
「何が」
 
「役場の誰それが教えてくれたが、お前、ここに転入届出したんだってな。戻って来ると言やあ聞こえはいいが、要するに負けて逃げて来たんだろ」
 
どうして実家に舞い戻っただけで、こんな悪口雑言を浴びせられなければならないのか――多々良の物言いが、性格の悪さからくるものと知っていても腹に据えかねた。
 
「結局、お前も父ちゃんも揃ってろくでなしだってことさ。いくら竜川が田舎でもな、そんな役立たずなヤツは要らん。おっても邪魔になるだけだ」
 
「体力さえあればいいってもんじゃないでしょう」
 
売り言葉に買い言葉。つい口をついて出てしまった。
 
多々良はそのひと言を決して聞き逃さなかった。片方の眉だけを上げ、肩を揺すりながら了衛に近づいた。
 
「いいや、ここでは体力さえあればいい。本を読むような趣味なんか必要ない」
 
違う。
 
本を読むのは趣味ではなく、教養だ。
 
少なくとも了衛はそう父親から教えられてきた。
 
「口で言っても分からんようだから身体で証明してやろうか」
 
言うが早いか、多々良はいきなり了衛の背後に回り込み、両腕で羽交い絞めにした。
 
「た、多々良さん。いきなり何を」
 
抗議の声にも耳を貸さず、今度は了衛の膝を折ると、そのまま地べたに自分の身体ごと倒す。
 
地面に激突し、胸が瞬時に圧迫される。肺の中の空気が一気に排出され、了衛は息もできなかった。
 
その隙に両腕を後ろに取られ、馬乗りされた。
 
「どうだ。本を読んだ頭でこの体勢を崩せるか」
 
両手を封じられ、腰は多々良の体重で押さえられている。了衛は身を捩ることさえできない。
 
「う、動けませんよ。こんな風じゃ」
 
しばらくその体勢を楽しんだ後、多々良はようやく了衛を解放した。
 
「ひ、ひどいじゃないですか。突然襲いかかるなんて」
 
「身のこなしがよければ充分に避けられた。もうちょい体力があれば背筋と腹筋で撥ね除けられた。もしも俺が人殺しだったら、お前は三秒で死んでいる」
 
「そんな馬鹿な話」
 
「そんな馬鹿な話は有り得ないって? そりゃあどうかな。今日びは有り得ないことが有り得るのが普通じゃないか。いつ、どこで、どんな風に暮らしてたって災いは突然やってくる。街も田舎も関係ない。その時頼りになるのは体力しかねえだろ」
 
了衛はのろのろと立ち上がる。身体の節々にはまだ痛みが残り、ポロシャツと綿パンには庭の泥がこびりついていた。
 
ついでに屈辱感もこびりついていた。自分と齢が二十以上も離れている人間に、苦もなくねじ伏せられたのだ。
 
不意に子供の頃を思い出した。同い年の中でも了衛はひ弱な方で、よく村のガキ大将たちから苛められていた。信じられないことに、体力が劣っているというだけの理由で、小突かれ、蹴られ、馬鹿にされていたのだ。子供の理屈は単純で理不尽だ。要は体力以外に自慢できるものがなかったから、自分たちより成績のいい了衛を体力で見返そうとしただけだった。
 
そうだ。あの出来事が村から出るきっかけの一つだった。
 
「お前もここに戻って来たんなら、精々身体を鍛えておくこった。護ってくれる者はいないからな、自分の身くらい自分で護るようにしないとな」
 
「竜川という場所はそんなに物騒なんですか」
 
「ここに限らず、世間なんてどこだって物騒だろうよ」
 
そう嘯いてから、多々良は回覧板を手に取り、氏名欄に名前を書き込むとそのまま了衛に放って寄越した。
 
「あ、あの告知文は」
 
「説明しただろ。俺にそんなもん必要ねえよ。何ならお前が捨ててくれて構わねえぞ」
 
多々良はまた縁側に座り、今度は円形金網を取り出した。どうやら銃身内部の汚れを取り除くつもりらしい。
 
「用が済んだらとっとと帰れ。目障りでしようがねえ」
 
その声に追われるように了衛は庭から出た。まるで逃げ帰るような体裁に情けなくなったが、今はただ一刻も早く多々良の視界の外に出たかった。
 
また一つ思い出した。了衛が生まれ故郷を嫌った理由の一つがこれだった。依田村では理屈が通用しない。当たり前の人間が当たり前だと思っていることが通用しない。ここに厳然と居座っているのは力の論理と、無教養が生み出す粗暴さだ。
 
敷地から抜け出すと、ほっとした。改めて服についた泥をはたき落す。それだけで泥はずいぶん落ちた。
 
だが屈辱感は胸にこびりついたままだった。

◇  ◇  ◇

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