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タブーとされてきた山村美紗のさまざまな「噂」 #1 京都に女王と呼ばれた作家がいた

「ミステリの女王」として君臨したベストセラー作家、山村美紗。しかしその華やかさの陰には、「文学賞を獲りたい」という強烈な劣等感を抱いていたこと、公然の秘密と噂された作家・西村京太郎との関係、隠された夫の存在など、秘められた謎は多い……。

そんな文壇のタブーに挑んだ、花房観音さんのノンフィクション『京都に女王と呼ばれた作家がいた』。気になる中身を一部、ご紹介します。

*  *  *

にわかには信じがたいが……


山村美紗には様々な「噂」があった。

パーティの度にドレスを新調していたが、髪の毛をセットする時間はないので人前に出るときはウィッグを着けていた。
 
五十歳を過ぎても振袖を身に着けていた。
 
執筆する部屋には家族すら入れず、厳重に鍵がかかっていた
 
暗証番号でロックされた鍵は、度々番号を変えていた。
 
新聞に文芸誌の広告が載ると、定規で測り、自分の名前より大きく掲載された作家がいると、出版社に電話をかけ、その度に編集者たちが銀座千疋屋のメロンや胡蝶蘭を手に京都の家に謝罪に来た。
 
その銀座千疋屋のメロンに、ブランデーをかけて食べて、「この食べ方が一番美味しいの」とご満悦だった。
 
他の作家が京都を舞台にミステリーを書くのを許さなかった
 
新人編集者が、その「ルール」を知らずに、禁を犯したら、編集部に電話をかけてきて怒鳴りつけた。
 
申年だからと、忘年会で編集者たちに猿の恰好をさせ踊らせた
 
編集者が美紗の家に行くと、一段高い場所に同志である西村京太郎とふたりで並び、編集者は乞われて芸を披露することもあった。
 
水着姿の写真を撮り、カレンダーにして出版社に送った。
 
隣の西村京太郎邸とは、地下道でつながっていたが、山村美紗のほうから西村邸に行くことはできても、西村邸から山村邸に行くことはできなかった。
 
派手好きで、大きな宝石を身に着け、着るものは赤かピンクばかりだった。

存在していた「文壇タブー」


しかし、それらはあくまで「噂」で、大手出版社の週刊誌は、「女王」のゴシップを書くことは許されなかった。週刊誌は芸能人の不倫や政治家の金銭問題を暴いて記事にすることはできても、自社から出版物を刊行している人気作家の批判はしない。

「作家タブー」あるいは「文壇タブー」と呼ばれるものだ。
 
そんな中で、唯一、山村美紗を取り上げ続けていたのは、『噂の真相』というゴシップ誌であった。二〇一九年一月に沖縄で亡くなった岡留安則編集長率いる『噂の真相』だけが、有名作家のスキャンダルが書ける場所で、山村美紗は何度も西村京太郎と共に、「文壇タブーを暴く」と、その関係を取り上げられた。
 
『噂の真相』の愛読者だった私は、京都には、そんなすごい作家がいるのだと、自分とは全く関係ない世界のことだと思いながら記事を眺めていた。
 

私は大学が京都の東山で、中退後もそのまま住んでいたこともあり、山村美紗と西村京太郎の家は身近な場所でもあった。あの頃、京都の人間で、ふたりの家を知らない者はいなかった。今でも、タクシーの運転手に「山村美紗の家まで」と告げて、「知らない」と言われたことは一度もない
 
京都、東山霊山。目の前の道を下がっていくと、幕末の志士たちの墓がある霊山護国神社、高台寺、八坂神社に円山公園、知恩院、そして祇園。
 
もう一方、南に坂道を行くと、二年坂(二寧坂)、三年坂(産寧坂)、そして清水寺へとつながっている。
 
京都で、もっとも「京都らしさ」の風情が残る場所だ。
 
『噂の真相』を読んで、山村美紗に興味はあったけれど、特に熱心な読者ではなかった。正直に告白すると、次々とドラマ化され、駅の売店には必ず並ぶ、あまりにも有名な「山村美紗」の作品が、当時はひどく俗っぽい気がしていて敢えて手を出さなかった。
 
そんな私がなぜ、今、こうして「山村美紗」について書こうとしているのか、書きたいと思ったのか
 
まずはそれから話を始めよう。

◇  ◇  ◇

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京都に女王と呼ばれた作家がいた


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