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性格の良さと外見の可愛さは比例しない┃整形アイドル轟ちゃん

「中身を磨けば外見も変わりますよ。内面が第一です」
私がYouTube活動を始めたとき、よくコメントで言われるのは外見と中身の関連性についてのコメントがとても多かった。


顔と声しか情報のない5分足らずの動画で、私の中身が磨かれていないとなぜわかるのだろう、と私は純粋に疑問だった。
こういう人こそが一番人を外見で判断しているではないかとも思った。

「整形して可愛くなっても中身が伴っていなければ将来捨てられますけどそれでもいいんですか?」
誰かに気に入られるために整形をしているわけではないし、整形することでようやく生き永らえていた私は、整形をしなければ生きられないかもしれない「将来」のことまで心配されてもピンとこなかった。

中身まで見透かした気でドヤ顔で非難してくる人たちは、なぜ「外見と中身は関係ない」という当たり前のことを頑なに認めようとしないのだろう。

真冬の池袋で、見知らぬ酔っ払いのおじさんが泡を吹いて倒れているのを見過ごせなかったことがある。皆が見て見ぬふりをする中、介抱して救急車を呼んだ。自分が巻いていたストールで体を温めようとしたところゲロをかけられ「うぜぇ!!」と理不尽に怒られ、救急車の到着を待ったせいで終電を逃したがそれでも怒らなかった。

この経験だけで「いい人でしょ?」というのは違うと思うので、あくまで一例として読んでもらいたい。

この性格のせいで損をしたことも何度かあるが、私はそんな自分の内面が好きで、中身はいつまでも自分のままでいたいと思っている。しかし、外見を愛することはできなかった。整形を繰り返し、顔のほとんどをいじり倒したつい最近まで。

私が酔っ払いを介抱したという話をした時、「そんなの放っておけばよかったのに。どうせ死んでたでしょ」と笑った知人がいた。

その笑った顔はとても美しかった。笑顔がとても可愛くて、自信に満ち溢れている女の子だった。

「内面が大事」と綺麗ごとを言う人がいる一方で、内面が真っ黒でも天使でいられる光景を何度も目の当たりにした。

その人たちが吐き出す汚い言葉を聞いて、私は醜い顔で笑った。反論できるような強さがなかったから、話を合わせた。胸が苦しかった。

殺すとか死ねとか平気でいうような人の外見がめちゃくちゃ美しい現実をみ続けて、私は自分の性格を無理に矯正するのはやめた。みんな心に汚いものは持っている。

なぜ、ブスだけ心をきれいにしようと矯正しなければいけないのか。

たしかに内面を磨くことは大切だと思う。
ただ、「中身が悪いからブスになる」とか、そんな何の根拠のない理論で追い詰めないでほしいと思う。 そんな言葉は「ブスは努力していない」と決めつけた人たちが自分に都合よく作り上げた戯れ言だからだ。

「内面を変えたから顔が変わる」わけがない。

それで二重まぶたになったり頭蓋骨の形が変わるというのなら、私はすぐにでもボランティアをしまくるし、SNSでは綺麗な言葉しか呟かない。内面が左右するのはせいぜい「顔つき」くらいだろう。

顔そのものが変わるわけではないし、自分をブスだと思っている人間のコンプレックスは中身を磨いたくらいで埋められるほど浅いところにはない。「女の子は笑顔が一番可愛い」などというお花畑思考を押し付けられようと、人前で笑えるような自信のある顔を持ち合わせていないのだ。

ブスが損をしていることを嘆くといちいち中身と関連づけて突っかかってくる人も多いが、私たちが抱えているのはいずれにせよ「ブスでなければ抱えなかった苦しみ」なのだ。

この荷物さえ降ろせれば嬉しい、と言っているだけなのだ。中身を磨くこととは全くの別問題だし、中身を磨くことで本当にこの苦しみを無くせるならそれ以上に嬉しいことはない。

むしろ外見と中身が比例するならば願ったり叶ったりだ。でも現実はそうでないから、こうして苦しんでいる。

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(続きは、こちらから)

轟ちゃん 表紙改

12月19日発売
イラスト@おさかなゼリー

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