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息子を助けてください…現役外科医が描く、感動の医療ドラマ! #5 泣くな研修医

大学を卒業したばかりの研修医、雨野隆治。新人医師の毎日は、何もできず何もわからず、上司や先輩に怒られてばかり。初めての救急当直、初めての手術、初めてのお看取り。自分の無力さに打ちのめされながら、隆治はガムシャラに命と向き合い成長していく……。

白濱亜嵐さん主演でドラマ化もされた、中山祐次郎さんの『泣くな研修医』。現役外科医ゆえの圧倒的リアリティが評判を呼び、すでにシリーズ4作品が出版されています。ハマったら一気読み間違いなしの本作、その物語の幕開けをお楽しみください。

*  *  *

父親を小部屋に入れ、看護師と隆治が座ると部屋の中は四人になった。狭い割に中央のテーブルが大きく、その上には電子カルテとモニターが置いてあった。

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佐藤が話し始めた。

「担当医の佐藤です。こちらは雨野です。よろしくお願いします」

「……」

父親は無言で頭を下げた。

「昨日簡単にお話ししましたが、今日もお話ししますね」

昨日もう説明をしていたのか。自分がぶっ倒れている間に、父親には話をしたのだろう。

父親は伏し目がちに黙っている。よく見るとまだ若く、二〇代のようだった。白いポロシャツの襟がよれて曲がっていた。

「拓磨くんは、昨日救急車で当院に来られ、緊急手術をしました。その理由は、シートベルトでお腹の壁が壊されてしまい、お腹の中身が飛び出してしまっていたからです」

佐藤は続けた。

「手術ではダメになっていた腸を切り取り、繋ぎ直しました。そして膵臓がダメージを負っていそうだったため、チューブをお腹の中に入れました。お腹の壁の筋肉がちぎれてしまっていたので、ちょっと無理にお腹の壁を縫い合わせて手術は終わっています。ここまでは昨日お話しした通りです」

父は小さくうなずいた。

「手術が終わってから、集中治療室に入りました。口からチューブが入ったままで、今は薬で眠らせて人工呼吸器に乗っています」

人工呼吸器に乗っている、と言うんだ。初めて聞いた表現だった。

父親は動かない。

「正直なところ」

佐藤はそれだけ言うと、間をあけた。部屋は静かで、遠くで何かのモニターのアラーム音が聞こえるだけだった。看護師は黙っていた。隆治はつばも飲み込めなかった。

「あまりよくありません」

そう言った瞬間、父親はピクッと動いた。

「お腹がパンパンに張っているせいで胸を圧迫しています。そのせいで呼吸があまりうまくできていないのです。さらには」

佐藤は止めずに続けた。

「事故であちこちの筋肉が傷んだようで、傷んだ筋肉から流れ出した物質が腎臓を悪くしています。このままいくと、腎不全に陥ってしまうかもしれません」

そう言うと、佐藤は一呼吸おいて言った。

「ここ数日がヤマでしょう」

――そうだったのか……。

研修医の隆治には、一つ一つのデータの異常はわかるが、それらを統合して考える力はまだなかった。拓磨のお腹の張っている状態と呼吸は結びつかなかったし、筋肉のダメージと腎臓は繋がらなかった。

しかし人間の体は全てが繋がっている。心臓と肺は連係して体じゅうに酸素を運んでいるし、肝臓が体内に取り込まれた毒を解毒すると、腎臓はそれを捨てている。そして心臓・肺と肝臓・腎臓もいろいろなホルモンでお互いに影響しあっている。人間を一つの系として見る能力は、医学部の試験勉強だけでは身につかない。これを学ぶための研修医生活でもあった。

父親は小さな声で、

「そうですか」

とだけ言った。現実を受け止めるだけで精一杯のようだ。無理もない。息子と妻が手術を受け、息子の方は命の危険がある状況なのだ。しかも自分が運転していた車が事故に遭って。

佐藤が「何かご質問はありますか?」と尋ねた。隆治にとってはかつてなく優しい佐藤の声だった。

「いえ……とにかく……」

父親はそう言うといきなり椅子から立ち上がり、

「息子を助けてください! よろしくお願いします!」

と直角に腰を折って頭を下げた。思わず佐藤と隆治も立ち上がり、頭を下げた。

看護師が促し父親が退室した。佐藤はいつもの調子に戻り、

「説明した内容、カルテに書いておいて」

と言った。

そして部屋を出る時、佐藤は立ち止まった。

「絶対なんとかするぞ」

「はい!」

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「おはようー、また寝てんのリュウちゃん」

そう言いながら同じ一年目の研修医である川村蒼が医局に入ってきた。川村はいつも朝が早い。このソファで川村の声を聞くのは何度目だろう。どうやら昨夜遅くまで仕事をして医局のソファで横になり、いつの間にか白衣のまま眠ってしまっていたらしかった。どう体を起こそうにも、あちこちの関節が錆び付いたようにぎしぎしと動きづらく、力が入らない。仕方なく横になったままで、

「うん、おはよう」

とだけ言った。

「あれ、なんか今日は顔パンパンじゃん」

川村が隆治に顔を近づけた。レモンのようないい匂いが隆治の鼻孔をくすぐった。

――東京の奴は香水も使うのか。

驚きながらも、驚いたことに気づかれるのが嫌で香りについて聞くのは我慢した。川村は東京都内の私立大学医学部の出身だった。見るからに苦労をしていなそうなサラサラとした髪で、笑顔になると八重歯が見えた。その笑顔は、初めて会った時から隆治の警戒を簡単に解いた。と同時に隆治は川村と顔を合わせるたびに、田舎出身の自分の野暮ったさを思い知らされた。

「うん、こないだ救急が来てさ、いま集中治療室に患者がいるんだ」

「あ、その人知ってるよ俺。若い人だろ?」

川村は白衣に着替えながらあんまり興味がなさそうに言った。

「いや、若いっていうか小児」

「え、そうなの? あれ? 来てすぐ死んじゃった人?」

「違うよ、今抜管に向けて頑張ってるとこ」

「あれ? あ、死んじゃった人は別の人か、なんかジューダイの人が」

「それは多分違う人だよ。俺の人は交通外傷だから」

「あ、なるほどねー」

川村は鼻歌を歌いながら着替えている。

――なんてことを言うんだ。死んだ人と一緒にするなんて。

隆治はそう考えながらも、いやしかしその人だって死にたくて死んだんじゃないし、失礼なのは自分の方かもしれない、とも思った。そもそも、若い人が救急外来に来て亡くなったという「研修医的大事件」を知らなかった時点で、反省した。拓磨にかかりきりになっていたからだろうか。

なんとなく、隆治は川村に拓磨のことを詳しく話した。

「高速の正面衝突でさ。腹壁がちぎれてて、来た時には腸が見えてた」

「え、マジで。それヤバくない? 手術すんの? そういう時」

「うん、緊急手術。急ぎで手術室行って、小腸を一カ所切ったんだけどあとは大丈夫そうで。膵臓がちょっと挫滅してたけど、膵管は大丈夫そうだったからドレーン入れてきた」

「『入れてきた』って、リュウちゃん見てただけでしょ」川村が笑った。

「それ、誰と?」

「外科の岩井先生と佐藤先生」

「あ、佐藤先生って知ってる! 美人だよね、でも気が強そう」

「うん、結構怖いよ。カレーもすごい辛いの食べるし」

「ふーん。で、その子どうなったの?」

隆治は精一杯冗談を言ったつもりだったが、川村はそれには反応しなかった。

「今は集中治療室にいる。お腹が張っちゃって抜管できなそうでさ」

「そっか。だからリュウちゃん毎日泊まってんだ。偉いなあ」

「いや別に偉くないんだけど、帰るのが面倒で」

ふーん、と言いながら川村は、

「でもそれって疲れない? 疲れて仕事の効率悪くなったら元も子もないじゃん」

「うーん。確かに」

――そんなこと言ったって、拓磨くんが重症なんだからいるしかないじゃないか。

隆治がムッとしたのに川村はすぐ気づいたようだ。

「ごめんごめん。毎日泊まっててすげえと思っただけだよ。ほら俺、そういうのダメだからさ」

「あ、ごめん、そういうつもりじゃないんだけど」

今度は隆治が川村を謝らせたことに慌てて言った。

「でもさあ、給料三〇万ももらってねえのにな、俺たち」

「うん」

「時給に換算したらリュウちゃんとか六〇〇円くらいでしょ」

「そうか、そんなもんかも」

「いちおう六年も学生やって、その上国家試験まで受かってるのにな」

「うーん」

川村は白衣に着替え終わった。

「こないだもあったじゃん、研修医が過労死したってニュース」

「ああ、もう驚かないねえ」

「リュウちゃんは気をつけてよ、マジで」

そう言うと川村は電子カルテのキーボードをパタパタと打ち出した。

――過労死……俺が? まさか、ね。

まだ六時をちょっと回ったころだろうか。窓から陽が射し込んだ。力強い、重たい光が室内のほこりを透過し、医局の古いソファを照らしていた。この部屋は研修医専用の部屋なので二〇人分のデスクしかなく、それほど広くはなかった。隆治はこの時間の医局が好きだった。

仕事の準備ができたらしい川村が、部屋を出る時に言った。

「まあそんなに頑張りすぎるなよ、仕事なんだからさ。今度リュウちゃん飲み会に連れて行くからよろしくね。合コン行こうよ合コン」

「うん……」

合コンと言われても、ほとんど行ったことがない隆治は返事に困った。医者になって初めて上京し、ほぼ毎日病院に寝泊まりする隆治にとって、川村の話はいつも遠い外国のことのように思えた。東京と鹿児島、生まれ育ちでこれほど違うものなのだろうか。

――あ、そろそろ採血に行かないと……。

隆治はヨレヨレの白衣を着ると、勢いよく医局のドアを開けた。

◇  ◇  ◇

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