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『桑山哲也:リベルタンゴ』を聴きながら……

📂no+e 備忘録『桑山哲也:リベルタンゴを聴きながら……』


聴く人も演奏する人もいろんな人が大好きな曲で、様々な人がツベにアップロードしてる『リベルタンゴ』。
現時点で自分が、最も好きな演奏がこれです 
    ↓

今のだらしなく(失礼)肥ってしまった哲也さんと違って若くて凛々しい。動画UPは2011だが、演奏自体は2003らしいです



  曲の時々の緊迫感が、凄まじくカッコイイ

演出としての緊迫感ではなく本質的に緊迫しているのだ(具体的に「どういうことか」と聞かれても何もない。自分にはそう感じられるとしか言いようがない)

単なる自分の思い込みなのだが、

技巧として、テクニックとして、演出意図としての「緊迫感」
でなくて
ただただ「緊迫している」と感じさせるのだ。
ただただ、気持ちいいドラマチックさ。スリリング !
(そういうふうに錯覚させるのが最高の演出かもしれない)

ただ、「いい……」としか言いようがない

  まぁ、なんだ、好きな音楽の良さを言語化するなんてヤボなことだ。まして、言語化に不自由な自分がね
  オマケ的なことも足せば、最初のピアノソロ(?)のところはピアノッシモ的に柔らかくシルクのように、ベルベット的にすべすべと柔らかさ感じさせて、次のピアノソロ(?)では、ダンダンっと気持ちよく音を立てて来る。なんか小憎らしい。
   その後の方ではピアノがダンダンと弾いてる時にアコーディオンがコードを押さえるだけに留め、「ピアノの引き立て役に回ってるな」と思ってると、なんとなくいつの間にかピアノが引き立て役に回り、アコーディオンが表に出て来る……「アレッ?」と思うとそこから徐々にアコーディオンの本格的な裏メロディというかインプロヴィゼーションパート(?)に入ってくのもニクイではないか !
裏メロディ(裏テーマ?)は
ワザとメロディックさを抑えて、ワザと裏と実感させるザラザラ感ゴツゴツ感を演出してるように思われる
テーマパートをカラー写真とすれば裏メロディはモノクロ的な渋さ(ワザと不協和音的な音も入れてザラザラ感を)。そして、渋いとこからテーマに戻り聴衆がなんとなく「ほっと」したところで、メチャクチャ急激に『裏切り感が有り有りで』ドラマチック急転直下に終曲(超ドラマチックな終わり方は元々の曲想だが)
  YMOの『東風』がきちんとテーマに戻って安心して(最後ちょっとだけ裏切って)着地するのとは好対照。

     ↑最後のチョッパーベースが個人的にはちょっとした『裏切り』に感じる(そう感じるのは自分だけかもね)


桑山リベルタンゴはいいとしか、言いようがない。大好き。素晴らしい !


根拠のない自分なりの演出論をぶつなら

  1. 全身全霊の素で勝負

  2. 演出だが観客には1と思わせる

  3. アーチストは全身全霊でやってるつもりだが実際は演出に過ぎないようになってしまってる(パターン化、ルーティン化)

  4.  ルーティンでこなしてるにも関わらずお客は感動

こんな順番か(3と4は同率3位とします)
1はプロの仕事ではない。
そんなこと人間にはできない。アマの仕事。
そしてアマだからこそできる仕事ともいえる。
プロの仕事とは、コンディションがわるくても80点をキープできること。
全身全霊で仕事などできるわけがない。2ができれば最高でしょう。

プロの仕事って存外、雑。なのに押さえるトコ押さえてる。プロ用PAスピーカーの音は別段いいものでなく耐久性重視。スタジオモニタースピーカーの音など退屈。
だけれどもこだわるとこ、押さえるトコはキチンとやる。ロマンでなく仕事
  プロのコックなど量も計らず味見もせずに料理するなんて極々、普通
   写真家も芸術肌の人は苦しむとしたものだ、そうでない人はモチーフをパターンに落とし込むだけに堕する。それでいて、写真は素晴らしかったりするから困ったものだ
    
自分がプロ歌手になってツアーを出来たとしよう。すぐに、飽き飽きするはずだ、人間とはそうできているのだ。同じ歌を延々と繰り返して歌うなんて、精神的に無理なのだ、ステージが多ければ多いほどそうなってしまう。
   で、どうなるか……歌を崩して歌うようになる。そうでもしないと、退屈でやってられないのだ。ステージの多いドサ回り演歌歌手やクラブ歌手は絶対にそうなる。でもって、頭の中でオリジナル歌唱と崩した歌唱を脳内でハモらせて愉しむ。そうやって、退屈しないように遊ぶとしたものだ
演奏でも同じで、おなじ演奏などやってられないのだ
(クラシックのオーケストラはどうやって退屈をしのいでいるのか謎だ)
一流のグランプリライダーであるワイン・ガードナーもレースで途中独走したりすると雑念が湧いてきて転倒したりすると語っていた(スタートからしばらくは無我夢中で走れるのに……。)
    プロがルーティンで仕事をこなすのは全ジャンルで共通のことなので、手抜き以外は思いやりをもって接することも必要。力士が全部ガチで相撲とった日には怪我人だらけとなる。観客にガチと思わせて手を抜いたり真剣だったりがプロ。

漫画『湾岸ミッドナイト』では「アマの時には情熱もってできていたことがプロになって仕事になってしまうと……」「趣味を仕事にすると好きだったことがうんざりとする作業になってしまう」というジレンマのテーマモチーフが何度も出てくる。
  作者の楠みちはるさんの苦しみの吐露と理解するのが普通だろう。
漫画家になりたかったし、売れっ子漫画家になれたのに昔みたいに純粋に漫画を描けず、客に迎合し、手を抜いてしまう……といったような
    売れっ子、一流プロにも凡人と共通する苦しみがある(或いは凡人には理解できぬところで)。

   物事をルーティンでこなさずに新鮮に気持ちを白紙にして取り組むしかも全身全霊で……

理想ではあるが神にしか なし得ぬ行為である

人間の営為の本懐とは……
答えのない問いとしたものだ


📁no+e 備忘録『桑山哲也:リベルタンゴを聴きながら……』       [了]


以下はリンク集です
今回は実は以下の動画について語るつもりでした。次回以降に改めて触れます   ↓(長いので無理して見なくていいです。次回no+e で触れる際には概要まとめときます)

       ↑ 東風の別バージョン。裏メロディ[間奏?](渡辺香津美の部分)が魅力的過ぎてテーマがボケてる感が少しある。
ライブなので、コレはこれでメチャクチャいいけど、レコード作品としては座りが悪いと感じる。

      ↑テーマ(Aメロ)、Bメロ、ピアノソロ(Cメロ?間奏?)の配分(受け渡し)が面白い
Aメロ以外は余りキャッチーにしないようにするのは、やはり必要と感じる。
泰葉のフライディチャイナタウンみたいに全部サビみたいなのもソレはソレでありだとはおもうけど

     ↓泰葉 フライディチャイナタウン

サビは良いと思うし大好きだけど、曲全体で見ると最低中の最低と思うのが↓

  1.  サビはいいと思うがあとは、ひたすら退屈オブ退屈
    世の中でそう言ってる人、自分以外見かけたことない。
    皆んな、よく平気で聴けるね。謎だ。曲の好みは人それぞれと言うが個人的には限度を超えている
    なまじっか、テーマはキャッチーでいいので余計嫌いになる。

  2.    あと、話が思いっ切り飛ぶが

  3. TKG(玉子かけご飯)、最初の三口めくらいは美味しいと思うが、それ以降は飽きてしまって、全く食べたくない。自分以外でこう言ってる人も、世の中で見かけたことない。世の中の人が不思議でしょうがない。

  4. 自分的には、TKGは以下の作り方以外は絶対に食べたくない。

    • project SORA流TKGの作り方

1.白御飯に直に醤油をかける(ちょっとだけ)
2.生玉子を1に掛ける
3.醤油を2に掛ける(ほとんど、かきまぜない)
4.そのまま、ほぼかき混ぜずに食べる

上記のTKGは食べている間中に、醤油の味、白身、黄身、白御飯味、醤油御飯等色々と味がマーブル模様に変化して最後まで飽きずに食べられる。
これ以外のTKGは絶対に認めない

上記、TKGの作り方を思いついたのは、大昔に喫茶店のバイトしてた時にマスターにコーヒーの飲み方を教わって、それを思いだして応用したのだ

コーヒーの飲み方
1.よくかき混ぜる
2.砂糖を入れよくかき混ぜ、きちんと溶かし、グルグルコーヒーが回ってる状態で一気にクリームをぶち込む(決して入れてからはかき混ぜない)
3.クリームが浮き上がり表面に白く広がる(そこからは決してかき混ぜずに)そのまま飲む

クリームの濃いとこ薄いとこがカップの中でマーブル模様的に存在し味の変化があるからそれを楽しみながら飲みなさい……と教わった
(美味いコーヒーはストレート[ブラック]に限る……とも教わったが)

なんか思いっ切りとりとめのない話だ(笑)

今回は以上となります
最後までお付き合い頂いてありがとうございます
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