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山村美紗の「夫婦関係」こそ最大のミステリー #5 京都に女王と呼ばれた作家がいた

「ミステリの女王」として君臨したベストセラー作家、山村美紗。しかしその華やかさの陰には、「文学賞を獲りたい」という強烈な劣等感を抱いていたこと、公然の秘密と噂された作家・西村京太郎との関係、隠された夫の存在など、秘められた謎は多い……。

そんな文壇のタブーに挑んだ、花房観音さんのノンフィクション『京都に女王と呼ばれた作家がいた』。気になる中身を一部、ご紹介します。

*  *  *

暴漢に頭を殴られて……


一九八五年(昭和六〇)七月二十五日、多忙の中、美紗は災難に遭遇する。

木屋町二条のホテルフジタのプールで泳ぎ、家族で食事をしたあと、宇治のマンションに帰った。美紗は家族が住む一階の自宅に立ち寄ったあと、六階の仕事場で暴漢に遭遇し、頭を殴られた
 
外出する際にロックしておいたはずのドアが少し開いていたため、不審に思いながら応接間に入ったところ、人影を見た。その瞬間、後ろから鈍器のような物で後頭部を殴られ意識を失う。
 
しばらくして、意識朦朧の状態で自宅にたどりついたあと、再び気を失った。家族たちが伏見区の病院に運び込み、六時間後に意識が戻る。
 
何者かが合い鍵を使い強盗に入り、美紗が影を見た方向と逆のほうから殴られているため、犯人はふたり組とされている。この事件は、結局未解決で犯人は捕まっていない。
 
美紗は毎日新聞の取材に、「犯人を完全犯罪で殺したいくらい」とコメントしている。
 
しかし、この事件が新聞や雑誌の記事になることにより、思わぬ出来事もあった。
 
美紗の代わりにマスコミに対応した紅葉は、「本人は、年齢は書かれたら困ると言っています。ほんのちょっとしたことですけど、女はいくつになっても気になるものです。もしお書きになるなら正確に書いてください。昭和九年八月二十五日生まれです」と頼んだが、実は昭和六年生まれであることを『サンデー毎日』が報道している

みずからの存在を消した夫


美紗が売れっ子になるにつれ、「夫」の存在が消されていった。

エッセイに、娘のことは書いても、夫である巍は登場しない。
 
美紗は「山村美紗」を売り出すために、書いているものだけではなく、自らもミステリーな存在になろうとした
 
外国の女流作家は、本に年齢など書かない。ましてや女流推理作家は、年齢とか結婚しているとか、身辺のことは謎に包んでいる人が多いのに、なぜ日本では、年齢や身辺のことを詳しく書くのだろうかと、反発心があった。
 
男性との付き合いは多いし、噂も立てられるが、それを「自分には夫がいるから」と否定するのも野暮な話だ。それ以上に、生活感や夫の存在が、「ファン」の好意を邪魔するのが嫌だった。
 
それに世間の目は、まだまだうるさい。夫の存在を表に出すことで、自分が自由に生きることを非難する人たちはいるだろう。夫より妻が稼ぐことすら、許さない人たちもいるぐらいだ。
 
たとえ自分の夫が許しても、世間の目は目立つ女に厳しい
 
特に京都という街は閉鎖的で、デビューする前には、子どもを置いて推理作家の集まりに出かけることですら、近所の人の目につかぬように必死だった。
 
夫は自分を助けて、自由にさせてくれ、また尊敬してくれている。他の男なら、最初は口で応援しているようなことを言っても、いざ妻や恋人となれば、束縛し、自由を奪い、思い通りにさせようとする。有名になり自分より稼ぐ妻に嫉妬する夫だっているし、それは当然のことかもしれない。女が稼ぐと、仕事を辞めてヒモになる夫の話もよく聞く。
 
巍には、そのようなところは無かった。美紗がどれだけ稼いで有名になろうとも、高校教師の職を続けて、頼ろうともしない
 
また、数学教師である巍は、美紗が考え付いたトリックの話を聞いて、一緒に実験し、アドバイスをくれることもある。そんな話ができる人が身近にいるのは、ありがたかった。
 

巍によると、自分が表に出ることにより、「山村美紗」の作品が夫の代作ではないかという疑惑が生まれるのを避けるためでもあったという。現代の小説家である私からしたら理解できない感覚だが、昔の文芸記者によると、実際にそういった事例はあったらしい。

私自身も、美紗より少し下の世代の女性作家の作品について、ほとんど夫が書いているのだという噂を耳にしたこともある。美紗の場合、推理小説、しかも理系の傾向が強いという、当時は本当に女性が少なかったジャンルならではこそ、気にもしていたのだろう。
 
そして巍自身も、わかっていた。
 
「この世界、宣伝よ」と、言って売れようとする美紗のことが。
 
結婚している生活感を出すと、美紗に興味を抱く男性たちの気持ちが冷めることもあるのを、知っていた。ファンの中には、疑似恋愛的な感情を抱いている人間もいる。女優やアイドルが結婚することにより、ファンが離れていくのと同じだ。
 
そうして、巍は、自らの存在を消して、美紗の陰になり手助けすることに徹し、一切表に出なかった。
 
「夫」の姿が消えると、周りも敢えてそれにふれようとはせず、美紗の夫婦関係は「ミステリー」となった。

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京都に女王と呼ばれた作家がいた


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