見出し画像

恐ろしく下がった性のハードル、一向に上がらない性のクオリティ…上野千鶴子×鈴木涼美 #4 限界から始まる

女性学の第一人者で、東京大学名誉教授の上野千鶴子さん。東京大学大学院修了、AV女優、新聞記者を経験した異色の作家、鈴木涼美さん。『限界から始まる』は、この二人の一年間にわたる往復書簡をまとめた一冊です。「なぜ男に絶望せずにいられるのですか?」と切り込む鈴木さん。「恋愛は自我の争闘」であると語る上野さん。手加減なしの言葉の応酬に知的興奮が止まらない本書から、第三信「恋愛とセックス」の一部を抜粋します。

*  *  *

性と愛は「別のもの」

性の二重基準のもとでは、男が性革命を実践するより、女が性革命を実践するほうが対価は高くつきます。バリケードの向こう側で、性的に活発だった女子学生を、さんざん利用しながら陰で「公衆便所」と蔑称していた男たちがいました。

画像2

そして90年代になってから、その「公衆便所」という呼び名が、皇軍兵士が「慰安婦」を呼ぶ隠語であることを知ったときの衝撃は忘れられません。同志だと思った男たちは、皇軍用語を使っていたのか……。それが皇軍からの伝承なのか、誰もが思い付くような名称なのかは、今となっては確かめられませんが。

性の近代パラダイムは、「性=人格」パラダイムでした。女は「道にはずれた」性によって「人格を穢す」のに、男は性によって人格に影響を受けないことになっています。「性=人格」パラダイムのもとでは、性暴力被害者の女性は「穢された女」、性を売った女は「堕落した女」と見なされます。

その昔は「淪落の女」という表現もありました。「醜業婦」という表現もあります。その「醜業婦」と接する男のほうは、すこしも醜くないようです。「堕落した女」といくら接しても、男に「堕落」は感染しないことになっています。明治期に「穢れた」娼婦を相手に乱倫を重ねた伊藤博文に対して、「伊藤公の人格は穢れておりません」と帝国議会での答弁があった逸話は有名です。

それどころか自分の行為のうしろめたさを相手に転嫁するのが、このパラダイムが男にとってごつごう主義である理由です。セックスワーカーに対するスティグマは、ここから来ています。わたしたちは、今でも、半世紀前に壊そうとした近代のセクシュアリティの射程から、脱けだせていないようです。

近代のセクシュアリティは、「性と愛を一致させなければならぬ」と(女にだけ)命じました。ロマンティック・ラブ・イデオロギーは、今から思えば一致するはずのないものをむりやり一致させようとする凄技のトリックだったのですけれど、半世紀経って、ようやく性と愛は別のものだから、べつべつに扱うほうがよいと、あるべきところへさしもどされるようになりました。

そこまではよかったのですが、その変化がもたらした効果は何だったでしょうか?

性と愛はべつべつのものだから、べつべつに学習しなければなりません。あるときからわたしは、愛より前に性を学ぶ若い女性たちの登場に気がつくようになりました。しかも男仕立ての一方的なセックスを。性のハードルはおそろしく下がったのに、性のクオリティはいっこうに上がらないことを

なくならない旧態依然のセックス観

「こじらせ女子」の雨宮まみさんは、18歳のとき受験のために宿泊したビジネスホテルのビデオで、初めてAVを視聴したといいます。それが彼女が性とは何かを学んだ初めての体験でした。その刷り込みから逃れられなくなったのが、彼女がAVライターになった動機だと書いています。

画像1

AV出演者の多くが、「これをホンモノのセックスとカン違いしないでね」と若い視聴者に警告しますが、他に経験のない十代にとっては、AVのセックスが性についてのイメージを形成する初体験であることのインパクトは大きいでしょう。事実AVの普及にともなって、しろうとが顔射をするような模倣が広まったといいますし、メディアの影響はあなどれません。

実のところ、メディアは性愛の学習装置です。性だって愛だって、わたしたちはあらかじめメディアのなかでそれが何かを学習しているからこそ、経験に名前を与えることができるのです。

何もニューメディアが登場してから初めて、情報環境が支配的になったわけではありません。神話だって、物語だって、少女マンガだって、それを通じて、恋とは何か、愛とは何か、を人びとに教える学習装置でした。

あとになってそれに該当する感情を経験したときに、「ああ、これが(あの物語で知っていた)恋愛というものなのね」と得心することを「経験の定義」といいます。あらかじめ知っている概念がなければ、経験に名前をつけることはできません。

女にとって性が愛とまだ結びついていたころ、性は愛の証として女が男に捧げるものでした。もしくはできるだけ高く値札をつけて、譲渡する財でした。山口百恵が「ひと夏の経験」のなかで「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と歌ったのは、1974年のことでした。そこでは女性の性欲は問われませんでしたし、女はひたすら受け身であることが期待されました。

わたしの尊敬する森崎和江さんが、若いころ九州で帝大生と恋愛したとき、彼が「女には性欲があるのかなあ」ともらしたことを書き留めています。これが笑えない時代があったのです。

今でも性経験のある少女とのあいだで、「どうしてセックスしたの?」「彼に頼まれたから」「キモチよかった?」「ううん」というやりとりが成り立つところを見ると、このパラダイムはいっこうになくなっていないようです。

つまりこの女の子にとっては、性とは、愛する男がのぞむからそれに捧げる自己犠牲のようなものと捉えられているのでしょう。

ポスト近代になってから、女性に性欲があること、男にとってだけでなく女にとっても性が快楽であることが知られるようになってきたのは、大きな変化です。そして女性が自分の快楽について自由に口に出せるようになったことも。(ついでにあわてて付け加えておきますが、前近代の日本では、女性に性欲や快楽があることは当然視されていました。)

ですが今でも「セックスが好き」な女性は「やりまん」とか「ビッチ」とか呼ばれますし、「あまりあけすけにセックスについて話す女には萎える」という男がいるところを見ると、旧態依然たるセックス観はなくなっていないようです。

上野千鶴子

◇  ◇  ◇

連載一覧はこちら↓
往復書簡 限界から始まる

往復書簡

紙書籍はこちらから

電子書籍はこちらから

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!