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新しい学校、年上の友だち、はじめての恋…ささやかだけど眩い青春の日々 #1 うさぎパン

高校生になって、同級生の富田君と大好きなパン屋めぐりを始めた優子。継母と暮らす優子と、両親が離婚した富田君。二人はお互いへの淡い思い、家族への気持ちを深めていく。そんなある日、優子の前に思いがけない女性が現れて……。ささやかだけど眩い青春の日々を描いた、瀧羽麻子さんの『うさぎパン』。「ダ・ヴィンチ文学賞」大賞にも輝いた本作の、ためし読みをご覧ください。

*  *  *

一学期最後の日、大変なことが起こった。

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大変なこと、というのはちょっとおおげさな言いかたかもしれない。実際には、成績が少し悪かっただけのことなのだから。

問題は、そのことについて、わたしとミドリさんの受けた印象がまったく違ったというところにある。ありがちな見解の相違。ジェネレーションギャップ? そう考えると、むしろわたしというよりもミドリさんにとって大変なことが起きた、とも言える。

ミドリさんというのは、わたしの義理の母親だ。

いわゆる教育ママというわけではないけれど、極度に心配性で過保護な、かわいそうなミドリさん。「ままはは」という響きがまったく似合わない、おだやかで優しいひとだ。今年、確か三十八になる。ぱっと目立つタイプの美人ではないけれど、品のいい顔立ちと、つややかな黒い髪の持ち主だ。

わたしたちはとても仲がいい。血がつながっていないから、というだけの理由でミドリさんとわたしの仲を疑るひと(たとえば父方の祖母)を、わたしは心の底から軽蔑している。

今、ミドリさんは深刻そうな表情でわたしの持ち帰った成績表をながめている。いくらじっくり見ていても、そこに並んでいる数字は変わらないのに。

「そんなに気にしなくていいと思うよ?」

場を和ませるために明るく言ってみたけれど、ミドリさんは重々しく首をふる。

「優子ちゃん、そこに座ってちょうだい」

わたしはあきらめて、おとなしくミドリさんの向かいの席に腰かけた。外はこれでもかというくらい晴れていて、部屋の中は明るい。みんみんみんみん、と能天気なセミの声が窓の外から聞こえる。

「これじゃわたし、聡子さんに申し訳がたたないわ」

そうくると思っていたので全然驚かなかったけれど、ミドリさんの沈痛な表情はいつもわたしの気持ちを暗くさせる。

小さい頃からそうだった。わたしが何か困ったことをしでかすと、ミドリさんはわたしの死んだ母親の名前を持ち出した。

正直に言ってしまうと、聡子という固有名詞そのものは、ちっともわたしの心を動かさない。

生物学上の母親であり、わたしが三歳のときに病死してしまったそのひとのことを、わたしは何ひとつ覚えていないのだ。お母さんと呼ぶより聡子というほうがわたしにはしっくりくるくらいで、そう正直に言うと驚かれたり、けげんな顔をされたりする。大人はどうも感傷的になりやすい。

それよりも幼いわたしを悲しくさせたのは、聡子さん、と口にするときのミドリさんがあまりにもさびしそうな顔をすることだった。聡子はもういないのに、ミドリさんだけがいつまでもその影に縛られている、それは子供心にも不当なことに思えた。

ミドリさんにそんな苦労をかける原因となったわたしの父親は、大手の商社に勤めるサラリーマンだ。今年の春から、ロンドンに単身赴任している。わたしの高校合格が決まった直後に転勤の話が出たので、わたしは断固としてついていくのに反対した。ミドリさんがついていくなら、ひとり暮らしなり苦手な祖母の家に住むなりしてでも、絶対に日本に残る、と言い張った。

せっかく希望の高校に入れたのにもったいないという気持ちもあったし、大好きなこの街を離れたくないというこだわりもあったが、そこまで強硬な態度をとった一番の理由は、父に振り回されたくなかったからだ。わたしは父親のことがあまり好きではない。というか、全然好きではない。わたしが血のつながりにたいした思い入れを持てないのは、こんなところにも原因があるのかもしれない。

「聡子さんが死んでから、あの子はすっかり変わっちゃってね」

祖母が言ったことがある。

「でも、男手ひとつであんたを育てるわけにはいかないでしょう?」

だからこのひと(祖母はミドリさんのことを名前で呼ばない。その場にいるときには「このひと」、いないときには「あのひと」と言う)と再婚したんだよ。わたしもできるだけ手伝うとは言ったんだけどねえ。

わたしはすっかり憤慨した。そんなことをためらいもなく口にする祖母に対して。そしてもちろん、父に対して。ミドリさんもわたしも馬鹿にされていると思った。当のミドリさんはというと、嫌な顔をするでもなくぼんやりと微笑んでいて、それにも腹が立った。

「おばあちゃんってさ、なんであんなに無神経なんだろうね?」

祖母の家からの帰り道、ミドリさんにそう言った。

「そんなこと言っちゃいけません」

珍しく強い調子でしかられて、なんだか納得いかなかった。

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ミドリさんの心労をとりのぞくべく美和ちゃんが我が家に呼ばれたのは、その一週間後だった。ミドリさんは意外と行動が早い。

もちろんわたしは、家庭教師をつけるなんて面倒で気が進まなかった。でも、長い夏休みの間中、ミドリさんに聡子攻撃をかけられ続けるのも嫌だった。それに、高校に入って早々にこの成績では、やはり少しまずいかもしれないとも思った。ミドリさんに影響されたわけではないけれど。

「先生がいらっしゃるから」

その日、ミドリさんはお菓子を買いに行き、新しいスリッパをおろし、玄関に花まで飾った。リビングでテレビを見ていると、ほら優子ちゃんも自分の部屋をかたづけて、と追い払われた。はりきっているときのミドリさんに水をさすのは、あまりかしこいことではない。

わたしはおとなしく部屋に避難し、ベッドに寝転んで漫画を読んだ。階下から、ごおんごおんと掃除機の音が聞こえてくる。

そういえば、この家に人が訪ねてくるなんて何年ぶりだろう。

父もミドリさんも家に人を招かないし、わたしの友達が遊びに来ることもめったになかった。友達がいないわけではないけれど、小学校も中学も私立の女子校だったので、近所に住んでいる子がいないのだ。

クラスメイトの中でもわたしの家は特に学校から遠く、電車とバスを乗りついで二時間もかかる。その距離が、高校まで一貫教育のその学校を出て高校受験することに決めた大きな理由だった。ふんわりとのどかなお嬢さん学校らしい空気を、わたしは決して嫌いではなかったのだけれど。

九年間一緒に過ごしてきた級友たちとの別れはつらかった。中学の卒業式では、クラス中の子と一緒に記念写真を撮りまくった。わたし以外のみんなは、また四月から同じ場所で同じ友達との学校生活が始まるのだから、卒業といってものんびりしたものだ。泣いていたのは、わたしと、わたしと特に親しかった何人かの女の子たちだけだった。それから、もらい泣きして涙ぐんでいるミドリさんも。

「学校が違っても一緒に遊ぼうね」

わたしたちは約束しあい、事実、何度か誘いあわせて遊びに行った。でもなんとなくお互いに居心地が悪く、そのうちメールのやりとりも疎遠になった。

小学校受験は、祖母の意向だった。さすがにそのときには祖母や父に対して反抗心などなかった幼稚園児のわたしは、言われるままにテストを受けて無事に合格し、みんなにほめられて得意でさえあった。

「聡子さんが喜ぶだろうねえ」

祖母は涙までうかべていた。聡子もその学校の出身なのだとわたしはそのとき初めて知った。

それにしても、実の娘でもないというのに、なぜ祖母はあんなに聡子の肩を持つのだろう。わたしにはよくわからない。普通、嫁と姑というのはいがみあうものじゃないだろうか? よくドラマでもやっている。

何気なくそう考えて、

「あぶないあぶない」

つい、声が出た。ドラマでは、義理の母娘だってよくいがみあっている。

先入観はものごとをややこしくする。わたしは、そういう大人にだけはなりたくない。

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